■飼育動物との関わり合い■

 筆者はペットという言葉はあまり好きじゃありません。愛玩動物などと和訳されるこの言葉は、飼育動物を癒しのための慰みものにしているようで。もちろん動物愛好家の人たちは大変飼育動物を大切にしていますし、その方たちがペットと呼ぶことにまったく異存はないのです。
 ただ、筆者の場合は飼育動物に対して愛情を注ぐといった接し方はほとんどしません。動物に名前をつけてネコ可愛がりするみたいな、あるいは家族の一員のように接する、そういうのは苦手なのです。自分などと家族呼ばわりされても、生き物たちも迷惑だろうとか思ってしまうのですよ。
 筆者の場合は、動物を飼育するというより、飼育環境を管理するという接し方に重きを置いていて、飼育動物自体に個別に特別な感情を持ったりする度合いは少ないです。個々の動物に名前を付けたり、飼育環境を可愛く飾ってみたりすることもほとんどありません。
 研究対象扱いなのでは? そんなふうに言われたことがあります。あるいは多くの種類をストックしたいだけのコレクターとも。否定はできないです。家族同然に生き物を可愛がっている人たちからすると、ただケージに閉じ込めて餌をやって観察してるだけの冷酷な飼い方なのかもしれません。でもね、しっかり可愛がったら生き物たちが喜ぶと、一概に言えないんじゃないか、そう思ってしまうのですよ。筆者が飼育しているのは、ほとんどが爬虫類や虫だったりするわけで。
 ま、好きと好奇心、それがすべてなのでしょうね。よく解らないです。みなさんは生き物たちと、どのように接していますか。

動物を可愛がるということ

 犬や猫や小鳥などを飼っている人たちは、動物たちを我が子のように可愛がりますよね。名前を付け、大変手間をかけて世話を焼き、暑さ寒さから守り、鈴やリボンといったアクセサリーを着けたりとか。
 子犬なんかが面白い形に毛をカットされていたり、染色されていたり、あるいは服を着せられていたりするのを見ると、ちょっと面食らってしまいます。筆者には理解できない接し方ですから。ほんとに我が子にオシャレさせるみたいに、ペットのファッションを楽しんでいるのでしょう。
 生き物に対するこのような接し方に批判的な人も少なくないですよね。飼い主の自己満足であってペットの方は迷惑していると。でも、筆者はそうは思いません。生き物にとって何が幸せかは、本人のみぞ知るわけで、ああやって過剰に可愛がられて案外満足しているかも知れません。餌に不自由しないし、天敵などの脅威もない。元気に長生きしますし。
 生き物は自然界で自由に生きるのが一番だ、人間社会に隔離するのは残酷だ。そんなことを言う人も少なくありません。でも、野生に生きるとういのも厳しく残酷なものです。それに多くの生き物たちが、古くから人間と共存して来ました。愛玩動物や家畜の歴史はたいへん古いものです。人間との付き合いというのも、それはそれで自然の形のひとつなのかもですよ。人間自身が自然の産物であるわけですし。
 家族同然で動物と接している人たちは、心が通じ合えるそうです。すごいですね。高い学習能力を持つ哺乳動物となら、そういうこともあるのかも知れません。でも、ペット愛好家の多くは、爬虫類や両生類とだって心が通じ合えるというのですよ。だからちゃんと面倒みなきゃいけないと。飼育環境を整えて餌を与えるだけじゃダメで、声をかけたり、機嫌が良いか悪いか気にかけてあげなくてはいけないと。
 筆者はかつては、こういう接し方には反対でした。爬虫類が人とのコミュニケーションを歓迎するもんか。野生に生きる彼らは、子育てもしないし家族生活もしない。出会った生き物は餌か敵か、あるいは繁殖のための異性。そんな彼らが人と接したがるわけがない。

 筆者が初めてコーンスネークの子供を手に入れたのは、飼育と繁殖を手掛けている女性からの頂き物でした。彼女はヘビの子供を譲渡することを、里子に出すという表現をされていました。
 その女性は、他に巨大なニシキヘビも飼っているのですが、あるとき知人が飼っている小犬を見てどうしても欲しくなり、ダックスフンドを購入したそうです。ニシキヘビ君にすれば、活きのいい餌がやって来たというんで大喜びだったのですが、「この子はご飯じゃないのよ、お友だちなのよ」と教えると、以来、一緒に並んでお昼寝する仲になったそうです。
 やはり、爬虫類にも心はあるのでしょうか。植物にだって音楽を聴かせて育てるらしいですしね。生き物と付き合うには、学識だけでは片手落ちなのかも知れません。生き物との共存の長い歴史の中で、人は学識よりも経験で彼らと接して来たはずですし、彼らは良き隣人であり旧い友人であったわけですから。

爬虫類との接し方

 爬虫類や両生類の飼育は、昆虫やクモ、ムカデ、水棲動物を飼うのと似ているところがあります。みなさんも子供の頃に、カメやカエルを飼った経験がおありなのでは? 飼育ケースにそれらの動物を収容して、餌と水を与えて観察する。そういう作業が、小さな生き物の飼育になってくるわけです。
 哺乳動物や鳥類以外の動物たちは基本的に孤独な生き物です。誕生するとすぐに独りで自活を始め、成長して繁殖に関わっても卵は産みっぱなしです。一部、孵化まで面倒をみたり、しばらく育児したりするものもありますが。
 魚類では群れで暮らす種類も多いですが、爬虫類や両生類では、孤独生活者がほとんどです。両生類では繁殖期にだけ群れたりします、体外受精の都合でね。
 そんなわけで、爬虫類や哺乳類の多くは、飼育下でも繁殖時以外は単独飼育が基本です。温和な性格で複数飼育でも問題なかったり、熱帯魚のように異種混合飼育が可能なものも少なくないのですが、彼ら自身は共同生活を快く思っているわけではないでしょう。ま、いいんですけどね、問題なければ。
 基本的に社会生活はしない動物たちが、飼育者と友好関係や主従関係を作ることはないわけで、犬や猫と同じような係わり合いは期待できません。彼らは人間になつくことはない。触ったり持ち運んだりすることは可能になりますが、それはなついたわけではなく、触れられる状況に慣らされただけ、そう考えるべきです。
 つかみ上げてなでなでしても、まったく抵抗しないからといって、彼らがそれを心地よく思っているわけではありません。むしろ大きなストレスと戦いながら、じっと耐えているのかもしれません。
 ハンドリングという飼育テクニックがあります。触ったり抱き上げたりすることに動物を慣らすというものです。孤独生活を提供してやるのが望ましいとしても、飼育者は餌を与えたり掃除をしたりという世話を焼く必要があるわけで、人が近づくたびに生き物が怯えて暴れたりしていたのでは、怪我などのトラブルを招きかねません。それを防ぐには生き物に人に慣れてもらうのがいちばんというわけです。ハンドリングが生き物にとって不快なものであったとしても、そうされることが日常的な状況で、それを我慢すれば無難に暮らせると解れば、彼らはよく慣れてくれ、飼育がしやすくなります。
 ただ、慣れやすい種とそうでない種、人の接近には慣れてもどうしても触らせてくれない種などいろいろあるので、それぞれに応じた接し方を学ぶ必要があります。

爬虫類との付き合い

 爬虫類や両生類を飼育するには、孤独な環境を提供してやるのがいちばん、筆者はそう考えて来ました。それでも観察していると、つい可愛くなって必要以上に触ったり、手で直接餌を与えたりしてしまいます。
 筆者は、個々の動物に名前をつけたりすることはないですが(観察し記録するために個別に名前をつけたことはあります)、種名を愛称で呼ぶことは多いです。ヒョウモントカゲモドキはヒョウモン君、マリトゲオアガマはマリトゲ君、インドトゲオアガマは学名からウィッキー君といった具合です。基本"君"づけですかね。また、そうすることによって、爬虫類嫌いの家族の感情を和らげることもできます。爬虫類が嫌いな人でも、愛称で呼んで観察すると、彼らの意外な可愛いらしさを発見できるものです。もちろん飼っている本人も、彼らがますます可愛いくなりますしね。
 多くの爬虫類はひじょうに可愛い顔立ちをしていますし、仕種もめっちゃ可愛いかったりします。彼らは孤高な生き物なのだと解っていても、その可愛いらしさに信念が揺らいでしまいます。
 多くの生き物が、ひじょうによく人に慣れます。人の手から直接餌を食べるようになりますし、人を見ると駆け寄ってくるまでになる種も少なくありません。草食動物のために野菜を切っていると、調理が待ち切れずに駆けて来てパクパク食べ始める子もいます。慣れているというよりなついているとしか思えません。ほんと可愛いですね。

 ワニや大型のイグアナ等は、たいへん獰猛で力も強く、飼育には危険が伴います。しかし子供の頃から充分に触って可愛がって育てると、彼らはじょうによく人に慣れます。すっかり人に慣れた彼らは、人家で人のすぐそばでリラックスしてお昼寝したりと、それこそ哺乳動物と変わらない隣人ぶりを見せてくれます。ストレスもまったく感じていない様子です。
 こういった動物についてはむしろ、幼い頃からたっぷりかまって育てる方が良いですね。人間に慣れないまま大人になった個体は、凶暴過ぎて手がつけられないです。
 鳥や哺乳類と同じで、爬虫類も子供の内に人に慣れさせないと、成体からの教育は困難です。ということは、冷血で他人とのコミュニケーションをとれないと言われている爬虫類にも哺乳類と同じような学習能力があるということなのでしょうか。なんだか不思議です。自然界では社会生活とは無縁のはずですからね。
 筆者と同じように、爬虫類に個人的な愛情を注ぐことは無意味だ、そう考えている人(たぶんそんな人の方が少数派なのでしょうが)は、もう少し柔軟な考え方をした方が良いかも知れません。専門知識だけをたくさん蓄えて、科学者気取りをしていても、いつもそれが正しいとは限らないのです。
 ある時、飼っていたヒョウモントカゲモドキが脱走してしまったことがあります。家の中だったので、家具の裏とかに潜り込んでしまい、捕獲は不可能に思えました。僕が留守をしている間の事故だったのですが、僕が帰って来てしばらくすると、彼はタンスのすき間からチョコチョコとはい出してきたんですね。妻が言うには、聞き慣れた僕の声に安心して出てきたというのです。そうなのでしょうか? 僕には解りません。ただ、妻の主張を否定もできない、そう思いました。
 また別のケースでは、僕や家族が近づいてもまったく警戒しないフトアゴヒゲトカゲが、ある来客に対して猛然と威嚇行動を始めたのです。飼っていた2匹ともそろってです。怒りのために下顎がまっ黒に発色しました。飼育下でなかなか観られない生態です。その来客はディープな愛煙家で煙草の臭いプンプンだったのですが、それがトカゲたちの警戒心を喚起したのかもしれません。僕がトカゲたちを抱き上げて、安心するように説得すると、間もなく威嚇行動を解除し、来客に対する警戒心もなくなりました。これもなんだか不思議な出来事でした。
 幼体の頃から飼っていたアカアシガメ(リクガメの一種)も、筆者を見るといつも走ってきて、水槽のガラスに激突していましたし、野生採集個体だったエジプトトゲオアガマや人に慣れることはないと言われるグリーンパイソンも、今では筆者を見ると寄ってきて餌をねだります。飼育にはたいへん理想的な状況なのですが、もともと孤独生活者である彼らが、どうしてここまで人に慣れるのか、不思議で仕方がありません。

飼育動物の名前

 ペットを飼っている人が、その写真を携帯電話に入れて持ち歩いているのはよくあることですね。筆者の携帯にもヘビやらトカゲやらの画像が何枚か入っています。動物愛好家同士というのはお互いにニオイでわかるらしく(ニオイといっても臭気そのものではない)、初対面の方が動物の話題をふってくることがけっこうあります。筆者は嗅覚が鈍いですが。その際にペットの写真を見せられたり、見せてくれと言われたりすることがあります。時代ですね。電子ツールのおかげで写真の撮影と持ち歩きが簡単になりましたからね。
 そう言えば、筆者にヘビやトカゲの写真を見せてくれた人はほとんどないなぁ。こんなもん持ち歩くのは筆者くらいなのでしょうか。じゃあ、相手が爬虫類好きを自称するのは、筆者に合わせるための社交辞令なんでしょうか。なんか孤独感にさいなまれて来たぞ。
 写真の見せ合いっこはいいんですよ、これはどういう種類の生き物ですか、という質問ももちろん。でも名前を聞かれると弱りますね。犬や猫や小鳥を飼っている人たちは、飼育動物に名前を付けるのが当たり前みたいですね。飼育動物なんて言い方すると叱られることもあります。家族の一員なんですと。家の表札に動物の名前を併記している人もいますよね。

 筆者の場合は、動物1頭1頭に愛情を注ぐというより、彼らが健康を維持できるように飼育環境を管理する、言わば環境を飼うみたいな接し方をするので、1頭1頭にそれぞれの名前を与えるようなことはまずありません。ヘビの個体ごとの観察およびその記録の際に名前を付けていたことはあるかな。
 こんなふうに言うと、多くの動物愛好家に、冷たいとか愛情が足りないとか、飼われてる生き物が可哀そうだとか言われます。ただ監禁し飼育しているだけだ、なんて非難を受けたことも。いいんですけどね、その指摘もあながち間違いじゃないのかもです。筆者の趣味は、小動物監禁飼育です。
 でもね、思うんですよ。擬人化した可愛がり方が果たして本当の愛情なのか、彼らは名前を呼ばれ抱擁されることにストレスを覚えるようなことはないのかってね。野生環境では絶対にありえない、生物種の壁を越えた共生関係でしかも人間流のやり方に強引に合わせているわけじゃないですか。

 では筆者が、飼育動物を家族のように扱うことに反対かといえば、けっしてそんなことはござんせんのですよ。人と濃密な共生関係にある多くの動物が、健康を維持し野生にいるよりも長生きしているのを見ると、それが不適切な状況であるとは決して言えないです。
 筆者の場合は、幼少の頃から虫や微細な動物を野生から捕獲して来て、小さな入れ物に監禁し飼育し、それを観察するという接し方をして来て、その後もそのやり方をずっと続け、生き物と家族同然の付き合いをする方法に触れたり、それを学んだりしたことがないから、そうしないだけのことなのです。
 ほんと偉いと思いますよ、我が子を育てるように世話をやき、話しかけたり、抱擁したり。そしてそれに動物の方も応え、お互いにいろんなことを学んだり、癒しをもらったり。

 ただね、動物とのよい関係を持つことが素晴らしい経験であったとしても、それを他人に押し付けたり、ご自身の考え方を基準に他人を評価したりするのは良くないと思いますよ。
 動物が嫌いな人、飼いたくても飼えない状況にある人、動物が野生状態にあることを是とし家畜化には否定的な人。大型の動物に恐怖を感じる人もいますし、子供の頃にひどい目に遇ってトラウマになった人もいる。犬猫の糞公害に苦しんでいる人も少なくありません。毛皮のアレルギーを持っている人も。
 どちらかと言うと、筆者は動物が苦手な人の気持ちの方が解るかもです。ふだん動物に接し慣れていなければ、動物というものはちょっと怖いものです。怖くて当然だと思います。どういう行動をとるかつかめない未知なる相手というのは、普通の人間にとって恐怖の対象なのです。それに社会生活の中で、人が動物と直接接する機会に恵まれないことも仕方のないことです。
 だから動物が嫌いな人が、好きな人の気持ちを理解できないのは当然で、好きな人が嫌いな人の気持ちを理解しようとしないのは身勝手というものです。
 筆者は、あらゆる生き物に対して気持ち悪いという感情を抱きませんが、大きなカエルだけは苦手です。幼少の頃に怖い目に遇いまして、彼らと接近遭遇すると右手の力が抜けて鉛筆も持てなくなるのです。カエル怖いです。40年以上もこの恐怖を克服できないでいます。

 飼育動物の名前の話題からずいぶんズレてしまいまいたが、動物との接し方、愛情の注ぎ方、飼育に対する考え方というのはいろいろあって、自分や自分と同じ意見の人が全てではないということを忘れないでほしいものです。動物愛好家として、お互い気をつけましょうね。

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