■進化のはなし■

 生物は進化します。進化し続けるのです。では、進化っていったい何でしょう? 筆者なりにいろいろ答えを求めてまいりましたが、身もフタもなく一言でまとめてしまえば「生物が遺伝子レベルで変わり続けること」というふうになるかと思います。
 逆に言うと、遺伝子レベルで変わり続ける有機システムが生物である、ということになるんじゃないかと思います。つまり進化とは何かを考えることと、生物とは何者?って考えるのは同義なんですよ、きっと。で、有機システムっていうのは何かと申しますと、地球上の物質には有機物と無機物があって、アミノ酸みたく一定の機能をしやがる不思議君のことを有機物って言うんですね。その有機物の統制された複合体ってことで、有機システムって言ってみましたのさ。
 生物という名の有機システムは、ご存知DNAという共通言語で書かれたプログラムデータを持っていて、それに基づいてからだが形成されます。生物のからだは細胞という単位をたくさん組み合わせたもので、1体の生物は様々な形状や性質の細胞で作られますが、そのすべてが共通のプログラムデータを共有しています。言い換えれば、同じDNA情報を共有する細胞の集合体が生物です。
 んで、単細胞生物は1つの細胞だけで1体の生物を成すロンリーなやつで、地球上に現れた初期の有核生物は単細胞生物だったそうです。それがコロニーとか作って喜んでるうちに、後生生物すなわち多細胞生物のアイディアが生まれたんでしょう。
 有機物は、物質と結合したり選別したり、硬くなったりフニャけたり様々な働きをなさりますが、これを統括するシステムをどんなふうに組み立てるかっていう設計図を塩基という素子で書き留めたものがDNAです。生物の中にはこの設計図の入った細胞核を持たない原生生物みたいなのがいるなんて話しも聞いたことがありますが、その辺りのことは筆者の知力ではどうにもならないので無視です。生物といえば有核生物、そういうことにします。
 生体内で細胞分裂が起きるとき、DNAは正確にコピーされますが、完璧じゃありません。生体内でアミノ酸結合が行なわれるとき、DNA上のコードが読み込まれますが、修正が施されます。
 DNAの複写や読み込みは、限りなく完璧にして、じつは誤差と修正がついてまわるのです。一見、不動に見えるDNAは実はかなり動的であり、その振る舞いも完全無欠じゃありません。そしてこのことが、生物に遺伝子レベルで変わり続けること、すなわち進化を促しているわけですよ。
 ずっと以前に専門書で読んだことがあるんですけど、同じ種類の生物でも決して全く同じということはなく、ひとつの種をなすのは厳密には1体の生物、もしくは有性生殖生物であれば1対のペアであるそうです。えらく極端な見解ですが、生物が変わり続ける存在であるということをよく表した明言だな、と感じましたとさ。
 というわけで、生物がなんで変わり続けるのか、変わり続けねばならないのか、これから一生懸命考えていこうかと思うのですよ。

進化のしくみ

 生物は、遺伝子レベルでとどまることなく変わり続けて行く存在です。身近な動植物や私たち人間自身を観察しても変わって行く様子は見えませんが、遺伝子レベルでは世代交代の度に変わり続けています。
 ヒトは、たかだか300万年〜200万年ほど前に、類人猿と同じ祖先から分化したのだそうです。まだひじょうに若いこの"種"は、形質や生態も未完成なところが多い過渡的な存在で、かなり急速に変わり続けています。わずか数十年前の人間と現代人とでは、顔立ちも加齢の仕方もかなり変わって来ています。むかしに比べると現代人はずいぶん若々しくなりましたし、男性の女性化が進んでいます。それに心身共に未成熟の時間が長くなりました。
 これらヒトの変化については別項で詳しく述べるとして、今は生物の進化のしくみの話しです。まず生物は変わり続ける存在であり、長い長い時代を経て、やがて別の種になります。そして進化に逆行はありません。ヒトが猿の祖先に戻ることはないのです。退化ということばがあって、使わなくなった器官が衰退したり失われるようなこと言いますが、この退化も進化の逆戻りではありません。進化して発達した器官が元の未発達な状態に逆戻りするわけではないのです。
 生物とは、けして逆戻りすることなく変わり続ける存在である。ということになります。
 そしてこの進化(逆戻りしない変化)を支えているのが、遺伝子レベルの進化なわけですが、実際にそれがどのような仕組みで行なわれているのかは、不可解な謎に包まれています。
 生物の進化は、長い長い歳月の間に、より環境に適応した、より強く高等な種へと進んでゆくように見えますが、そのように変化するようなシステムが遺伝子の中に存在するのでしょうか? それともたまたま偶発的に生じる変化のうち、たまたま有利な形質だけが生き残って、その積み重ねが進化につながっているのでしょうか。
 専門書等には、遺伝子が能動的に進化を推し進めるようなシステムの存在について、これを肯定するようなことはほとんど書かれていませんが、筆者はむかしから進化がきわめて能動的な機構によって推し進められていることを疑っています。偶然の積み重ねだけでは進化の歴史とそこに起こった数々のドラマを説明できないと思うんですね。
 なので筆者は、生物とは遺伝子レベルで常に能動的に変わり続け、長い時間をかけてとどまることなく進化し続ける存在であると結論づけています。そう結論づける根拠について、次項より順を追ってみてゆきましょう。

進化の能動性

 むかし読んだ専門書によると、生物の進化は偶発的な突然変移の積み重ねに支えられているということでした。遺伝子が親から子へ受け継がれるとき、遺伝情報は極めて忠実にコピーされるのですが、まれにエラーが生じ、それが突然変移という形で形質に現れ、その多くはいわゆる奇形で、環境の適応に不利になるので絶えてしまうのですが、まれに親より環境への適応に有利な奇形が生じると、その子は生きながらえて自分の遺伝情報を子孫に残し、その生物は一歩進化するというわけです。
 なんだか納得できない考え方でした。たまたま親より優位な奇形が生まれて来るなんて、どんな幸運なんだ? そんな偶然性が進化のメカニズムのすべてなんだろうか。進化にはひじょうに長い時間と多くの世代交代が必要ですが、だからと言って、偶然生じる幸運なエラーすなわち親より優位な突然変移の積み重ねだけで、上手く進化することができるのだろうか。進化に必要な時間はたっぷり用意されているとは言え、無限に時間があるわけではりません。
 生物の進化と絶対に切り離せない条件に、環境への適応があります。そして地球上の環境は変化し続けます。その変化に適応できなければ、進化が上手くゆかないばかりか、種の存続の危機ということになってしまいます。
 環境に適応するうえで、優位に立てるような突然変移がどれだけ生じるか、それを考えると進化を突然変移にゆだねていて良いのか? 生物は進化するということをもっと能動的に積極的に考えて行かねばならないんじゃないか、そんなふうに思うわけです。
 ヒトはここ数十年の間だけでもずいぶん変わった……より若々しくなり、男性の女性化が進んだ……なんてことを前項で述べましたが、あれもどこかで発生した突然変移が、世界規模で波及した結果なのでしょうか? それとも、進化(遺伝子レベルの変化)など全く進んでいなくて、食生活や諸々の生活条件の変化に一時的に適応しているだけなのでしょうか。これが一時的な適応であって進化と定義できるものではないとしても、この変化が進化につながることは決して"ない"のでしょうか。
 生物が偶発的な変異に身をゆだねているだけではなく、もっと積極的に環境への適応ということを常に考えていて、そのことが進化の原動力になっていることの可能性について、これから考えて行きたいと思います。

種の多様性

 生物の進化は幸運な突然変異の積み重ねによって推し進められるのではなく、もっと能動的に変わって行くものだと、筆者は考えています。生物は自然環境へ適応しなければならないし、自然環境は変化し続けるものです。これに対して積極的に適応してゆかねば、生物としての存続が危うくなります。
 生物の環境への適応について考える上で、まず知らなければならないことは、種の多様性ということです。生物は様々な方法で自然環境に適応しようとし、その結果、様々な種が発生しました。
 種(しゅ)とは、いわゆる生物の種類のことで、タネとは読まないように。種の多様性とは、平たく言うと生は多種多様の種類が存在するということを言ってるわけです。
 動植物を育てることを趣味にしている人が、必ず感じることは、その種類の多さです。実に多くの種類の動植物が当たり前のように存在し、そのことがあまりにも日常的なので案外見過ごしてしまうこともあるのですが、動植物のことを知れば知るほど、たくさんの種類が存在することが判り、さらには亜種や地域変異個体群といった種がさらにグループ分されていることを知り、びっくり仰天しちまうのです。
 なぜこれほど多くの種類のヘビが、クワガタムシが、カメが、小鳥が存在しなければならないのか、同じ場所に同じ餌を求めてくらすヘビなら、クワガタムシなら、カメなら、小鳥なら、1種類でいいんじゃないのか? そんな疑問を抱くのは筆者だけではないはずです。それとも、たくさんの種類がいた方がマニア心をくすぐるからいいじゃないか、ってことで気にもしないのでしょうか。
 飼養している生物について詳しくなってくると、同じ餌を求める同じヘビでも(以外同文)、姿形のちがいと共に飼養環境への適応度のちがいがあることに気づきます。少々乱暴に世話してもたくましく元気に暮らしてゆく種と、ひじょうにデリケートで、長生きさせるには細心の注意と手間が必要な種があります。生物が厳しい生存競争の渦中にあって適者生存の理に則っているなら、どうして頑健種だけが生き残らないのでしょう? 学校の授業でダーウィン先生の進化論を習ったとき、弱者は自然淘汰され、強い種が生き残るんだって、教わりましたよね。
 じつは、適者生存と自然淘汰を額面通りの解釈をして、自然観察をすると壮大な誤解に突き当たってしまいます。
 自然環境には、弱者と強者が上手く共存するメカニズムがちゃんと存在し、共存のバランスがくずれて、種の単一化(多様性の逆)が起こりにくくなっているのです。
 自然環境は、様々な理由で絶え間なく変化しています。そして変化に応じてこれまで頑健種だったものが元気をなくし、弱小種が力を得るようになります。寒冷化が進むと大食漢が食欲をなくし、それに食べられていた生物が増加する。すると増加したそいつが好物の葉をたくさん食べてその植物の繁栄をさまたげる、じつはその植物は寒いのが得意だったので、繁栄をさまたげられたおかげで、他の植物とのバランスが維持できる。こういった絶妙な連鎖反応が機能して、その環境の生態系は全体としてバランス維持されるのです。
 だから自然環境は、できるだけ多くの種を絶妙なバランスのもとで維持し続けているのです。少しずつ性質のちがう似かよった種がたくさんいることで、自然は環境の変化にきめ細かく対応することができ、豊かな自然環境を維持できるのです。
 生物の種の多様性とは、環境の変化に対するショックアブソーバー(緩衝能力)なのです。
 そして生物は多様性を維持し、あるいは拡げて行くためにも、進化し続けなければならないのです。
 生物の進化は、古い種が別の新しい種に変わってしまうという形で起きるというよりも、古い種が別の新しい種を産むという形で生じます。なので、同じ環境で新旧双方の種の共存が始まり、このことによって種類を増やすことができます。このように古い種から新しい種が生じることを種の分化と言います。進化の実際は分化であるということができます。
 ただ、環境の変化が次第に大きくなり再び元のような状態にならなくなると、古い種はさすがに適応できなくなって滅びてしまうでしょう。でも、その頃には古い種はいくつかの新種を分化させて種の多様性に貢献し、種としての生涯をまっとうしていることでしょう。
 進化とはこのように自然環境への適応そのものであり、種の多様性というネットワークによって互いに種を維持し合っているのであり、あくなき生存競争を繰り返しているというわけではないのです。
 そして私たち人間は、種の多様性すなわち生物層の厚みの重要性を理解し、このバランスを崩さないようにしなければなりません。外来種の自然環境への持ち込み、環境の加工や破壊、こうした行為は、その自然環境の種の単一化を促進します。種の単一化が進んで、生物層の厚みが失われると、変化への緩衝能力を失った生態系は崩壊に向かい、環境の砂漠化が進みます。砂漠化は人類をも飲み込む重大な危機です。
 野山で、虫や小さな生き物を採集するのは悪いことではありません。個人の採集の能力なんてたかが知れてます。しかしながら、環境を破壊するような採集や大規模な乱獲は絶対にやってはなりません。我々人類も生物の一因として、生態系のバランスの枠からはみ出してはいけないのです。


自然淘汰と適者生存

 生物は環境に適応し、変化に追従するために種の多様性を図り、実にたくさんの種類の動植物を環境に配備しています。この生物層の厚みはそのまま自然の豊かさの証であり、変化に同じることなく生態系を維持するための秘訣です。
 生態系という生物のバランス状態が、このようにして環境に適応し続けている背景には、当然ながら個々の種のたゆまぬ努力があるわけで、種は変化し続ける環境に適応するために様々な器官や機能を発達させ、やがて新しい種を分化させます。種の多様性は、分化の積み重ねであるわけですね。
 ダーウィン先生以来古典的な進化論では、こうした種の進化及び分化は、偶発的に生じる変異型の誕生に委ねられるわけで、様々な突然変異型が、自然に淘汰された結果、優れた変異型だけが生き残り、進化を促すというわけです。ご存知、自然淘汰と適者生存の原理ですね。
 この原理は、より強いもの、より優れたものが生き残り、その結果として進化を促すという図式を大変わかりやすく説明していますが、弱小種や劣勢種が生き残っている事実を説明するには適当ではありません。適者生存がすべてなら、どうして非力な種がたくさん生き残って同じ環境で共存しているのでしょう。種の多様性つまり生物層の厚みを保つために、強い者も弱い者も含めたくさんの種が共存している状態がひじょうに望ましいのではありますが、ダーウィニズムで言うところの適者ならざる弱い種が淘汰されないのはどうしてでしょう?
 古い化石を調べて進化の道筋を明らかにしようとする、古生物学によると、生物は進化するに従って体が大きく、体の特徴がより顕著になって行きます。化石証拠がそのことを物語っているのです。ゾウはより大きくより長い鼻を持つ動物へと進化し、キリンの首は進化的な(新しい)動物ほど長くなっています。躯体大化の法則あるいは定行進化の法則と言われる、生物進化に観られる方向性の考え方によると、生物の進化はより強い動物へ向かう一定の方向性が観られるということです。この方向性を裏付けるにも、自然淘汰と適者生存の考え方は理にかなっているように見えます。
 しかし定行進化が維持されるには、自然環境はおおむね一定していなければなりません。キリンの仲間が好む植物がいつまでも高木でいてくれなければ、キリンの首は長くなり続ける意味がないのです。定行進化の法則は、たとえば、恐竜に代表されるような大型爬虫類が衰退したあと、彼らの退いたあとを埋める形で哺乳類が一気に適応放散を開始するようなシーンでは顕著に現れます。哺乳類は多種多様な動物を分化させ、あらゆる環境に適応し至る所へ放散し、それぞれの環境で大型化を目指しました。
 ところが生物の進化は一筋縄では行かないもので、哺乳類が天下をとったあと爬虫類は、小型化と多様化を進め、現在も大繁栄を築いています。爬虫類マニアの方がよく知るドワーフと呼ばれる個体群は、体を小型化することによって特殊な環境に適応して成功を獲得している進化上のプロセスです。あるいは狭い飼育ケースで幼体を育てていると発育不全が観られますが、これは果たして不健康な状態なのでしょうか。飼育下という特殊な環境へ適応しようとする生物の自然な反応であり、これを累代繰り返すことによって種のドワーフ化が促されるということはないのでしょうか。
 生物の進化は、ランダムに生じる変異型が、一定の淘汰圧によって自然淘汰され適者が生存するという単純なメカニズムだけでは説明しきれません。環境の変化に応じて、意図的に適切な変異型が輩出され、その繰り返しが進化を促している、筆者はそのように考えています。偶然はむしろわずかで、進化には必然性がある、それが筆者の考えです。偶然の積み重ねだけでは、環境の変化にもついてゆけないし、生態系のバランスを維持するための進化や新種の分化も果たせないのではないでしょうか。

遺伝子システム

 遺伝子というと、DNAすなわちデオキシリボ核酸なわけで、これは別に染色体とも呼ばれ、観察する際にある試薬を投じるとそれだけが染まって観察しやすくなる、だから染色体なのだそうです。安易なネーミングですね。遺伝子にはX遺伝子とY遺伝子があって、観察するとそれぞれそれっぽい形をしています。遺伝子はめっちゃ長いので、複雑な束ね方でまとめられたいます。まず、スプリングみたいなコイルになり、そのスプリングがさらにコイルに巻き上げられ、2重コイルがさらに3重コイルになり、最後は4つ折りになって中央辺りでひねって全体がXの形になります。ひねりの部分が下方にずれるとYっぽく見えます。
 この長い長い遺伝子は、1本の鎖が2本の塩基鎖のセットがらできていて、セットの塩基鎖は互いに鏡面関係にあってしかも螺旋(らせん)状にねじれています。DNAの二重螺旋という言葉を聞いたことありません?
 DNAは核酸の二重螺旋です。核酸とはつまり塩基鎖のことでして、塩基といわれる高分子が糖質の骨格で鎖状につながったものです。生物の遺伝子に用いられる核酸は、リボ核酸といわれる4種類の塩基の組み合わせから成る鎖状物質で、鎖の一方の端のカルボキシル末端という部位には酸素(オキシダント)が存在します。そしてここに酸素が存在しないものをDNAと言います。オキシダントが存在しない、つまりデオキシであるリボ核酸がデオキシリボ核酸(DNA)というわけです。リボ核酸すなわちRNAとDNAつまりデオキシリボ核酸とでは、使われている4つの塩基の1つがちがっていたりします。
 DNAに含まれる4つの塩基は、3つがセットになって1つの記号を成し、この記号の羅列は、生物の体を形成するタンパク質に使われる20種類のアミノ酸の配列を意味しています。つまり遺伝子は、タンパク合成(アミノ酸をつないでタンパク質を作ること)に用いられるアミノ酸の配列順序を示すことによって、生物の体がどのように作られるのかを決定する設計図になっているわけです。
 細胞内に核を有する生物つまり遺伝子を備えた地球上のすべての生物が、同じDNAを持っています。ちがいは染色体の数と染色体の中の塩基配列だけです。
 細胞分裂によって生物の細胞が増えるとき、DNAはすべてコピーされてそれぞれの細胞に受け継がれます。1個の生物を構成する細胞はすべて同じ遺伝子を共有しています。細胞分裂によって生殖細胞つまり精子と卵子が生成されるとき、染色体はコピーされずに半数に減ります。これを現数分裂といいます。半数の染色体しか持たない生殖細胞は、異性と出会って交配すると、受精卵になり染色体は元の数に戻ります。なので受精卵は父母の遺伝子を半分ずつ受け継いでいます。
 生体内のアミノ酸を配列してタンパク合成を行なうための遺伝情報は、生物の成長と代謝のプロセスで1個の生物のすべての細胞に遺伝し、そして有性生殖生物では、世代交代の際に父母の情報の半分ずつが子供に遺伝するというわけです。

タンパク合成

 前項では、ずいぶん小難しいことを列記しました。塩基がどうの、カルボキシル末端の酸素がどうの……。詳しくは学術書とか読んでみて下さいね、もっと眠くなること請け合いですから。本著では、DNAが生物の体を形成するタンパク質を合成するための、アミノ酸配列順序の記述書であることと、それが細胞分裂によって1個の生物の全細胞に遺伝すること、生殖細胞では半分だけ遺伝し、異性と出会って交配して受精卵になると、父母の半分ずつのDNAが合算されて元の数に戻ること、つまり子は父母のDNAを半分ずつ受け継いでいること、そんなところを理解いただければ良いんじゃないかと思います。
 後生生物つまり多細胞生物でも、最初は1個の細胞すなわち受精卵からスタートし、細胞分裂を繰り返すことによって成長して行きます。このプロセスは単細胞生物の生殖とまったく同じです、原始の時代から今も変わっていません。
 細胞分裂では全ての細胞に同じ遺伝子がコピーされますが、体の場所によって細胞の形や性質は異なります。これは、タンパク合成によって体を作る際にDNAの異なる部位を読み取るからです。
 細胞核の中にあるDNAのセット(ヒトの場合は46本で1セットです)は、体内の細胞の数だけ存在し、その全てのセットに生物の体を構成するための全記録があります。だから体の一部の細胞を切り取ってクローン培養すると、1個の完全な生物が出来上がります、便利ですね。
 生体内の全てのDNAには、その生物の全ての情報が記述されているわけですが、そればかりではありません。むしろ生物の記録は極一部で、DNA内の記録のほとんどは使用されていない無駄な記述なのだそうです。DNAが長くなるはずですね。長くしても足りなくて何十本にも分冊されています。無駄な記録を省いて1本にまとめればひじょうにコンパクトにまとまるのに。しかも、細胞分裂の際には無駄な記述まですべて余すことなく忠実にコピーするわけです。ご苦労なことです。

 DNAの中に、実際の生物のための記録つまり質的遺伝子と、膨大な無駄な記録すなわち量的遺伝子が存在するのはなぜでしょう?

 (1) 遺伝情報を盗まれないための巧妙なめくらましのため。
 (2) 生物の進化のプロセスで遺伝情報が変更されても古い情報を破棄するのがもったいなくて溜め込んでしまった。
 (3) 人間が無駄だと思っているだけで、実は生成内の様々な制御の情報が書かれてある

 筆者は、この答えについて具体的に触れた学術書に出会ったことがありません。ただ、膨大な量的遺伝子のなかから質的遺伝子だけを抽出して、それを元にタンパク合成を行なう方法というかプロセスについては多くの学術書に紹介されてあります。
 それはおおよそこんな感じです。DNAの特定の部位に取り付いた特殊なタンパク質が、2重螺旋になった核酸をほどいて、中の塩基配列を露出させます。その塩基配列に鏡面になるように塩基が次々と取り付き、新たな塩基配列が生成されます。こうして生成された塩基配列が、実際のタンパク合成に使用されます。生成された塩基配列はRNAとしてDNAの部位から離れ、リボゾームというタンパク合成の工場に運ばれます。
 そしてRNAが実際のタンパク合成用コードとして用いられる前に、スプライシングという工程を通り、RNAの中に入り込んでいる不要なコードすなわちイントロン遺伝子が取り除かれます。イントロン遺伝子の方が、必要なコードであるエクソン遺伝子よりもずっと多いそうです。
 スプライシングによって不要なものを除去され、必要コードだけを集めてつなぎ合わせたものをメッセンジャーRNAと言い、これが実際の設計図になります。
 リボゾームは、メッセンジャーRNAの塩基配列を3つずつ読み取り、それが示す通りのアミノ酸を引っ張って来てどんどんつないで行きます。
 メッセンジャーRNA上のコードは3つずつセットになっているので、トリプレットコドンなんて言うおちゃめな名称で呼ばれています。トリプレットコドンは、DNAの特定の部位を鏡面につまり逆さまに読んだものですから、DNAに書かれてあるコードは実はアンチコドンなのですよ。
 リボゾームで合成された長大なアミノ酸鎖は自主的に丸まって1つのタンパク質粒子となります。自主的にってところのカラクリは、話すとだれるのではしょります。
 コラーゲンだとか、様々な酵素だとか、構造タンパク質だとか、僕たち私たちの体を作るプロテインは、すべてこのようにして遺伝情報を元に作られるわけですよ。だからですね、コラーゲン配合!なんていうサプリメントとかに甘えていて良いのか、みだりに摂って良いのだろうか、とか時々思うのですよ。体に必要なタンパク質はDNA情報を元に作られるべきものですからね。なんだかよく分かりません。
 ま、健康談議は本著とは関係ないので、とりあえずは遺伝子の偉大さに感服し、煩雑で大変なタンパク合成のプロセスにあきれたところで、本項の理解にいたったということにしておきましょう。

量的遺伝子と質的遺伝子

 DNAに記載されている遺伝子コード(アンチコドンですね)は、そのほとんどが使われていない無用な記録です。おかげでDNAはたいへん長大になり、3重コイルに巻き上げてさらに4つ折りにしてX形にひねって束にしないと細胞核に納まらないありさまで、ヒトの場合はこれが46本に分冊されています。ちょっと整理すればよさそうなものですが、もっと原始的で単純な微生物のなかには、染色体を100本くらい抱えて大きな顔してる片付け下手もいるらしいので、これに比べるとヒトの遺伝子はよく整頓されている方かもしれません。
 さて、この無駄に膨れ上がった量的遺伝子の山なのですが、ほんと何とかならないものでしょうか。それとも本当に不用なものなのでしょうか。
 筆者は、あれこれ想像力を働かせてですね、この量的遺伝子の存在するわけ、棄てられないわけについて考えてみたのですよ。

 今は無用な量的遺伝子も、かつては、今の生物に進化する前には実際に活用されていた質的遺伝子だったのだとしたらどうでしょう? つまり遺伝情報はその生物がたどった進化の道筋の記録だというわけです。もちろん進化のプロセスのすべてが記録として残っているわけではなく、いわばダイジェスト版みたいな情報が残っている気がするのです。
 生物は、常に進化し続けている存在です。とくにヒトのように種として進化してたかだか200〜300万年しか経っていない生物では、世代交代ごとの変異もかなり著しく、顔つきも目に見えて変わりつつあります。そうした変異がやがて次の進化を導く可能性であるわけですが、新しい変異が発現する度に、これまでの古い情報をちゃっちゃと棄てちまうわけではない、だから時々先祖返りみたいな変異も起こり得る、遺伝子の記録はそんなふうになっているに違いないのです。
 どの情報を残しどれを棄てしまうかは、その時々の偶発的な要因によるのかもしれません。上述した原始的な微生物では、ヒトよりもたくさんの遺伝子を持っているわけですが、それはヒトが高度に進化したおかげで片づけ上手になったからなのでしょうか、それとも日々進化し続けて性質が定まらないバクテリアにあっては、参照できるデータがたくさんあった方が有利だからでしょうか。いずれにしても、古い情報を捨てずに持っているという事柄は生物にとってひじょうに重要なことにちがいありません。

 生物は進化し続け、決して進化の逆行はありません。逆行はしないけれど、環境や競合する周囲の生物との駆け引きのために、古い遺伝情報を引っ張り出して来て使うなんてことがあるのかも知れません。
 DNAの情報を元に、タンパク合成に使用するメッセンジャーRNAを作成するとき、不用なデータ(イントロン遺伝子)を除去するスプライシングという煩雑な工程を通りますが、イントロン遺伝子はじつは少し前まで使われていた古い遺伝子で、必要に応じてスプライシングを調節して使用する、そんなふうになっているかもなのです。まったく使うことがないデータなら、タンパク合成のプロセスとは無縁の古書コーナーにでも置いておけば良いのですがから。必要な情報(エクソン遺伝子)ととなり合わせに置いておくなんて、わざわざミスを起こりやすくしているようなものじゃないですか。スプライシングなる工程には、遺伝情報を調整して活用する、なんらかの意味があるのですよ。
 ということで、古参の今は使われなくなった遺伝情報は、生物の形質を調節して環境に適応するための重要な"ゆとり"なんですよ、きっと。

獲得形質の記憶

 獲得形質というのは、生物が生きている間に経験をもとに会得した特徴のことです。ヒトの場合では、この獲得形質が生活に大きな影響を及ぼします。プロレスの選手が筋肉モリモリでたいへん力が強いのは、先天的な形質ではなく、日々の鍛練によって獲得したものです。
 そして獲得形質は遺伝しないということになっています、生物学上は。要するにせっかく鍛えて強くなったプロレスラーが子供を作っても、マッスルな子供ができるわけではないということです。
 獲得形質はまったく遺伝しない、だから進化はたまたま出現する幸運な突然変異に期待するしかない、果たしてそうなのでしょうか。歴代、マッスルな鍛練を繰り返した一族が、他の一族よりも筋肉が着きやすい体質の子を産むようになるなんてことはないのでしょうか。ありますよね、そういうことって。
 たとえば、生活環境が徐々に寒冷化するとしますね。生物は、たまたま出現する、寒さに強い突然変異を期待しながら耐え続けるしかないのでしょうか。遺伝子の中に、寒冷化対策を促すような形質の操作システムは存在しないのでしょうか。
 遺伝子の情報を用いたタンパク合成では、不用な情報を除去して必要な情報だけをつなぎ合わせるスプライシングというプロセスが存在します。このプロセスは、じつは環境に適応するための秘策なんじゃないかと思うのですよ。
 以下は筆者の想像なのですが、スプライシングによって除去されるイントロン遺伝子は、状況に応じて変わってくるんじゃないか、なんて考えています。つまりイントロン遺伝子の情報は状況に応じて必要になる場合もあると。
 生活環境が寒冷化した場合、スプライシングをチューニングしてタンパク合成を操作し、少し毛深い形質を発現することができる、そんなふうになっているんじゃないかと。
 そして寒冷化が恒常的で、あるいはますます厳しくなるようであれば、遺伝子評議会は、イントロン部位の毛深情報をエクソン遺伝子に入れることを決定するのです。寒冷化がさらに悪化するようなら、遺伝子評議会はデータベース管理スタッフに命じて、氷河期時代に氷床の上でウホッとか言って果敢に生きていたスノーマン時代のデータを古書庫から探して来させます。これを吟味して使える情報にいじくって、いつでも使えるようにイントロン遺伝子入りさせ、スプライシングスタッフにも使用準備を命じれば、環境の寒冷化が悲惨な状況になったとしても、次に生まれてくる子供は、体毛の質から異なる立派な氷河期仕様生物になっているというわけです。
 要らなくなった情報は棄てちまうのではなく、収容能力に余裕があればストックしておく、それが遺伝子の賢いところなのですよ。また膨大な量的情報をストックし次の細胞や世代にきっちりコピーしてゆくキャパシティこそが、遺伝子の神髄なのかも知れません。
 DNA中に存在する膨大な量の使われない情報は、生物を意図的に変異させるためにストックされた過去からの情報群であるわけです。

 獲得形質は遺伝しない。偉い科学者たちがみんなそう言っているのですから、そうなのでしょう。しかしながら、生物が生きている間に経験したこと、会得した特徴が、一代限りの刹那的実績で終わっちまうというのは、あまりにも悲しいではありませんか。
 獲得形質は、次の世代にすぐに変異をもたらすものではないかもしれませんが、それがなんらかの形で遺伝子の中に記憶されることは間違いない、筆者はずっとそう信じて来ました。人工的に生物の品種改良を行なって綺麗な鑑賞用動植物を作ったり、卵を多産するニワトリやウズラを作ったり、そういうことが可能なのも、遺伝子が生物が生きている時に経験したことを覚えているからじゃないでしょうか。
 そして何よりも、生物が生活状況の変化にしっかりついて行き、たくましく生きて行くには、獲得形質の記憶というシステムは不可欠だと思うのですよ。

 本項の、遺伝子評議会云々の話しは、筆者の遺伝システムの擬人化妄想であって、正しい学術用語ではないので、念のため。

獲得形質の記録

 前項では、生物が後天的に獲得した特徴が、何らかの形で遺伝情報として記憶される可能性と、タンパク合成の際にスプライシングプロセスで、イントロン遺伝子の用不用の判断という形で形質に反映されるのでは、ということを論じました。推論なんですけどね。でも、イントロン遺伝子が、全く不用な情報ならわざわざメッセンジャーRNA領域に挿んでおく必要はないわけで、スプライシングという煩雑なプロセスも虚しいだけじゃないですか。
 筋肉トレーニングを一生懸命がんばってですね、マッチョな形質を獲得したら、その経験は、今後はよりマッスルな方向に形質が発現するようにスプライシングがチューニングされるのかも知れません。つまり、イントロンの領域には筋肉の付き具合の幅が記述されていて、鍛練に応じて調整されるのです。イントロン遺伝子とは、全く不用な情報ではなく、いつでも使用されるように準備された形質発現の幅ではないか、それが筆者の考えです。
 イントロン領域には、状況の変化に応じて使う可能性のあるデータをたくさん並べてストックしてある、そんな感じじゃないかな。
 イントロン領域以外にも、不用な遺伝情報は山盛りで、DNAの中身は使われない量的遺伝子だらけなわけで、それらは生物がたどってきた進化の歴史のダイジェスト版で、DNAはタンパク合成のための機能よりも、膨大なデータライブラリーとしての役割がメインなのではと思えるほどです。そして、今は使われないデータライブラリーは、困った時の虎の巻だったりし、生活環境の変化にどう対処すべきかに窮した時に参照されるわけです。参照して使える情報があれば、メッセンジャーRNA作成領域に組み込まれるのです。進化上の過去の情報を参照するからといって、旧式の形質として発現するわけではありません。古い遺伝情報を参照することは、新しい形質を創造する確かな方法、すなわち温故知新が進化の神髄というわけです。

 生物が後天的に獲得した特徴や、生物が経験した生活状況の変化が、遺伝情報を用いたタンパク合成の際のスプライシンングプロセスに影響を与えるというのは、遺伝情報のイントロン領域に変化への適応に使える情報がストックされているという仮定に基づく推論なわけですが、では、イントロン領域に有用な情報がストックされたり、スプライシングのプロセスでその情報が選択されるメカニズムはということになると、筆者はまったく思考が及びません。
 ただ、DNAがじつは極めて動的に振る舞うことができるデータベースであり、その内容が生体内でしばしば書き換えられるのだとしたら、獲得形質や経験といった生物の後天的な情報がDNAに書き込まれて、生物の変異や進化に影響を与えることに期待がもてますね。
 そして遺伝情報の書き換え、すなわち生体内での遺伝子組み換えは、実際に生じることらしいのです。DNAはひじょうに複雑な構造に縒り上げられていますが、そのせいで1本鎖でありながら無数の交差ポイントがあり、そこで鉄道の進路が切り替わるように、遺伝子の組み換えが生じるのだそうです。むかし読んだ専門書に書いてありました。
 そうして後天的にえた特徴や経験は、遺伝子上に記録として残り、生殖細胞に受け継がれ、次の世代へと受け渡されるのかも知れません。そして次の世代でもその情報が必要なものとして活用されることになれば、情報は新たな形質として定着してゆき、生物の進化は能動的に推し進められることになります。
 生物の進化は、獲得形質の記録によって確実にそして漸進的に進行して行くことになります。生物の進化がひじょうにゆっくりと、そして一定方向に(環境により適応してゆく方向に)進んでゆくことは、ゆるぎない事実です。

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