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恐竜博物館

 2015年8月15日。福井県勝山市にある「福井県立恐竜博物館」に行ってまいりました。筆者にとって福井県は、両親や嫁さんの生家があり、息子も福井の病院で生まれ、かく言う筆者も大阪生まれではあるものの子供の頃は夏休みともなれば田舎に入りびたりで、今でも家庭内では福井弁が標準語というゆかりの地であります。正直生まれ育った大阪よりもずっと馴染みのある場所なんですね。大阪はヲタクの聖地日本橋以外はけっきょく馴染めないまま老齢に至りました。現在は兵庫県の山中に居住し、企業定年後は身近な能勢の山をせっせと攻略しようかとか企んでいる次第です。
 福井県勝山市の山中では、フクイリュウやキタダニリュウの呼称で知られるご当地恐竜がゴロゴロ発掘されているわけですが、なんで福井にばかり恐竜化石が集中しているのでしょう。うちのご近所の能勢の山には恐竜は埋まってないのでしょうか。ライオンやゾウさんも腰を抜かすような大型獣が、福井県にだけこじんまりと集中して生息していたわけではないはずです。……などと不平を言ってもどうにもならないのですが。
 もちろん、日本の恐竜たちがここいらだけに固まっていたというわけではございませんで、ジュラ紀のおいしい地層がデデーンと露出している立地が、古生物学者にとって日本一ってことなんですけどね。
 恐竜の発掘現場には嫁さんの実家から車で30分もあれば到着します。勝山市全域が、恐竜渓谷ふくい勝山ジオパークに指定されています、なんで"ふくい"が平仮名なのかは知りませんが。
 そして2000年に県立恐竜博物館が完成し、その周囲は恐竜発掘体験やら動く恐竜の棲む森ディノパークやらがある、かつやま恐竜の森になっています。
 恐竜さんたちがいなさらなくても、ここは昆虫の宝庫でして筆者にとってはむかしからワンダーランドであったわけですが、今ではレジャー施設が充実し、ずいぶんにぎやかになりました。九頭竜川の上流に位置し、近くには活火山である白山がある秘境の自然が開発によって損なわれるのではないかが心配です。
 そして折しも恐竜を現代に蘇らせた映画「ジュラシック・ワールド」が公開中ということで、秘境はますます脚光を浴びているようです。
 現在筆者は、陸棲哺乳類の進化について別に執筆中でして、絶滅動物たちの種々に標本について、じっくり見て回りたかったわけですが、館内には子供たちもたくさん来ていて、あたかもポケモンやらモンハンを見に来たノリで大はしゃぎしています。架空の怪獣たちと、この地に実際にいた巨大動物たちの痕跡と、少年少女たちにとってはどっちがロマンティックなんでしょうね。日頃はゲーム機器であるスマホを撮影機器に換え、骨格標本や動く恐竜模型に熱い視線を送っている彼らの瞳には、遠大な時を超えて蘇った動物たちの姿がどのように映っているのでしょう。



 恐竜の森に近づくにつれて、道路わきには何やら骨みたいなものがゴロゴロ転がっていたりします。



 園内はマンホールのフタもこんな感じです。



 これ、持って帰ったら怒られるでしょうね。



 コイのぼりならぬ恐竜のぼり。



 すてきな表札です。



 全長33mのエスカレーターで一気に地下展示場まで降下し、そこから上階を目指しながら見学します。



 館内には化石や骨格標本のみならず、緻密な動きを見せる動く等身大模型もたくさん展示されています。



 恐竜の骨格化石。魚の骨に比べるといささか大きいです。



 予想を上回る数の骨格標本が展示されていました。



 合衆国やカナダ、中国といった古生物先進国の博物館と姉妹提携しているので、外国で発掘された標本も豊富です。



 恐竜バスだぁ。電車で当地へお越しの方は、勝山駅からこれに乗れます。テンションあがりますね。



 フクイティタン号。なんか見てて恥ずかしいですけど。フクイティタンは福井の巨人の意味にして、ここで発掘された大型竜脚類の名前でもあります。



 なんか1匹逃げてますって。園内随所にこうしたリアルオブジェがあります。



 恐竜博物館遠景。シンプルだぁ。よく恐竜の卵とか言われますけど、生物の卵は構造上ダチョウのそれが大きさの限界に近いそうですよ。巨大な竜脚類がもしも産卵していたら、彼女にとって卵は米粒ていどのものになってしまいます。

 さて、恐竜博物館とは申しましても恐竜の化石だけを展示しているわけではありません。アンモナイトや三葉虫、マンモス、猿人といった数々の絶滅動物が展示してありました。恐竜のみにとくにこだわった施設ではないんですね。そこは一応県立の自然史博物館ですから、学術的に重要な展示がなされているわけです。恐竜は言わば客寄せパンダでもあるわけです。恐竜の魅力に誘われてここを訪れ、絶滅動物のいろんなことを知って帰ってもらう、それがここの重要な役割ですね。
 また、ご承知の方も多いと思いますが、学術的な定義では恐竜は爬虫綱中の竜盤目と鳥盤目の2つを含む恐竜上目の仲間ということになり、空飛ぶ翼竜も海に棲む首長竜も魚竜も、竜にして恐竜にあらず。恐竜博物館の恐竜はじつは展示の一部なんですね。筆者のようなアマチュアにとっては、中生代の温暖な気候に特化した大型爬虫類ということで、竜たちはみんな恐竜でいいと思うんですけどね。

ディメトロドン

2015/08/18


 盤竜類の仲間は、古生代の大型両生類が繁栄を極めている時代に、彼らと競合しながらも大型化を実現し繁栄をものにした驚異的な爬虫類でした。主流となる中生代以降の爬虫類の頭骨には側頭窓といわれる孔が2つあるのですが、それ以前の原始的な側頭窓が1つのタイプであったにも関わらず、爬虫類の未来を予想したような大型動物の輩出に成功したのです。
 ディメトロドンはその代表選手で、背中に大きな帆を持つとても特徴的な形態をしています。体長は3.5mにも達し、中型の恐竜に匹敵します。



 ディメトロドンの背中の帆は、優秀なラジエーターとして機能していたとされ、帆への血流を調節することで保温と放熱(おそらく集熱も)を行ない、恒温性を維持していたようです。恒温性は鳥類や哺乳類の専売特許と思われがちですが、爬虫類の多くも熱的慣性を利用した恒温性を実現しています。とくに大型動物ではそれが有効で、中生代の恐竜なども熱的慣性による恒温動物であったと思われます。



 ディメトロドンはまた、異歯性という形態を発達させつつありました。これまでの脊椎動物はノコギリ状の同じ形状の歯が並んでいるのみでしたが、この動物では哺乳類のように形状の異なる歯が発達しつつありました。
 同じ盤竜類の中にはエダフォサウルスのように草食に適応したものもいました。彼もディメトロドンと同様のラジエーターを背中に装備しており、植物食には欠かせない異歯性も発達させていました。エダフォサウルスの仲間はおそらく史上初の草食脊椎動物でしょう。

 恒温性と異歯性という発想は極めて哺乳類的であるわけですが、事実この初期の爬虫類の仲間から哺乳類の祖先型となる獣弓類が分化しています。

 中生代の恐竜類の進化のずっと前の古生代に、このような大型爬虫類が実在したことは驚くべきことですが、彼らは大型であるがゆえに古生代と中生代の境界となった異変を生き残れず、当時の進化的な両生類たちと運命を共にしています。

恐竜以前

2015/08/18


 大むかしの爬虫類と言いますと、恐竜に代表される大型動物を想像しますが、爬虫類はもとから大型だったわけではありません。両生類から進化したばかりの初期の爬虫類は、古生代中期の石炭紀前期に出現し、その大きさは全長15cmていどだったそうです。現生のニホントカゲみたいな感じの腹這いでチョロチョロ動く生き物です。
 初期の爬虫類が進化してきた頃は、陸地は両生類の天下でした。彼らは現生のカエルやイモリとはまったく別物で、全長1〜3mというサイズは当たり前、4〜5mに達するもの、9mという破格サイズのワニみたいな生き物、そんなのがノッシノッシと歩いていたそうです。
 古生代は両生類が支配的地位を獲得した時代で、ニュータイプの爬虫類は両生類の勢いに圧されて原始的な形態をとどめたままでした。
 両生類は、最初に地上に上がった脊椎動物ですが、体内受精と有羊膜卵を確立しておらず、繁殖は水の中で行なうという制限に縛られていました。羊膜は卵の中身を外界から隔絶すると共にガス交換も行なう器官として発達し、爬虫類が地上卵を実現するのになくてはならないものでした。地上卵を実現していない古生代の両生類たちが繁殖の時にだけ水の中に戻るというのは、ウミガメが産卵の時だけ地上に戻るのと真逆で、なんか面白いですね。
 交尾による体内受精と羊膜の外側をさらに卵殻で被った地上卵を実現した爬虫類は、地上の乾燥した土地に進出し、危険な両生類から逃れて細々と暮らしていたのでしょう。

 現生の両生類は、古生代の進化的な両生類に比べると原始的な仲間から進化した系統で、羊膜で被われた卵も持っていませんし、呼吸方法も原始的です。皮膚も爬虫類ほど強靱ではなく疎水性も弱く、皮膚呼吸や皮膚からの水分吸収といった機能を活用しています。それでも擬似的な交尾器を有して体内受精を行なうものや、卵胎生あるいは胎児が胎内で母親からの栄養供給を受けて成長する真の胎生のものが存在します。なので古生代の進化的な両生類が繁殖のために絶対に水域を必要としたとは言い切れない、そんな気がします。
 ただ、現生両生類の卵胎生や胎生、胎内受精は、小さな動物であるから実現可能な特性であるかもしれないとも思えます。現生の両生類は変態を経て水生動物の幼生時代から陸生動物の成体へと変貌を遂げますが(明確な変態が見られないものもいる)それも含め、新時代の両生類として獲得した新しい機能なのかもしれません。
 それにしても全長1〜5mあるいはそれ以上の獰猛なワニのような両生類の無羊膜卵ってどんなだったのでしょう。羊膜で被われない水中卵はある種のカエルやサンソウウオのそれのようにゼラチン質で被われた卵塊になっていたりしたのでしょうか。そこからオタマジャクシ様の幼体が孵化し、やがて変態してワニのような成体になったのでしょうか。それもなんだか想像しにくいですね。グッピーのように魚でさえ胎内受精を行ない卵胎生を実現している種があるくらいですから、古生代の両生類も多くが卵胎生で、いきなり陸生の幼体が生まれてきたのでしょうか。
 古生物の化石は硬質の骨の部分しか残っていないので、彼らの繁殖や成長過程がどのよなものであったのかを知ることはひじょうに困難でしょう。また、彼らの中から有羊膜類が分化したということは、古生代の両生類にも有羊膜卵あるいはその原型となるような皮膜を有する卵が発達していたのかもしれません。
 いずれにしても古生代の両生類と現生の両生類はまったく別物で、現生種を見て古生代の両生類がどうだったかを決めつけることはできないでしょう。化石証拠から判っていることは、彼らのうちの多くはひじょうに大型の動物に進化しており、陸地において支配的な地位を古生代を通して維持していたということです。

 繁栄を極めた両生類が衰退し、爬虫類が劇的な進化を遂げるきっかけとなったのは、地質時代が古生代から中生代へ移り変わることになったP-T境界と称される異変でした。異変の原因は解明されていないそうですが、海洋生物の95%が死滅するという壮大な絶滅劇が生じ、連鎖的に多くの陸生動物も失われました。こうした異変に最も弱いのは、大型で進化的な、いわゆる環境への適応度のきわめて高い生き物で、当時隆盛を誇っていた両生類が最も大きなダメージを受け、このことが中生代の爬虫類の爆発的な躍進のきっかけになったわけです。
 ところが、P-T境界以前の古生代において、両生類の大繁栄のスキを突いて大型化を実現して爬虫類の一派がありました。爬虫綱盤竜目の仲間には、全長4mにもなる大型動物に進化したものがいたのです。その代表格であるディメトロドンとエダフォサウルスは、背中に大きな帆を持つたいへん特徴的な動物でした。脊柱骨が伸長して大きな帆になったこの器官は、ひじょうに優れた体温調節器官であったと言われています。そしてこの仲間からやがて哺乳類に進化する獣弓類が分化することになります。
 盤竜類の仲間は爬虫類としては初期の原始的な系統であったにも関わらず、当時の大型両生類と競合しつつ大型化を成功させた驚異的な動物群でした。しかしながら彼らが成功者の一員であったことが敗因となり、P-T境界の異変では大型両生類たちと運命を共にすることになったのでした。

恐竜周辺

2015/08/20


 原始的な爬虫類である単弓類から進化した双弓類の仲間は爬虫類の主流を成すグループで、中生代の進化的な爬虫類から現生種までを含みます。爬虫綱を大別する単弓亜綱と双弓亜綱のうち単弓類には古生代に繁栄した盤竜類および哺乳類の祖先となる獣弓類が含まれ、双弓類にはそれ以外の数多くの爬虫類が含まれます。
 双弓亜綱の仲間はさらに鱗竜形下綱と主竜形下綱に大別され、前者には首長竜類や現生のヘビ、トカゲの祖先となる有鱗類などが含まれます。後者はより恐竜に近い、言わば典型的な中生代タイプの動物群で、ひじょうに進化的で特殊化が進んだ仲間が数多く含まれます。主竜形類の仲間は中生代では最も進化的な動物群として大きな繁栄を築きましたが、その大半が中生代の内に死滅してしまい、現存しているのはカメ類とワニ類だけです。
 右にごく簡単な爬虫類の分類表を記します。双弓亜綱のうち現存しているのは鱗竜形下綱ではムカシトカゲ目と有鱗目、主竜形下綱ではカメ目とワニ目になります。有鱗目以外の3目は今も中生代の動物とあまり変わらない姿をしていますが、有鱗目に属する現生動物すなわちヘビやトカゲの仲間はずいぶん様変わりしたものが多いです。中生代の有鱗類には全長10mを超えるヒレ足を備えたワニみたいな水棲有鱗類なんてのがいましたし。

 恐竜の仲間は、分類上では恐竜上目に属する鳥盤目と竜盤目の陸生動物ということになりますが、それ以外でも中生代には多くの爬虫類がたいへん大型化しました。鱗竜形類には上述の大型有鱗類の他にも首長竜類はヒレ足と長い首を備えた巨大水生動物を多産しましたし、主竜形類のカメ類やワニ類にもたいへん大きなものがいました。翼竜類の仲間は、現存するあらゆる鳥類を上回る大型の飛翔動物を輩出しました。また、現生のイルカとの平行進化の例としてしばしば取り上げられる魚竜の仲間は、形状もサイズもイルカに似た爬虫類で、中には4m級のものもいて、これも恐竜的な大型爬虫類と言えるでしょう。魚竜目は鱗竜形類や主竜形類とは別系統の広弓下綱というグレードの下に置かれるのがふつうみたいです。
 これらの大型動物が恐竜の名を冠していない事実は、多くの恐竜ファンをガッカリさせることでしょう。学術的な定義では、プテラノドン(翼竜)もエラスモサウルス(首長竜)も恐竜ではないということになってしまいます。しかしながら、たいへんドラマチックな巨大化を遂げた中生代の爬虫類をみんな恐竜と定義してしまうと、モササウルスを産んだ有鱗類も、ワニやカメもみんな恐竜ってことになってしまいます。
 恐竜上目という学術上のグレードを、中生代のドラマチックな動物の代名詞としてクローズアップした結果、その名称ばかりがどんどん膨らんで、なんで翼竜や首長竜が恐竜じゃないねん、という不満を産むことになってしまったのでしょうね。
 中生代の恐竜が繁栄した時代には、ネコより小さな爬虫類はいなかったとも聞いたことがあります。現生のトカゲの仲間の場合はネコ並みの動物となるとたいへん大きな動物ということになりますが。ずいぶん事情がちがっていたわけです。
 中生代の大型動物たちの繁栄を支えたのは、現在よりもずっと温暖だった気候でした。我々人間なら暑さでのびちまうような温暖化が彼らの暮らしを支えていたのです。

 爬虫類は変温動物で、鳥類や哺乳類は恒温動物であると学校で習いますが、この分け方は爬虫類の生態を知るうえでかなり支障があります。爬虫類は確かに自ら熱を発して体温を維持せず、外気温に体温をゆだねており、朝夕や季節の変化によって体温が変化するので変温動物と呼称するのは誤りではないのですが、中生代のような温暖な気候では外気温にゆだねたところで体温はあまり低下しません。巨大な動物になると保温よりも放熱に苦労したほどだと言われています。なので、中生代の爬虫類たちは常に一定以上の体温を維持していたと思われます。中生代と言えども夜間や曇天続きの場合にはあるていど気温は低下したのでしょうが、大型動物は保温性も高く、代謝効率が著しく低下するほどの体温低下はなかったでしょう。外気温が低下しても彼らの体温はそれに即してすぐに低下するわけではなく、かなり温存されていました。動いている物体の動力が絶たれても慣性の法則に従って動き続け、徐々に失速して行くのと同じで、体温も熱源が絶たれたからと言って直ちに冷めてしまうわけではありません。保温性が高ければかなり効果的に体温は温存され、恒温動物のようにふるまうことができます。
 熱慣性によって体温が温存されあるていどの恒温性を維持している動物のことを、熱的慣性恒温動物と呼ぶことがあります。現生の爬虫類や両生類でも外気温より高めの体温を維持している生き物が少なくありません。
 中生代の爬虫類のほとんどが熱的慣性恒温動物であり、かなり高い知能を有するものも少なくありませんでした。恐竜の中には営巣や育児の痕跡が残っているものもありますし、チームワークで狩りをする社会性を有するものもいました。彼らは中生代の温暖な気候に支えられてひじょうに高度に進化し、現生の哺乳類に引け劣らない知性的な暮らしを送っていたのです。

ステノプテリギウス

2015/08/20


 魚竜の仲間は、中生代前期の三畳紀に初期の双弓類から分岐し水棲生活に移行した動物群で、双弓類の2大勢力である鱗竜類および主竜類とは別系統の道を歩みました。彼らは恐竜の出現よりも早く出現し、鱗竜類や主竜類が陸棲動物として大型化多様化を目指す折り、河川から海洋へ進出し繁栄を築きました。
 魚竜類の繁栄は中生代後期の白亜紀まで続きますが、遅れて進化してきた首長竜類の繁栄に圧され、死滅しています。中生代の進化的な爬虫類たちは、新生代との境界となる異変が原因で死滅しますが、魚竜類はそれよりも早く、首長竜との競合に負けて滅びました。



 魚竜の仲間としては有名なイクチオサウルス同様、本種も現生のイルカにひじょうによく似た形態をしていました。イルカと進化的な魚竜類は収斂現象あるいは平行進化の例としてしばしば取り上げられます。洗練されたフォルムは彼らが優れた遊泳能力の持ち主であったことを想像させますし、イルカと同じように魚を採って暮らしていたことでしょう。
 イルカと大きくちがっているところは、尾骨が尾ビレの下端に及び、縦型の尾ビレを左右に動かして泳いでいたことで、イルカの場合は横型の尾ビレを上下に動かします。



 このように完全な水棲動物に進化した生き物は、爬虫類でありながら地上に卵を残すことは困難でしたでしょうし、地上卵から孵化した幼体が海へ這ってゆくことも困難であったでしょう。かと言って有羊膜卵を海中に産卵することも考えにくく、彼らが胎生であったことが想像されます。
 現在は魚竜類のような完全水棲爬虫類はウミガメやウミヘビくらいしか存在しませんが、ウミガメやウミヘビは陸地に上がることができ地上に産卵します。一部卵胎生のウミヘビもいます。

エラスモサウルス

2015/08/20


 爬虫類を大きく2分する鱗竜類と主竜類のうち、有鱗類と共に鱗竜類を代表する動物群に首長竜類がいますが、これはえらい生き物ですねぇ。えらいというのは偉大というのではなくて、えらいことになってるという意味です。だって首が体より長いってどゆこと? ろくろ首もビックリですって。知ってます? ろくろ首。江戸時代に人気を博した日本妖怪の有名人です。
 中生代初期、爬虫類が爆発的な進化放散を開始した頃、鱗竜類は主に水棲に、主竜類は陸棲に適応していったような気がします。鱗竜類の仲間には首長竜以外にもモササウルス(有鱗目)のように極めて水棲生活に適応した大型動物が存在しましたし。
 対する主竜類の大半を占める恐竜の仲間はいずれも陸棲です。水辺で暮らしたり頻繁に見ずに入ったりする動物はいたでしょうが。ただ、主竜類の中でも恐竜以外は、カメ類は淡水および海水に適応し、ワニ類は水中で狩りをする水辺の生き物という適応をしました。カメ類は繁殖は地上で行なうというくびきを断ち切れていませんし、ワニ類は古生代の大型両生類の位置づけを継承した感じです。



 エラスモサウルスを含むプレシオサウルス上科の動物たちは、いずれもひじょうに長い首を備えた大型動物ですが、その中でも本種はとくに巨大で全長が14mにも及びました。そのうちの8mが首です。首は体の後半部に顔を届かせられるほど長く、自在に動き回り、これに対して胴体は短くて固定的で尻尾も小さくてほとんど機能していませんでした。プレシオサウルス上科の動物の水力は大きなヒレ足で、これをオールとして用いることで遊泳しました。オールを力強く動かして泳ぐためには、胴体はしなやかであるよりも固定的でしっかりしている方がよかったのです。その代わりに首が独立した生き物のように自在に動いて、魚を仕留めていました。



 首長竜の仲間は大半が長い首を有していましたが、クロノサウルスやリオプレウロドンのように短い首と大きな頭部、ワニのような口器を有する仲間もいました。彼らはたいへん獰猛で、大型の魚やワニを仕留めていたようです。

 むかしむかし、スコットランドのネス湖に恐竜が出たとウワサになり、調査隊が組まれるわ、博物館ができるわで世界的な話題になりました。日本でも池田湖のイッシー、屈斜路湖のクッシーが一頃話題になりましたが、存在を証明する確たる証拠が出なくて、そのうちみんな飽きちまうわ忘れちまうわで、恐竜現代に蘇るの巻はおとぎ話に終わりました。
 でも、福島県で高校生の鈴木君が見つけたフタバスズキリュウは骨格化石という確たる証拠が残り、Futabasaurus suzukii という学名も付けられました。生きた証拠じゃなくて残念ですが。
 ぶっちゃけ、ネッシーもクッシーもイッシーもフタバサウルスも、恐竜ではなく首長竜目プレシオサウルス上科の仲間で、たとえ生きていたとしても現代に蘇った恐竜ってことにはなりません、学術的には。
 でだ、首長竜にしろ恐竜にせよ、6500万年前に滅びたとされるものの生き残りが現存し得るかという話しになると、あれこれ考えてみて、あり得ないと断じざるを得ないですね。ギアナ高地の昆虫じゃあるまいし、観光地にもなるような場所にいる大型動物が人間様の調査を振り切って存続し続けられるかよ、って話しです。子孫を残すにはそこそこの数が生息していないといけません、せめて100頭はいてもらわないと。100頭いれば見つかるでしょう。気温の問題もあります。九州の池田湖はまだしもネス湖や屈斜路湖は外温動物の首長竜が活動するには寒冷すぎます。6500万年の歳月のうちに進化して内温性を獲得したとしたら、存続可能な頭数の首長竜を養えるだけの餌が足りません。夏期だけ活動し、寒冷な季節は休眠するという生態を獲得したとしたら。究極の特殊化を果たした巨大な生き物に、内温性だの寒冷期の休眠だのという新たな機能を追加する余地はないでしょう。あんなデカいもの簡単に変容させられまへん。
 新生代は、地球全域が寒冷化する氷河時代と比較的温暖な時代が数回に渡って繰り返された時代です。比較的温暖な現代でも中生代に比べると平均気温が10℃以上低くなっています。こんな時代に彼らは適応できないです。
 もしも中生代の進化的な大型動物が生き残っているとしたら、年間を通じて高温で、しかも新生代以降に進化した動物がほとんど入り込んでいない秘境ということになるでしょうね。海と岩礁に阻まれた絶海の孤島と言えども、鳥や昆虫、流木に乗って漂着する動物などが入り込みますし、植物も新しいタイプのものが進出しているでしょう。南米やオーストラリア大陸のように独自の進化を遂げた動物群が健在であるためには秘境と言えども充分なポテンシャルを持った広大な土地が必要でしょう。そんな土地は地球上には残っていそうにありません。
 6500万年という時間は、彼らにとってあまりにも長すぎました。たとえ一握りでも、たとえひじょうに小型の種であっても、絶滅系統の生き残りが存続し得る時間ではありません。
 恐竜と同じ時代に生きていたワニ類とカメ類は、現在も中生代からそれほど変わらぬ姿で生きています。であれば小型の恐竜ならどこかでひっそりと生きながらえている可能性があるかも。残念ながらそれも考えにくいですね。それが可能ならばトキは滅びないし、新生代中期に栄えた進化的な哺乳動物も衰退することはなかったでしょう。カメもワニも見た目は似ていても中生代のそれとは別物です。中生代の覇者たちは、すでにその役目を終えてこの世を後にしているのです。

アーケロン

2015/08/20


 爬虫類は、頭骨側面にある穴の数で単弓類、無弓類、双弓類に大別されますが、側頭窓が1つの単弓類は古生代に栄えた盤竜類の仲間や後に哺乳類が分化する獣弓類を含むグループで、側頭窓が2つの双弓類は中生代になって爬虫類としての躍進的進化を遂げた仲間ということになります。残る無弓類は、側頭窓がない爬虫類で、原始的で初期の爬虫類が含まれるとされてきました。筆者が若い頃には、単弓亜綱、双弓亜綱と共に無弓亜綱として扱われていましたが、単に側頭窓がないことで無弓類とするのは、化石の形状だけで判断した安易な考えだったということで、現在は無弓類はグレードとして認められていないようです。最も初期の爬虫類ウェストロティアーナなども無弓類には入れられていないようです。
 それでも無弓類には、クストサウルスやパレイアサウルスといった動物が含まれるとされ、素人の筆者は思わず、どうやねん!? と叫んでしまうわけですが、かつて無弓類が無弓亜綱として認められていた頃には、カメの仲間もここに含まれていました。
 しかし現在は、カメ類は進化の過程で側頭窓を失った双弓類として分類されています。双弓類を2
分する鱗竜形類と主竜形類のうち後者は、ワニ類を含む主竜類、恐竜類、翼竜類といったいかにも大型爬虫類といった感じのそうそうたる動物群を含むわけですが、カメ類はこれら3つの竜の仲間に属さない別系統の動物群として主竜形類に含まれています。



 現在もカメの仲間はよく繁栄していて、様々の種類がいますが、甲羅を背負ったスタイルは中生代から変っていません。そして中生代のうちにウミガメの仲間は海洋に進出しました。アーケロンはその最大主で、全長4m、前足を広げると差し渡しが5mに達するというたいへん大きな、中生代らしい動物です。オールと化した大きな前足だけで泳ぐスタイルも現生のウミガメと同じです。



 アーケロンも現生のウミガメのように産卵のために陸に還っていたのでしょうか。だとすればウミガメの産卵は中生代から受け継がれた古典的な生態ということになります。アーケロンは現在のアメリカ大陸の浅い海に棲んでおり、現生のウミガメのように遠洋に進出することはなかったようです。
 

ケツァルコアトルス

2015/08/20


 中生代は爬虫類が支配的な地位を確立した時代でした。先代の両生類も、次世代を担う鳥類や哺乳類も、爬虫類の繁栄に阻まれ思うように進化できませんでした。陸生脊椎動物の進化の歴史は、いつの時代も1群独裁が基本で、2つの動物群が2大政権を握って拮抗するようなことはありませんでした。中生代は事実上爬虫類の時代であったわけで、地球上の様々な環境に様々な動物が進化放散して行きました。
 とは言え、その多様化は哺乳類ほどではなく、中生代は地中や樹上は比較的ノーマークでした。現在でこそ地中や樹上はヘビやトカゲの繁栄の中心舞台となっていますが、中生代の爬虫類は森にいても木に登るよりも大地を闊歩し、土に潜るなんて地味なことはお断りだったんですね。目がよく発達しており、物事を視認する行動が中心でしたから夜行性動物も多くはなかったようです。なので、当時の哺乳類は、夜間に活動したり地中に営巣したりすることで、大型爬虫類の脅威から逃れ、地味に繁栄していたわけですね。中生代には数で爬虫類を凌駕するほどのネズミタイプの哺乳類が棲んでいました。
 地中ともうひとつの盲点である樹上は、初期の恐竜の仲間から分化した鳥類たちが営巣等で利用していたと思われます。
 鳥類たちは、駿足ランナーの小型恐竜から進化しました。なので彼らは助走して飛び立つ技を最初から会得していたのですが、恐竜とは別系統の主獣形類として進化してきた翼竜類は、現生の飛行能力を持つ哺乳類すなわちコウモリやムササビ、モモンガ、ヒヨケザルのように、高所から飛び下りることで浮力を得て飛行することを発達させたと思われます。
 現生の飛行能力を有する哺乳類の進化は、木から木へと飛び移る生活からやがて滑空能力を発達させたわけですが、翼竜類はどうだったのでしょう。翼竜類の祖先が樹上生活者であったことはあまり考えられません。現生のトカゲのような木登り上手の主竜形類が見当たらないのです。
 翼竜類はひじょうに高度な滑空の名人ですが、鳥類ほど自在に飛び回ることはできなかったでしょう。現生の小鳥たちは木々の間のような場所でも器用に飛び回りますが、翼竜類はもっと開けた土地で優雅にグライディングを行ない、ワシやタカのように小動物を狩ったり、海上を飛んで魚を採ったりしていたのでしょう。
 彼らは丘の急な斜面や崖のようなところに営巣して子育てを行ない、そういう立地から飛び下りることで浮力を得て飛んでいたと思われます。
 現生の大型の鳥類も平地を助走して飛び立つのは苦手です。フラミンゴほどのサイズになりますと、充分な助走距離あるいは充分な向かい風がないと飛び立てませんし、大型のワシやタカは飛び下りたり上昇気流に乗ったりして飛び立ちます。彼らが崖に営巣するのは常時上昇気流が発生しているような立地だからです。
 翼竜類の仲間は、前足が進化した翼はひじょうに立派ですが、後足は退化的で華奢です。彼らは地上を歩き回るのは得意ではなかったでしょうし、浮力を得るほどの助走も不可能だったでしょう。何かの事情で無風の平地に降りることになってしまった翼竜は、たちまち捕食動物に狩られる危機に瀕したことでしょう。



 翼竜類ではなんと言っても翼の開長が9mにもなるプテラノドンが有名ですが、ケツァルコアトルスはさらに大型で、開長が12mに達しました。でかいですね。この史上最大の飛行動物が大空を飛ぶ雄姿は圧巻だったでしょうね。映画「ジュラシック・ワールド」では、翼竜がワシのように後足で人間をさらって行くシーンがありますが、彼らの後足にそれほどのパワーがあったのかどうかは疑問です。
 翼竜類はまた、鳥類ほどには羽ばたかず、その飛行はほぼ滑空に依っていたようです。翼を動かすのは操舵のためで、鳥類のように羽ばたいて浮力を得て、急上昇したり微速前進したりといった芸当はできなかったと思われます。1枚の皮膜で構成される翼竜の翼はとてもシンプルな構造で、鳥類のような複雑な動きはできなかったでしょう。



 翼竜類がどんな動物からどのようにして進化してきたかは謎です。翼竜類の祖先型となる動物として、初期の恐竜に近縁な動物ラゴスクスが候補に上がっています。ラゴスクスとはウサギのようなワニという意味だそうで、すばやく走り回ったり跳ねたりすることが得意な4足動物だったのでしょう。
 ラゴスクスのような動物が、駆けたり跳ねたり高所から飛び下りたりといった生活を続けるうちに、駿足の2足歩行の小型恐竜が導かれる一方で、翼竜類が分化したのでしょうか。ただ、ラゴスクスから翼竜へと進化する過渡的動物の化石は見つかっていないようです。
 鳥類が5本の指が翼の骨格に変化したのに対して、翼竜では前足全体がひじょうに長くなるのに加えて親指だけが異常に伸長して、たいへん大きな翼を形成するに至りました。なので翼竜は翼の途中に指を持っているのですが、これはあまり役に立たなかったでしょう。
 滑空生活に特化した翼竜類は、飛び回ることは得意でも、餌を採ったり地上を移動したりといったシーンではかなり不器用だったと思われます。それでも彼らがよく繁栄し、多くの種類が分化したのは、飛ぶことで行動半径がひじょうに広くなり、索餌や生活圏の拡大という点で大きなメリットがあったからでしょう。

アーケオプテリクス

2015/08/22


 ジュラ紀に生息していた最古の鳥類、いわゆる始祖鳥の仲間です。鳥類はもちろん恐竜ではありません。ありませんのだが、原始的な恐竜から分化した仲間として恐竜の仲間にいれるべきだとする考え方もあるようです。実際、鳥類が分化した当時の小型2足歩行の恐竜たちは骨格的に鳥類との差異がほとんどなく、羽毛を持っていた可能性が指摘される種もあるくらいです。
 でも、それだからと鳥類を爬虫類の中に編入するなら、進化してきたばかりの哺乳類も爬虫類と大差はなく、哺乳類も爬虫類に入れるべきだってことになりません?



 始祖鳥は、翼の途中に指があるなど、現生の鳥類とはかなり異なった形態をしていますが、羽毛を有し飛行生活をしていたことは間違いないみたいです。
 その飛行の様子が、翼竜類のような主にグライディングによるものだったのか、羽ばたいでより高度な飛行を行なっていたのかは判っていないそうですが、現生の鳥類ほど器用ではないにせよ羽ばたくことができたと思われます。



 また、始祖鳥が地上性の動物だったのか、樹上性だったのかも学者先生によって意見が分かれるところらしいですが、筆者は、鳥類の祖先型の動物が俊足のランナーであったこと、始祖鳥もなかなか強靭な後足を有していたことから、地上性であったと考えます。
 鳥類移行型の動物たちは、後足2本で駆け回ったりジャンプしたりする習性により敵から逃れたり獲物を追ったりしていたのでしょうし、そうした習性からより滞空時間の長いジャンプが導かれ、羽毛の発達に伴って飛行能力を会得したのだと考えています。
 問題は羽毛の発達です。羽毛はひじょうに優れた飛行用の素材です。翼竜類の1枚の皮膜では裂けたりするとまったく飛ぶことができず致命傷になってしまいますが、羽毛というパーツで構成される翼はダメージに対してひじょうに有利です。また、翼の部位に応じて様々な形状の羽毛を備えることによって複雑で高度な飛行が可能になりました。羽毛はまた、保温や放熱、撥水に威力を発揮し、体を保護する体毛としては究極の進化型とも言えます。羽毛の発達は祖先型の小型恐竜が軽快に行動したり、体を保護するのにも大いに役だったでしょうし、様々な用途として発達し、その結果として飛行という生態が導かれたのでしょう。



 鳥類はコウモリやムササビなどの飛行する哺乳類とは異なり、助走によって浮力を得て飛行する技術を初期の頃から確立していたでしょう。なので羽ばたいで高度な飛行、上昇や小回り急加減速といったこともいくらか可能で、正確な着地も可能だったでしょう。なので着地してすぐに飛び立ったり、木の枝に着地したりということもできたでしょうから、木々の間という複雑な地形も移動し、樹上生活も可能であったと思われます。樹上に営巣していた可能性もあるでしょう。
 一様に大型化を目指し、ネコより小型の爬虫類はいなかったと言われる爬虫類支配の中生代は、樹上には昆虫くらいしかいませんでしたから、鳥類は樹上に棲みついた最初の脊椎動物なのかも知れません。

ゴビコノドン

2015/08/22


 中生代は爬虫類の時代で、哺乳類は中生代前期の三畳紀には出現していたにもかかわらず、中生代を通じて小型のネズミタイプの生き物に甘んじていました。彼らの多くは地中生活で主に夜間に活動し、昆虫やミミズ等を食べていました。
 時代の覇者である爬虫類の仲間はこぞって大型化を目指し、樹上と地中は比較的ノーマークでしたから、鳥類は樹上にそして哺乳類は地中に棲み分けることでけっこう繁栄していたのです。樹上や地中は安全である上に餌となる昆虫類が豊富でしたし。中生代の哺乳類は、生息数では当時の爬虫類を凌駕していました。



 中生代の哺乳類も現生のそれと同様に育児を行ないベビーに授乳していました。地中に穴を掘って営巣し、多くは社会生活をしていたようです。
 繁殖は卵生です。鳥類と同じく卵を産んでいました。抱卵して孵化した子供に授乳するという生活ですね。哺乳類が卵を産まなくなったのは中生代後期になってからです。哺乳類というと胎生と思われがちですが、進化史の中では卵生時代の方がむしろ長かったわけです。一方、爬虫類でも水棲に移行したものや、ひじょうに大型化したものは卵ではなく子供を直接産んでいたでしょうから、胎生ということでは爬虫類の方が哺乳類よりも先んじていたわけです。ちなみに現生の爬虫類にも胎生種は少なくありませんし、両生類にも胎生のものがいます。
 当時の哺乳類の中でも三錐歯目の仲間は、比較的大型の動物を輩出し、ゴビコノドン類には全長1mを超えるものもいたようです。最小の恐竜とほぼ同等のサイズです。

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目次
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