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■陸棲動物の進化■

  太古のむかし、生物は海で育まれましたが、生命の元を創造したのは大地でした。大地で誕生し海に解き放たれて繁栄を築いた生命は、再び大地を目指しました。
 最初に大地を彩ったのは、バクテリアの仲間で、彼らは鉱物層を土に変え、そこに様々な微生物や植物を迎え入れました。
 陸地に植生が整いたくさんの微生物が増えて来ると、やがて軟体動物や節足動物の仲間が陸を目指しました。わけても節足動物の地上での活躍は目覚ましく、多足類(ムカデやヤスデ)やクモ類、昆虫類が進化して来ると、彼らは地上のあらゆる場所に適応放散し、空を飛ぶものも現れました。
 そして彼らよりかなり遅れて、脊椎動物の仲間が陸へ進出しました。最初に陸地を目指した魚類には、様々な難問が待ち受けていました。陸棲生活への適応は、すなわち空気中での暮らしへの適応です。空気中では、自分の体重を支えるのに強固な構造が必要になりますし、移動のための器官もヒレでは役に立ちません。体内環境を乾燥から守るための重厚な皮膚も必要ですし、呼吸方法もこれまでとは異なります。また、魚たちは生殖を体外受精に依っていたので、繁殖には水域が不可欠でした。
 そんなわけで、脊椎動物が水域を離れ、完全な陸生動物になるには、多くの問題を解決しなければなりませんでしたし、長い長い時間をかけた試行錯誤の繰り返しでした。それでも彼らは陸上生活を目指したのです。彼らを駆り立てたものは、いったい何だったのでしょうか。

陸生動物以前

  生物進化の歴史は大変ドラマチックで、感動に満ちあふれています。その奇跡の技の数々に、神の手を借りたような計画性に、思わず驚嘆してしまいます。
 40億年以上前の地球は、メタンと炭酸ガスの蒸し暑い大気に覆われ、宇宙線や太陽からの強烈な紫外線にさらされ、巨大な電子調理機状態でした。それから20億年の歳月を費やして実験を繰り返し、大地は小さな微生物を産み、さらにもう20億年をかけて、それを絶やすことなく育て上げ、海に多細胞生物を放ちました。
 そして40億年に及ぶ手間をかけて自然が作り出したものは、炭酸ガスを吸って酸素を排出する、植物という名の壮大なガス交換システム。遊離の酸素で満たされた大気と、オゾン層による危険レベルの紫外線遮蔽機能が、このシステムによってもたらされました。
 酸素は海にも溶け込み、酸素の強い結合作用によって炭素化合物を燃焼させてエネルギーを得るタイプの生物、すなわち動物の繁栄をもたらしました。
 今から5億年以上前、青く澄み渡った海洋が地球全体を覆うようになると、様々なタイプの動植物が爆発的な進化と分化を遂げ、生物の多様性の基盤が完成しました。40億年に及ぶ研究と実験がようやく実を結び、全地球規模の生態系が誕生したのです。


 生物を育み、爆発的な進化と発展を促し、地球上生態系を確立させたのは海ですが、生命が誕生したのは大地であったと思います。原始の地球上の大地には、有機物で満たされた水溜まりが点在し、粘土のフィルターによる選別作用と、日照りによる脱水縮合作用によって次第に高濃度の有機物スープになっていったのでしょう。
 海にももちろんたくさんの有機分子が存在しましたが、彼らは他の有機物に出会うよりも何千倍もの確率で塩分子と衝突してダメージを受け、有機物同士の有益な凝集の機会には恵まれなかったでしょう。
 大地の水溜まりで凝集された有機物は、宇宙線や紫外線による電子調理による数々の実験にさらされ、生物に必要なアミノ酸や核酸が誕生しました。そしてタンパク質による体の構造とその組成を記述する遺伝子機構の原形を産み出すのに、20億年の歳月が費やされ、本格的な生物の時代が幕を開けるのにさらに20億年近い時間を要したのです。


 古生代カンブリア紀と言われる、今から約5億年以上むかし、様々な海洋生物が爆発的な進化を遂げたこの時代に、当時もっとも進化的で大繁栄を遂げたのが、節足動物といわれる仲間でした。多くの節から成る外骨格で形成されるユニークな構造を持つ彼らは、カンブリア紀に驚くべき多様化と大型化を進め、太古の海を席巻しました。ウミサソリの仲間や三葉虫の仲間は古生代を通じて繁栄し、遅れて登場した魚類の進出によって次第に姿を消していったのですが、その一部は陸地を目指し、そこで新たな繁栄を築きました。
 甲殻類や、ムカデやヤスデを含む多足類、クモ類、そして昆虫類が陸生動物としての繁栄を極めました。軟体動物の一部や微細な虫たちにも陸上生活に適応した者がいましたが、彼らは水辺や多湿の場所で水に依存して暮らすことがほとんどで、節足動物のように乾燥した土地にもどんどん進出して大型化するようなことはありませんでした。
 陸生動物が水辺から離れて行くのにクリアしなければならない問題は、水を必要としない生殖でした。そのために彼らは交尾による体内受精と、丈夫な被膜で覆われ乾燥に耐えられる卵を発達させました。完全な陸上生活を営むには、幼生も空気中で暮らさねばならず、丈夫な外骨格を有する節足動物はその点でも有利でした。
 節足動物の中でも昆虫類は、陸生動物として最初の大繁栄を築いたグループで、あらゆる環境に適応して行くと共に、地球上で最初の飛行動物を産みました。
 脊椎動物の仲間が陸上生活を目指す頃には、大地はたくさんの虫で満ちあふれており、陸に上がった最初の魚は、とりあえず餌には困らなかったようです。


魚類の進化

  最初の脊椎動物の進化は海で起こり、それは魚類というたいへん大きなグループを築きました。最初の原始的な脊椎動物は無顎魚類といわれる、上下に開閉する顎を持たない仲間ですが、その後、強靭な顎と硬い装甲を有した甲冑魚の仲間や、刺状の鱗を持つ仲間、サメやエイ等の軟骨魚類などが次々と出現し、大型で獰猛な海洋動物が古生代の海を支配しました。
 刺状の鱗を有する刺魚類の仲間は、巨大な軟骨魚類の猛攻を逃れて河川や干上がりやすい水域に適応し、補助呼吸器として肺を発達させました。しかし、その肺を浮力調整タンクに変え、洗練されたフォルムと強力な遊泳能力を獲得した真骨類が進化してくると、彼らは再び海洋に舞い戻り、爆発的に数と種類を増やしました。真骨類は魚の仲間の事実上の最終形態であり、現生の魚もほとんどが真骨類です。
 地質時代表記で古生代デボン紀(今から約4億1600万年前から約3億6700万年前)は、魚の時代とも言われていますが、同時期に両生類も進化して来ています。
 真骨類が水中生活者として究極の進化を遂げる一方で、淡水生活に留まり、より浅い水域に逃れて行った仲間は、舟のオールのように柄のついたヒレで川底をかいて前進したり、肺呼吸することによって、泥沼のようなところでも暮らせる術を身につけました。
 彼らは餌が豊富な水域よりも、敵の少ない安全な地を求めて行った結果、大きな魚があまり寄りつかない浅瀬や沼地に進出したのでしょう。そうした負け犬生活者の中から、ヒレを脚に変えた両生類が誕生したのでした。

 魚類は脊椎動物の仲間の8つのグループのうち4つを占め、魚形類とも称されます。最初に誕生した無顎類、甲冑魚の仲間である板皮類、それに軟骨魚類、硬骨魚類の4つです。このうち板皮類は、古生代のうちに滅んでおり、軟骨魚類はサメやエイといったダイナミックな海洋動物(一部淡水魚)を構成しています。硬骨魚類には上述の刺魚類や真骨類が含まれます。
 ただし、最近の考え方では、無顎類を魚類ではなく魚類の前段階とし、脊椎動物を無顎類と有顎類の2つに大別しているようです。で、有顎類7グループのうちの3つを魚形類とするのです。魚形類のうち板皮類は古生代のうちに滅亡しているので、現生の魚類は軟骨魚類と硬骨魚類の2つですね。
 ちなみに有顎類7グループ中、魚形類を除いた4つは、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類で、これらをまとめて四足類ともいいます。


両生類の進化

 地質時代表記で古生代デボン紀(今から約4億1600万年前から約3億6700万年前)は魚の時代でした。最初の脊椎動物である魚類は、主に淡水域で暮らしていましたが、真骨類という硬骨魚類の仲間が登場してからは、海にもどんどん進出するようになり、先住の大形海洋動物を蹴散らして世界中の水域で優位を占めました。
 そうした華々しいドラマの陰で、強敵から逃れてより浅くて干上がりやすい場所へ進出して行った魚類の中から、両生類はこっそりと分化しました。最初の両生類の出現はデボン紀後期から末期であると言われています。
 両生類の直接の祖先とされる魚類はかなり大形で、浅い水底をかいて進むための柄のついた扇状のヒレを持っていました。魚類の胸ビレと尻ビレが体側の腹面寄りに付いていたことは、彼らには実に幸いで、おかげでヒレで水底をかくという動作もスムーズに実践でき、そのことがヒレを4足へ進化させ、両生類を導きました。一般的な魚類の胸ビレや尻ビレが腹面寄りに付いていたことは、両生類が進化して来るための前適応であったと言えるかもしれませんね。ただ、両生類へ移行した魚には腹面寄りのヒレが3対6枚ありましたが、最後尾の2枚は退化しました。
 現生のシーラカンスは柄の付いたヒレを持つ肉鰭類の生き残りですが、この魚はどうしたことか、深海に進出しています。シーラカンスは典型的な魚スタイルである左右に偏平な形状をしていますが、デボン紀の肉鰭類には円筒型から上下に偏平な仲間が少なくなかったでしょう。そして左右偏平スタイルのものの中から真骨類が、上下偏平型から両生類が分化したと思われます。左右偏平型の魚は遊泳能力に優れ、 上下偏平型はどちらかというとのろまな魚でした。
 でも、当時の淡水域ではのろまタイプが主流で、左右偏平型は大型で獰猛な上下偏平型から逃げ延びるために敏捷性を身につけた小魚だったにちがいありません。生物の進化においてニュータイプに移行するのは弱者であるのが常です。
 淡水域の大型肉鰭類から逃れ海洋へ進出した真骨類は、サメやエイといった軟骨魚類の脅威に愕然としたことでしょう。しかし海に至るまでに卓越した機動性を会得していた彼らは、軟骨魚類の猛攻をかわし、海での居場所を確保し、やがてあらゆる水域で優位を獲得するに至るのです。ちなみに軟骨魚類は上下偏平型なので、水揚げされてもいつもの姿勢を維持していますが、真骨類は丘に上がると横向に倒れてビチビチ跳ねていますね。

 さて、淡水域で繁栄を築いた上下偏平型の肉鰭類ですが、彼らも目覚ましい進化を遂げる真骨類にいずれは優位を奪われることになります。その少し前に、肉鰭類の中でも劣勢の仲間は、どんどん貧しい水域へ逃げて行き真骨類の脅威をかわしました。泥沼状態の浅瀬には、強力な遊泳能力は通用しません。代わりに肉鰭類の柄の付いたヒレ、上下偏平型ボディ、肺呼吸といった特性が大いに役立ちました。彼らは再び豊かな水域に帰ることなく、浅瀬で独自の進化を遂げ、そこから両生類が分化しました。
 肉鰭類の胸ビレと腹ビレの柄の部分は、やがて4つの足へ、その先のヒレの部分は水かきのついた指に変わって行くわけですが、柄の部分はさらに関節が形成され、腿と脛に分かれます。最初の頃は、肘関節は体のすぐ脇に形成され、徐々に腿が伸長して現在の4足動物のような2つに屈曲する足になっていったのでしょう。
 初期の両生類は、浅瀬やその近くの陸地を腹ばい状態でのそのそと歩くものの、水場を離れるのは、強敵から逃れたり地上の虫を捕食する時くらいで、たいていは水棲生活をしていたでしょう。それでも、いつでも地上へ飛び出してゆけるメリットは大きく、彼らは徐々に繁栄し進化して行き、様々な水辺の動物に分化してゆきました。
 初期の両生類はほぼ水棲生活者でしたが、種類が増えいろんなタイプの動物が出てくると、より水棲生活寄りへ移行する者と、陸地にいることが多くなる者とへ分かれて行きました。両生類の進化は、単一に陸上生活動物への移行というわけではありません。魚類の進化がそうであったように、ニュータイプの生物は最初は劣等生で、敵の少ない言わば貧しい土地に追いやられますが、実力を身につけるとあらゆる環境へ進出するようになります。
 水棲動物へ移行した両生類の仲間は、体を蛇行させて泳ぐサンショウウオタイプの者と、水かきの付いた4足で泳ぐカエルタイプの者へ分化しました。カエルタイプは4足の運動力を高めるために胴部と頭部が一体化した短いボディを発達させ、尻尾は退化し後ろ足が大きくなりました。彼らは魚ほどは俊敏に泳げませんが、前足を手のように使って小魚を捕まえることができましたし、胴部と一体化した頭部は口器も大きくでき、強力な捕食動物として発展しました。
 一方、陸に上がって虫などを捕食する生活に移行していった仲間は、陸上生活に向いた頑丈な胸郭や強い4足を発達させました。最初の陸棲動物は、腹を引きずって歩く腹ばい歩行者だったので、自重から内臓を守る丈夫な胸郭は必要不可欠でした。胸郭を強化するにはそれを支える背骨も頑丈にする必要があり、体重は必然的に増え、それを推進するための足腰も強化されました。
 陸上生活というのは、体重を支えること以外にも、丈夫で疎水性の高い皮膚を発達させることもクリアしなければなりません。魚類は魚鱗という装甲で体表を守っていますが、皮膚自体はけっこう水を通す薄いもので、ゆえに塩濃度が大きく変化する海と淡水の行き来は困難なんですね。こんな頼りない皮膚で空気中に長時間いたら干からびて煮干しになってしまいます。単に4足があって肺呼吸できる魚というだけでは丘へは上がれないのです。
 両生類の生殖は、魚類と同様に体外受精です。ゆえに繁殖には水が欠かせませんし、孵化した幼生はエラ呼吸する完全水棲動物です。それが変態して肺呼吸の成体になります。両生類といわれるゆえんですね。

 古生代後期の陸棲動物といえば両生類が最新式で、すでに陸棲生活に適応している節足動物は、せいぜい彼らの餌サイズでした。なので彼らは向かうところ敵なしで大いに栄えました。やがて彼らは世界中の水辺に適応放散し、様々な種を産み出して行きました。古生代の石炭紀(約3億6700万年前から2億8900万年前)から次のペルム紀(約2億9,000万年前から2億5,100万年前)は、まさに両生類の時代でした。
 現生の両生類といえば、カエルやサンショウウオといった小動物ですが、彼らは古生代の両生類の比較対象としてあまり適当ではありません。当時の両生類の中には体長約2メートル、体重約90キロといった大型動物も存在しました。大きな口と鋭い歯列を有し、小型の両生類や魚などを捕食しました。彼らは現生の両生類よりも大きく進化的で、獰猛な動物だったでしょう。陸棲動物として大成功をものにしてから再び水棲生活に戻ったものの中には全長4メートルを越す巨大種も現れ、彼らは現生のワニのような暮らしをしていたでしょう。彼らからすると今も絶滅せずに生き残っている両生類は、小型で原始的な仲間です。
 古生代後期の陸地や河川を席巻した、進化的で大型の両生類の栄華は古生代を越えて続くことなく、やがて進化して来るニュータイプの動物すなわち爬虫類との競合に破れて滅びの道をたどります。大型動物がことごとく爬虫類に置き換わってしまったあとは、小動物としての位置づけを確立し、今もよく栄えています。ワニのような獰猛な両生類や、カバのような丸々太った大型両生類は、現生の同類を見る限り想像もできませんね。見てみたかったですけどね、ダイナミックな古生代の両生類。

爬虫類の進化

 古生代石炭紀(約3億6700万年前から2億8900万年前)の中期頃から、陸棲生活に適応していった両生類の中に、陸上に産卵するものが現れるようになりました。現生のモリアオガエルなども魚などの敵から卵を守るために、陸上に産卵しますが、石炭紀の両生類はより進化的で、孵化した幼生は初期のうちに陸棲生活に移行したでしょう。これらの幼生は豊かな水場から遠く離れた水たまりや湿地さえあれば、陸上生活が可能になるくらいに成長できたのでしょう。
 両生類は最初は陸上生活を目指して進化したのですが、その多くが新しいタイプの水棲動物として繁栄しました。水辺の暮らしは、強力な捕食者である大型両生類でにぎわい、小型種にとっては陸地の方が危険が少なく、陸上生活への適応が生き残る最良の手段でした。つまり、陸上生活への完全適応を目指したのは、脆弱な小型種たちでした。魚類から両生類が分化した時も同じでしたね、新たな動物群の進化はいつも劣勢で矮小な種からもたらされます。

 陸上生活への完全適応のためには、生殖と幼生の発育を陸地で行なう必要があり、まずはより安定した地上性の卵の確立を目指して様々な試行錯誤が繰り返されました。その中で、胚を羊膜で覆った卵を持つものが現れ、卵の陸地への適応が進みました。羊水で満たされた羊膜に包まれた胚は、空気中での乾燥や激しい気温の変化から保護され、水中卵と同じように安定した環境の中で胎児の初期発生をクリアできるようになりました。
 無脊椎動物から魚類そして両生類に至るまで、動物の卵は水中に産み落とされ、水中で受精していましたから、陸上産卵の確立までの道のりは長く険しいものだったでしょう。
 現生の両生類は、古生代の進化的な両生類に比べると原始的で、いまだに体外受精タイプの水中卵によって生殖を行ないますが、古生代石炭紀の小型両生類の中には、地上卵を確立したものがかなり存在し、その中から完全陸棲動物として最初の爬虫類が分化しました。
 石炭紀に現れた最初の爬虫類は、現生の小さなトカゲによく似た小動物で、活発に動き回り、昆虫等を捕食していました。
 爬虫類の卵は、羊膜を有するほか、卵黄や卵白それらを覆う膜で包まれ、さらに丈夫な卵殻で覆われました。多重構造の卵は容量を大きくすることができ、胎児はその中に長く留まって充分に成長してから孵化するようになったので、幼生の生存率は格段にアップしました。
 陸棲動物にとって幼生が充分に成長してから孵化することはたいへん重要です。地上での生活には優れた運動能力とそれを可能にする骨格や筋力が必要で、両生類が幼生時代を水中で送るのは、生殖の問題もありますが、骨格や筋力の増強をクリアできていないからでもあるです。
 卵殻を有する大きな卵を地上に産卵するためには、卵は卵殻が形成される前にメスの胎内ですでに受精を完了していなければなりません。そこで生殖時のメスは産道を湿潤に保ち、そこへオスが射精するという体内受精を確立することで、生殖にも水域を必要としなくなったのです。オスは♀の産道内に射精するための器官であるペニスを発達させました。
 余談になりますが、この頃すでに陸棲節足動物はすでに体内受精と地上卵の確立を完了しており、他種多様な陸生動物を排出していました。とくに昆虫類はその多くが完全な陸生動物で、天敵のいない陸上で最初に大ブレークした仲間です。そして彼らの繁栄は、陸上生活を目指す脊椎動物に豊富な餌を提供したわけです。

 爬虫類の革命は生殖だけではありませんでした。呼吸方法も、両生類の喉を伸縮させるやり方から、胸郭を開閉して肺そのものを伸縮させて大量の空気を取り入れるやり方に変更し、血中により多くの酸素を送るようにしました。それを循環させる心臓も、両生類の単純構造のものから、静脈血液と動脈血液の混合を防ぐ多心房タイプに変更され、代謝効率が格段に向上し、エネルギッシュに活動する陸棲動物としての体構造を確立しました。
 胸郭を開閉させる胸式呼吸を行なうには、腹ばい姿勢による胸の圧迫を取り除かねばならず、そのためには四肢の筋力を強化する必要がありましたが、代謝効率の向上に伴いさらなる強化が実現しました。筋力アップすると敏捷性も養われ、俊敏に動き回る昆虫を捕食するのにも役立ちました。
 彼らは乾燥した土地にどんどん進出し、日光浴を行なって体温を上げ、代謝効率をさらに高めるといった、両生類には真似のできない暮らしを実現していったのです。そうして体が大型化する仲間が増えて行き、先住の大型両生類の生活環境を脅かして行きました。大型動物が増えてくると、その一部はやがて水域にも進出し、大型両生類に残された最後の楽園をも蹂躙し、やがて進化的で大型の脊椎動物は爬虫類一色に塗り替えられて行ったのです。

P-T境界

 真の陸棲動物としての進化を果たした爬虫類は、石炭紀の次のペルム紀に本格的な進化放散を始めますが、すでに大型化を遂げていた水辺の両生類との競合に勝利することは、じつは容易ではなかったようです。爬虫類に進化してから長い間、彼らは小さな体で大型両生類から逃げ回る暮らしを強いられました。彼らが滅びることなく存続し続け、地道に仲間を増やしてゆくことができたのは、画期的な生殖方法と敏捷性のおかげでした。そしてそんな彼らに勝機をもたらしたのは、ペルム紀末(約2億5000万年前)の地球規模の生物大絶滅でした。地球上の90%以上の生物がこの時死滅したといわれています。
 当時の地球は、世界中の陸地が1ヶ所に集中して超大陸を形成しつつありました。陸地や海底を形成する地殻は、地球を覆う薄い被膜に過ぎず、たえず流動し続けています。そしてたまたまこの時期、世界中の大陸が1つにくっついてしまったんですね。
 地上は世界規模の大陸性気候となり、気温変動が激しくなり、極地方では氷床の発達が進みました。地表の水が凍てつくと、海面が下がる海退現象が進み、大陸棚が空気中に露出して、海洋生物がどんどん絶滅し、生態系の基礎が根底から崩れました。陸地でも大食家の大型動物ほど大きなダメージを受け、古生代の大型両生類、すなわち進化的な両生類は急速に衰退して行ったのです。

 地殻がいくつかのプレートで構成され、大陸および海洋はそのプレートに乗って移動し続けており、それによって様々な地殻変動がもたらされるということを説明した学説をプレートテクトニクスといいますが、これに対して地殻変動を地球のより深層部のマントルの対流によるものであるということを説明した学説をプルームテクトニクスといいます。両者は対立する学説というわけではなく、地殻変動やそれに伴う気候の変動は、プレートの移動にもプルーム(マントルの対流運動)にも起因しており、プルームはプレートの移動の要因でもあります。
 ペルム紀末の生物大絶滅をプレートよりもプルームに重きをおいて説明したものに、マントル対流の大きな異変すなわちスーパープルームによる大規模な火山活動であるというのがあります。この考え方によると、超大陸形成つまりプレート起因性の生物大絶滅よりもずっとドラマチックで、ひじょうに短期的に生物がダメージを受けたことになります。化石証拠を見る限りでは、ペルム紀末の生物大絶滅はあっという間の出来事に見えるでしょう。しかし実際には絶滅は何十万年もかかってゆっくり進行したにちがいありません。超大陸形成時にはプレート同士の衝突による褶曲山脈の形成が起こり、火山活動も引き起こされたでしょう。造山活動や火山活動の跡も当時の地層に残されているのでしょうが、筆者は火山の噴火が大量の動植物を一気に吹っ飛ばしたという劇的な説よりも、気候の変化に伴う生態系のバランス崩壊説を信じたいです。

 生物において“進化的”という表現は多くの場合、一定の環境に適応するための特殊化がよく進んでいるという状態に用いられます。そして進化的な生き物は、環境が一定していれば優位に立つことができるものの、環境が急変するとそれについてゆけなくなります。餌の減少や幼生の死亡率の増加は進化的に優位に立っている大型動物ほど深刻で、当時の進化的な両生類はペルム紀末までにほぼすべて絶滅してしまいました。
 ペルム紀が終わり、次の三畳紀(トリアス紀とも)になると、超大陸は再び分断されて行き、海洋性の穏やかな気候が世界中の多くの土地にもたらされ、温暖化が進みました。極地方の氷床が縮小して海面が上昇し、海洋生物の温床となる大陸棚が世界中に広がりました。生物たちはこぞって進化放散を開始しました。
 今から約2億5000万年前のペルム紀(Permian)と次の三畳紀(Triassic)の境を、地質学ではP-T境界などと言ったりしますが、これはまた古生代が終わり中生代が始まる区切りでもありました。
 P-T境界を越えて存続できた進化的両生類はほぼ皆無でしたから、中生代の訪れと共に地球上に温暖化がもたらされると、陸上で生き残った脊椎動物は、両生類にせよ爬虫類にしろ比較的小型の種でした。そして小さいもの同士の攻防ということになると、当然ながら両生類に分はありませんでした。水棲生活を得意とした生き残り両生類たちはそこからなんとか進化放散を進めようと試みたのでしょうが、陸上で快進撃を続ける爬虫類の一部がついに水域にまで進出し、両生類の進化を阻んで行ったのです。
 脊椎動物の進化のドラマは、古生代に魚類と両生類の進化放散が完了し、中生代は完全陸棲動物の時代へと移行しました。T-Pを境に爬虫類の大躍進、鳥類そして哺乳類の進化というダイナミックなドラマが次々と展開されることになります。

恐竜の時代

 古生代末期に世界中の大陸が1つになって超大陸を形成するという事件があり、世界中の大多数の動植物が死滅したわけですが、中生代が明けて超大陸が分裂し始め、世界各地で海洋性の温暖な気候が徐々に広がり始めると、爬虫類の進化適応は一気に進みました。中生代前期の三畳紀には爬虫類の多様化はほぼ完了し、進化的な動物として爬虫類の頂点を極めた恐竜類は事実上中生代を通じて繁栄しました。
 恐竜の仲間は、骨盤の形状の相違によって大きく2に大別されます。
 その1つ鳥盤目には、剣竜類(ステゴサウルスなど)、曲竜類(アンキロサウルスなど)、角竜類(トリケラトプスなど)類、カモノハシ竜類(イグアノドン、マイアサルラなど)といった草食獣が含まれます。かなり高度な社会生活を送るものも少なくなく、縄張りを持ったり、メスを巡ってオス同士が争ったり、営巣地を作って集団で育児をしたりしていたようです。
 もう1つのグループ竜盤目には、アパトサウルスやブラキオザウルスのような超大型の草食獣を輩出した竜脚類、ベロキラプトルやチラノサウルスなどの獰猛な肉食獣を含む獣脚類で構成されています。竜盤目の多くの仲間も高度な社会性を発揮しました。超大型の動物群を形成する竜脚類の仲間は、壮大な群れで大地を闊歩しましたし、獣脚類の仲間には集団で狩りをするものがたくさんいました。そして小型の獣脚類からは鳥類が分化しています。

 大きな群れで暮らす草食獣や、団体戦術で獲物を追い詰めるハンターたちは、高度な知性を有していました。恐竜は爬虫類ということで現生のトカゲ等と比較されることが多く、あまり知性の高くない冷血動物と決めつけられがちですが、実際には高い知性を有し現生の哺乳動物のように行動していたにちがいありません。恐竜は巨大なトカゲのような生き物ではなく、むしろ現生の大型哺乳動物サイやゾウのような生き物であったと考える方が、イメージ的には適当であると思います。恐竜たちは体内機関で体温を生成する恒温動物ではありませんが、中生代の温暖な気候と保温性の高い大きな体躯によって恒温動物のように躍動的に活動していたことでしょう。
 もしも地球上に哺乳類が進化して来なかったら、恐竜類の中から文明を手にする動物が進化してきたかもしれない、そんな考え方を提唱した古生物学者がいましたが、これも荒唐無稽な考え方ではないかもしれません。それほどに恐竜類の社会生活は知性的でしたし高度でした。文明を持つまでには行かないにせよ、サルほどの知性を有する爬虫類が進化した可能性はあったかもしれません。

 恐竜類のほかにも、中生代にはいくつかの爬虫類が巨大化を果たしています。河川や海洋にまで進出した鰭竜類は、エラスモサウルスやプレシオサウルスといったダイナミックな長首類や、現生のイルカそっくりのイクチオサウルス等を含む魚竜類、あるいは飛行能力を備え大空に進出して行ったプテラノドン等の翼竜類もひじょうによく栄えた仲間です。
 長首類や魚竜類、翼竜類は、学術的には恐竜ではありません。ネス湖のネッシーも屈斜路湖のクッシーも、たとえ現存しても恐竜ではないのです、残念ながら。しかし、学術的恐竜の定義はともかく、彼らのダイナミックでエレガントな容姿は、恐竜の名を冠するにふさわしいもので、筆者は空飛ぶ恐竜や遊泳する恐竜という通俗的な表現を大いに支持したいと思います。

爬虫類の進化放散

 今から約2億5000万年前〜6500万年前まで1億4000万年の長きに綿って続いた中生代という地質時代は、温暖な気候が維持され動植物の大型化が進んだ、ひじょうに華やかな時代でした。ご存知、恐竜というたいへん魅力的な動物が栄えた時代でもあり、陸海空に様々な動物が解き放たれました。
 中生代に活躍した大型爬虫類は、現生のヘビやトカゲとは比較にならないほど進化的で、どちらかと言うと哺乳類に近い形態と生態を有していました。生きた恐竜を想像する場合、ヘビやトカゲと比べるよりも、サイやゾウを比較対象にした方がずっとリアルなイメージがふくらみます。
 現代は哺乳動物の繁栄に圧されて進化的な爬虫類はすっかり姿を消してしまい、原始的なタイプの生き残りが多様化し繁栄していますが、この事情は両生類と同じですね。動物は進化放散を開始すると定行進化の法則に従って大型化を目指しますが、次のニュータイプが台頭すると、原始的な仲間を残して死滅し、小動物としての多様化という新たな時代を迎えます。
 中生代は今よりずっと温暖な気候が地球規模で広がった時代でした。恐竜をはじめとする進化的な爬虫類は、そうした温暖な気候という条件に適応して繁栄した動物群でした。

 中生代前期の三畳紀(今から約2億5100万〜1億9500万年前、トリアス紀とも)は、超大陸の分断と共に地球規模の温暖化が始まった時期でした。極地方の氷床が溶けて海面が上昇する海進現象により、沿岸線が水没して遠浅の海すなわち大陸棚が拡大し、海洋生物が再び繁栄を築き始めました。そうした中で、爬虫類も一気に進化放散を拡大しました。
 爬虫類は進化史上において頭骨の特徴で3つに大別されます。眼窩の後ろに側頭窓といわれる穴がないもの、1対の穴を持つもの、側頭窓が2対あるものの3つで、それぞれ無弓類、単弓類、双弓類といわれています。
 いずれも古生代中に分化を果たしていますが、最初に出現した無弓類は中生代まで生きながらえることなく死滅しています。単弓類は、古生代後期に盤竜類といわれる仲間を進化させ、巨大な肉食獣および草食獣を輩出してよく栄えましたが、その後、獣形類という仲間を分化させ、これは後に哺乳類を産むことになります。双弓類からは、中生代に支配的地位に立つ様々な大型動物および鳥類が分化します。
 爬虫類の進化放散の基礎は古生代後期までに完成していたのですが、盤竜類の隆盛を除き、古生代中の大きな繁栄はありませんでした。P-T境界を決する生物大絶滅で大型両生類が去ったのち、その空席を埋めるべく、本格的な進化放散が始まりました。長い沈黙のあと満を持した爬虫類の快進撃が始まったのです。
 中生代の爬虫類は、哺乳類を分化する単弓類と恐竜や大型の爬虫類、鳥類を分化する双弓類に大別されますが、ほぼ双弓類の独壇場で、この仲間は完全な陸棲動物の地位を確立したあと、河川や海洋、空へも進化放散して行きます。そして1億4000万年の長きにわたり、我が世の春を謳歌するのでした。

恐竜の生活

 恐竜の知覚能力や学習能力がどれほどのものだったかは判りませんが、おそらくたいへん高度な知能と高い記憶力を有したものも少なくなく、現生の爬虫類には見られない大脳皮質も発達していたと思います。
 彼らの知能を支える恒温性については、現生の哺乳類とは異なったシステムで維持されていました。すなわち哺乳類のように自分で発熱するのではなく、太陽熱で体を温めそれを維持することで恒温動物のようにふるまっていたのです。これは熱的慣性による恒温性といわれるシステムで、体が大きくなればなるほど、容積に対する表面積の割合が小さくなるので、放熱しにくく体温はよく維持できたでしょう。それに中生代の温暖な気候も彼らの恒温性に貢献したでしょう。超大型の恐竜になると保温よりも放熱に苦労し、日中はオーバーヒートに悩まされていたかも知れません。
 恐竜たちが哺乳類のように自ら発熱して体温を維持するシステムを持っていたということはおそらくなかったと思います。恒温性を内燃機関に依存するには多量の食物を必要としますから、大型動物では餌の確保がたいへんです。現生のゾウでも、1日中延々と食べ続けねばなりません、その数倍もある大型恐竜になるといったいどれだけ食べなければならないことか。恐竜たちは中生代の温暖な気候に体温維持を依存していれば充分に恒温動物と同等に活動できたでしょう。哺乳類ほど多くの食物を摂らずに太陽エネルギーを利用して恒温性を維持する、極めて省エネ的な恒温性を彼らは有していたわけですが、これは中生代の温暖な気候ならではの方法であったとも言えるでしょう。ちなみに現生のトカゲ類も多くが日光浴によって体を温め代謝効率と運動機能のアップを図っています。

 化石や地層に残された証拠によると、巨大な草食恐竜たちが、子供たちを守りながら群れで移動していたり、集団で子育てを行なっていたそうです。
 子育てをしたり、異なる年齢の仲間が一緒に暮らすために、多くの大型恐竜が胎生だったでしょう。哺乳類のように子宮で胎児を直接管理するシステムではなく、卵胎生のような形をとっていたでしょう。
 地上性の卵というものは、構造上サイズに限界があります。大きな卵ほど卵殻を厚く丈夫にしなければならず、あまり堅牢な卵殻では、中の子供がこれを破って孵化することができません。ダチョウの卵で限界に近いサイズだといわれています。しかし巨大な恐竜にとってはダチョウの卵サイズなど、豆粒か米粒のようなもので、そこから孵化した幼生は、成体の恐竜にとっては微細な虫みたいなものです。そんなのと一緒に社会生活をするのは極めて困難ですね。
 巨大な恐竜では、卵殻のない大きな卵を母胎の中で長期間維持し、母親とコミュニケーションがとれるサイズまで成長した子供を出産していたのでしょう。
 恐竜の胎生説に否定的な意見では、大型恐竜の母親はとても小さく、育児を終えてから巨大な体に成長するのだそうです。爬虫類は哺乳類とちがって老熟の仕方がちがいます。哺乳類ほど顕著な老化はなく、成長抑制作用もなく、育児後もどんどん成長したのだそうです。つまり老成個体にとっては、群れの中の幼児のような母親が虫のような子供を育てていたというわけです。なんだか奇妙な話ですね。そしてそのような化石証拠や巨大草食恐竜の卵の化石は見つかっていません。
 恐竜の卵の化石はたくさん残っています。それらは鳥類と同じタイプの骨盤を有する鳥盤類のもので、恥骨の向きが逆転している竜盤類の特徴は、胎生を示すものではないでしょうか。竜盤類のすべてが胎生であったかどうかは判りませんが、大型種の多くは胎生で幼生を直接出産していたでしょう。

 全長10メートルを超える巨大な恐竜は愚鈍であったという説を唱える学者先生がたくさんいます。たいへん夢のない話しですね。
 最大の肉食獣チラノサウルスなどでは、狩猟は子供の仕事で、おとなは子供が狩った獲物をもらって生きていたそうです。子供たちは自分の倍以上ある親の分まで獲物を取らねばならずたいへんですね。自分の食糧すら調達できないのろまな大人の存在が、進化上に何の意味があったのでしょう? でかいだけで何の役にも立たない大めし食らいの大人を子供たちが養うというチラノサウルスの特性に進化上の意義があったのでしょうか。親は、その破格のでかさで草食獣を驚かせ、パニックになった獲物を子供たちが集団で追い詰めていたそうです。だったら子なしの親や独りっ子の子供を持つ親は、食事にありつけないのではないでしょうか。それ以前に、でかい親による威嚇は、子供たちの待ち伏せハンティングをむしろ妨害していたのではないでしょうか。
 チラノサウルスなどの復元骨格や図を観察すると、たいへん精悍な感じで、直線上に脚を下ろして歩行する二足歩行のスタイリングは、彼らがスプリンターであったことを物語っているように見えます。二足歩行のためにはバランスが重要で、そのために目や耳の感覚器も優れていたでしょう。彼らは最大個体であっても俊敏に立ち回り、体重にものを言わせて体当たりや頭突きによるノックダウンで獲物を仕留めていたにちがいありません。彼らの体重とスピードは、大きな顎と鋭い牙と合間って彼らを無敵のハンターにしていました。彼らは最大最強の肉食獣として他の動物たちに恐れられていたのです。そして彼らもまた胎生で大きな子供を産み、母親は子供たちにとって優れた狩猟の先生だったでしょう。

 恐竜の中でも最大のものは、獣盤類の中の竜脚類という仲間です。全長数メートルのものもいたそうですが、多くは10メートルをゆうに超え、中にはブラキオサウルスのように全長25メートル、体高16メートル、体重が40トンを超えるという巨漢もいました。
 竜脚類の仲間は、ゾウのような四足を有し、キリンも真っ青の長大な首を持ち、大型のものでは6階建てのビルの屋上の視界を確保して悠然と大地を闊歩していました。陸棲動物のサイズの限界に挑戦したようなその体躯は、壮観そのもので、以降これを超える陸棲動物は誕生していません。さらに長大な全長40メートルとかいう恐竜もいたそうですが、それらはあきれるほど長い首と尻尾で全長を稼いでいたみたいですね。

 恐竜は、そのスケールの大きさからしばしばSFに登場する怪獣のモデルにされて来ましたが、破格サイズの動物は恐竜の一部にすぎません。多くの恐竜は現生のゾウやウマや、ライオンくらいのサイズで、暮らし向きも現生の哺乳動物と似たような感じだったでしょう。草原に群れなす草食獣、それを虎視眈々と狙う肉食獣、そういった光景が中生代の原野にも広がっていました。言い換えれば、現生の哺乳動物たちは恐竜たちの去ったあとのポジションを埋めたというわけです。そして大型動物がすべて寝静まってしまう夜が訪れると、静謐な闇の中を小さな獣形類ともっと小さな哺乳類が、こそこそと駆け回っていました。
 恐竜の繁栄は三畳紀に始まって、ジュラ紀、白亜紀と中生代3紀に渡って続きますが、白亜紀になると美しい花を付ける顕花植物の出現により、鳥類と哺乳類の多様化が徐々に始まり、恐竜たちの顔ぶれも代わって来ました。ジュラ紀に大活躍した竜脚類や獣脚類よりも、鳥盤類の角竜類やカモノハシ竜類の勢力が強くなったようです。彼らは恐竜の中でもとくに知性と社会性が強い仲間が多く、暮らし向きもますます哺乳類的でした。当時の原始的な哺乳類の方がずっと現生の爬虫類的な暮らしをしていました。
 そして長きに渡って続いた中生代特有の温暖な気候が崩壊し、地球規模の寒冷化が進んだ中生代末期、恐竜たちは他の大型竜族をことごとく道連れにしてドラマチックな絶滅を遂げることになったのです。

鳥類の進化

 鳥類は、中生代前期に恐竜の落とし子として誕生し、羽毛を備え自由に飛び回る飛翔動物として小型爬虫類たちと渡り合う暮らしを続けて来ました。彼らは恐竜等の進化的爬虫類には太刀打ちできなかったものの、優れた運動性能にものを言わせてけっこう繁栄していたでしょう。中生代の間に様々な種を分化し、世界中に放散して行きました。
 鳥類よりも少し先んじて、哺乳類も誕生していましたが、彼らは闇の住人として夜行性動物の道を選び、ひっそりと暮らしていました。それに比べると鳥類は立派な日なたの住人で、小さな恐竜といった位置づけをものにしていたでしょう。一部の専門家が鳥類のことを、極めて特殊化した爬虫類の一部であると指摘するのも解らないことではありません。
 しかし、新生代の訪れと共に爬虫類の王国が崩壊すると、独自に爆発的な進化発展を遂げ、巨大生物をも輩出するに至った経緯を見ると、鳥類はやはり爬虫類とは独立したグループであると認めざるを得ません。
 陸棲動物の進化史を見てみますと、時代ごとに特定の動物群が顕著な優位性を示し、その時代を象徴します。古生代には両生類が、中生代には爬虫類が、それぞれ時代の覇者となりました。そして新生代初頭、鳥類は次の覇者となるべく一気に定行進化を推し進めたのでした。

 とその前に、鳥類がどのような経緯で飛翔能力を会得するにいたったのか想像してみましょう。
 中生代には鳥類以外にも翼竜の仲間が強力な飛翔能力を発揮しましたが、彼らの空への進出のきっかけは、樹上などの高所生活からの滑空だったでしょう。当時の爬虫類はこぞって大型化を目指していましたから、樹上は意外に穴場でした。強力な捕食動物から逃げのびるのに木登りは有効でした。
 翼竜の祖先は、中生代の爬虫類としては数少ない樹上生活者で、木々を跳び移る生活からやがて滑空を会得したのです。そのようにして滑空生活を獲得した例は、モモンガ、ムササビ、ヒヨケザル、コウモリといった現生動物にも見られ、彼らは滑空のために膜状の器官を身につけています。コウモリにいたっては膜状器官が立派な翼に進化しており、空中で自在に姿勢制御ができます。
 中生代の翼竜たちもコウモリと同様の優れた滑空動物でした。中には翼の開長が10メートルに達するものもいて、この怪鳥より優れた滑空動物は以降現れていません。
 滑空動物は高所から飛び降りる瞬間に得られる浮力によって空を飛びます。ムササビでもコウモリでも地上に下りてしまった場合、急いで手近な高所によじ登り、飛び降りねばなりません。
 中生代の怪鳥たちは、樹上や上昇気流のある崖などに巣を構え、現生のワシやタカのように滑空しながら獲物を仕留める暮らしを送っていたのでしょう。

 ところが、中生代の鳥類の祖先の空へのアプローチはずいぶんちがっていました。二足歩行の小型恐竜であった彼らは、強力な後足で大地を蹴って俊敏に駆け回り、前足を走行時のバランサーとして使いました。現生の飛べない鳥ダチョウの場合、前足つまり翼をスポーツカーのスポイラーつまり浮力抑制翼のように用いて、走行速度を上げています。元来飛ぶための器官を飛んでしまわないためのツールとして用いるなんて面白いですね。
 鳥類の祖先たちの場合、前足は素早く方向を変えるためのバランサーとして機能したでしょう。陸上選手も手を振ることによって走行安定性を高めています。手を振らずに走るのはひじょうに困難です。
 彼らは走行に加えてジャンプも得意でした。竜盤目獣脚類の小型種は、極めて運動性能の高い恐竜でしたから、それこそ飛ぶように駆け回っていたのです。
 そして地上性の動物としては、ジャンプの飛距離というのは長いほど有利で、前足の振り子としての能力に徐々に安定翼としての能力が追加されて行き、やがてそれが翼へと変貌を遂げて行ったわけです。
 走り幅跳びの選手が飛距離を稼ぐために手を振る、それに似た経験の積み重ねが、彼らの前足を翼に進化させて行ったのでしょう。
 問題は羽毛の発達ですが、その経緯について想像するのは大変むずかしいですね。羽毛は軽快さと体温調節という2つの機能を充実させるのに他にないほど理想的なアイテムで、飛翔動物として成功するには、これしかないと思える優れものです。
 羽毛は軽量で柔軟で、しかも翼として浮力を得るのに充分な強度を持ち、風雨から体を守り保温性を確保し、暑い時には逆立てて放熱もできるというすごい多機能ぶりを発揮します。
 鳥類はまた、羽毛の発達と合間って恒温性も発達させて行きました。中生代の温暖な紀行の中で昼行性の生活を送るのであれば、爬虫類のように恒温性を外気温に任せておけばよさそうなものですが、飛翔動物としての生活を盤石なものにするには、外気温に関わらず体温を一定に保つシステムが必要だったのでしょう。恐竜のように大きな動物であれば、外気温に恒温性を委ねても活動に必要な体温を維持し続けるのは容易ですが、飛翔生活を送るためには小型軽量高性能が必須条件です。夜の内に放熱してしまい、朝から脳が働かなくてボーッとしているようでは生きていけません。
 飛行には大きな運動量を消費します。しかも贅肉や食いだめで体重を増やすわけにはゆきません。頻繁に食べ続けなければならないのです。朝は爽やかに目覚めさっそく餌探しに出かけなければならないのです。
 そうしたわけで、鳥類は食物を燃焼して自ら発熱して体温を維持する恒温性を発達させたのでしょう。恒温性の確立が彼らの成功の秘訣であったかもしれません。ただし、現生の哺乳類ほど優れた恒温性ではなく、体温維持には羽毛に依存するところが大きかったでしょう。恒温性をレベルアップするには摂取するカロリーも増量しなければならず、そのことは小型計量化の妨げになります。現生の鳥類にも自分の体温があてにできず、他の鳥に卵やヒナの保温を押しつける托卵の習性を持つ鳥がかなり存在します。鳥類にとって体温を維持するということはなかなか大変なことなのです。

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雑虫 クモ 直翅系 半翅系 膜翅系 鱗翅系 鞘翅目 毒虫 魚たち 無脊椎
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