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情報の流れ(1)
先人の教え

2014/10/12


 ヒトはひじょうに社会性の強い動物です。裸のサルとも言われる個人ではあまりにも無防備で脆弱な人間が、現在の地球上で支配的な地位に君臨しているのは高度な社会性のおかげです。社会生活を営む動物は人間以外にもたくさん存在しますが、彼らはいずれも個体がもともと持っているスキルの重ね合わせでチームワークを発揮し、社会性を維持しています。個体が生まれながらに有している本能という能力により、序列が生じたりボスが出現したり、性別の役割が生じたりして群れが維持されます。しかしながらヒトの生活では本能はあまり役に立ちません。ヒトは社会生活を営むには後天的に得た学習が必須になります。親の庇護の下で情愛を学び、言語を学び、本能を抑制することを学びます。食欲や性欲、独占欲といった先天的に持っている本能とされている衝動を社会の中で思うがままに発揮すると、それは秩序を乱す行ないとして指弾されます。社会生活とは、我慢の連続でもあります。
 幼い子供が言葉を学ぶことから、学生や専門家が高度な知識を学ぶことに至るまで、人は目や耳で得た情報を頭の中で理解し知識として蓄積します。知識は言葉や文字や絵といった情報になって発信され、他人の目や耳に触れ、そこでまた知識となります。人間社会は衣食住を分け合い、分業によって大きな事業を達成する協調組織ですが、その機能を支えているのも情報です。人間社会は物流や貨幣の流通以上に情報が血脈のように行き交って成り立っている構造体なのです。
 そしてその情報の流れには、おおまかに分けて縦の流れと横の流れがあります。縦の流れは、親から子へ、先輩から後輩へ受け継がれる知識やものの見方、考え方、あるいは学校教育や企業による社員教育といったもので、横の流れは、友人知人同士の会話、ゴシップ、趣味の集まりでの情報交換、テレビやラジオのニュースといったものが挙げられます。情報はまた言葉や絵で直接伝えられるもの以外にも、記録として蓄積され、それを解読あるいは再生することによって伝達されるものもありますね。書籍、写真や映画、パソコンの記録メディアといったもので、それらには情報の縦の流れも横の流れも、どちらとも判然としないものも含まれます。
 同じ記録内容でも、情報の取得者が教えられたと受け止めれば縦の流れのように機能しますし、考え方のひとつとして聞いておくと受け止めれば横の流れにもなります。
 こう考えると、情報を縦の流れだとか横の流れだとかに区分することがナンセンスに思えてくるわけですが、そのじつ情報の縦横を規定しているのは筆者ではなく社会の方ですよ。

 我々は、幼いころから成人に至るまで、教育という訓練過程の中で過ごします。親や先生や先輩といった、物知り顔で自分を見降ろしている存在を畏怖しながら成長し、年長者は敬い、その言動は尊重すべしという常識を叩き込まれます。
 しかしいつまでもそれに甘んじていては、人間は成長しません。自分の中に知識量が蓄積されるにつれて、新たに入ってくる情報を吟味することを覚えなければ、人は社会や先人の思想に依存しているだけの寄生生活者になってしまいます。親ガメがこけたら一緒にこけるしかありません。
 人間は社会に含まれる以上、家族や学校、会社といった組織に所属します。そして組織の中の先人の言動はかなり絶対的なものになります。先輩は後輩のことを思って"教え"を垂れるのであって、大筋においてそれは信頼に足る情報といえます。「先輩のおっしゃることをよく聞いておけ」という助言はまちがってはいません。ところが、人間は個々に知識を蓄積していて、得た情報を吟味する能力がありますから、時として先輩の教えに賛成できなかったり矛盾を感じたりすることもあります。そればかりか複数の先輩が反対のことを言う場合もあります。
 ある先輩がたとえば「最近の若い奴は、なんでもパソコンで処理するが、報告書は手書きが良いに決まってる」とおっしゃったとしましょう。多くの仕事現場でパソコンによる報告書が主流であるとすれば、その先輩の教えに疑問を感じてしまいますよね。そして、疑問を抱きながらも手書きの報告書を作成し、別の先輩から手書きは読みにくい場合もあるからパソコンを使うように指導されたとすれば、どっちやねん、というジレンマに陥ってしまいます。他の先輩の指示に従ったと主張しても、「そんなはずはない君の誤解だろう」などという返答が返ってきたとしたら、これはかなり腹立たしいことですし、先輩不審、組織不審に陥る場合もあるでしょう。
 しかしながら、先人の教えなるものは、概してそういうものなのです。手書き派のA先輩と争いたくないパソコン派のB先輩は、対処が楽な後輩を悪者にして、卑怯にも「君の誤解だろう」発言に出るわけです。またB先輩が正義漢で、A先輩を質してくれたとしても、「手書きが良いとは気持ちの問題であって真に受けて実行するとは思わなかった」なんて答えが返って来て、けっきょく割を食うのは後輩ということになる、なんてことはありがちですよね。

 先人たちもそれぞれ個性を持っていて、ものの見方、考え方は様々です。先人の教えというものはひとつの例であると受け止めることは思いのほか重要です。先輩の言動を丸々信じて実践したり、教わったことをそのまま受け売りで話したりすることは、責任転嫁です。
 会社等で仕事をする場合でも、上司の指示をそのまま考えもなく実践し、それが職務をまっとうするということだと信じている人も少なくないでしょう。それこそが責任転嫁です。自己の作業方法について問われたら、上司にこうしろと言われたと臆面もなく答え、作業の責任を上司に転嫁していることにさえ気づいていないケースがあまりにも多いですが、それでは自分にも組織にも利益になりません。上司の指示に疑問を抱いたら、そこで質問するとか意見をするとか、あるいは作業方法に自分なりの工夫を加えるとか、そういう態度こそが自分を成長させ、組織を発展させます。
 自分が付加した工夫について他人から問われれば、その人はその工夫の理由について説明するでしょう。それが自己の作業に責任を持つということです。

 藍より青し、という古い言葉があります。その意味は、青は藍より出でて藍より青しということです。染料の青色は藍という植物から採るけれど、藍よりも鮮やかな青色が得られるのだよ、ということです。人はかくあらねばならないという教えでもあります。すなわち、先人から教えられたままの人間ではなく、先輩の教えを足場にして自分でものを考え、さらに優れた人になりなさい、それが人間ぞ、ということです。
 筆者は、会社勤めをする労働者です。労働の現場では失敗や怪我がつきものですが、それを少しでも回避するために作業の安全という考え方が、現場にはつきものです。そして安全は文化であると言われます。文化とは生活様式のことですが、すなわち暮らしぶりそのもののことですね。過去から連綿と続いてきた労働者の現場での経験が文化であり、それこそが安全に対するマニュアルだというわけです。会社が用意した保安装置と作業マニュアルはあくまでも基本であり、安全を持続する力は文化にこそあるのだよ、と筆者は先輩たちから教えられました。労働者が経験してきた失敗や成功の記録こそが安全を支えているのです。
 仕事をするということは、作業方法の責任を上司や会社に転嫁して盲従するというだけでは万全ではありません。後輩は先輩の教えを元に自分なりに考え出した創意工夫を作業に付加してゆく、それが仕事をするということです。そうして人間社会は進歩し続けます。

 先人の教えは、ひとつの例に過ぎません。それを額面どおりに受け取って盲従しても、何もおもしろくありません。仕事ならただ苦痛なだけです。いろんな先輩のいろんな教えを聞き、それを受け入れる判断は自分でしましょう。
 先輩の教えを額面どおりに受け取って、それで悪い結果になった場合に、その先輩の評価を下げるのはお門違いというものです。自分が教えを曲解してしまっていたかもしれませんし、先輩も言葉を間違っただけかもしれません。先輩がしばらく現場を離れた人ならば、その考え方が今の現場では使えないものになっているかもしれません。他人から得たひとつの情報で、その人を悪く評価するのは早計というものです。情報はしっかりと吟味しましょう。

 自分の仕事や作品に対して、先輩の評価というものは様々でしょう。ひとりの先輩から酷評されたからと言って、自分の仕事や作品がダメだ、あるいは自分の技量が足りないと判断するのも早計です。人からの評価というものも、ひとつの例に過ぎないのです。

 情報というものは、人から人へ伝わって様々な影響を及ぼし、情報自体も様々な内容に変化します。それを丸々信じてしまうのは危険ですが、何も信じられないとおそれるのも危険です。良くも悪くも、正しくも間違っていても、情報に触れることを臆していては得るものがありません。自分の価値基準をきちんと持っていて、受け入れるもの受け流すものを見極める、自分なりの消化の仕方を考える、そうすることで情報を有益なものとし、他人を見損なったり自信を喪失したりしないようにしましょう。
 そして、自分の価値基準さえもが不動ではない、不動であるべきではないということも知っていなければなりません。難しいですよ、価値基準という物差しさえもが不動でないとすれば、どうやって物事を計ります? でも人間の暮らしとはそういうものなんですよ、難儀なことに。学んだことは時としてすぐに古く役に立たない知識になってしまいます。自分が不動でも世間の価値基準が虚ろい続けます。悩んで成長してください。
 ジジィになってから思うことですが、老練の人間が物事に動じず泰然としていられるのは、豊かな経験に裏打ちされているからだと思われがちですが、それよりも「なるようになる」ということを体で覚えるから、そんな気がします。
 ジジィになると目上の先輩の数が減ってまいります。最近では、若い人たちにものを教わることが多いです。年をとっても勉強しなければ、です。

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