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外部記憶

2014/11/21


 生き物が暮らしてゆくための基本的な情報は、遺伝情報としてDNAに蓄積されています。クモが巧妙な巣網を張ったり、鳥が巣を作るのも遺伝情報に依るものです。高等な動物では、脳幹が発達していて、生態的に状況に応じて様々な対応ができるようになっています。さらに高等な動物では大脳が大きくて、学習して得た情報をここに蓄え、それに従って高度な行動が行なえます。進化的な哺乳動物では、狩りや収穫の仕方を親から学習します。高い社会性を持つ動物では、群れ社会での学習が発達していて、同じ種類の動物でも暮らす地域によって生活パターンに差異が生じます。
 哺乳動物は、学習した情報を動作で子や仲間に伝えます。子は親のやることを観察して真似ることによって狩りや収穫の方法を覚えます。鳴き声や身振りによって食料や危険の情報を仲間に伝える動物もいます。鳴き声や身振りのパターンが先天的に決まっていて遺伝情報として受け継がれるものもあれば、個体の工夫によってそれが行なわれるケースもあります。イルカやクジラといった海洋哺乳類は、ひじょうに多くの情報を鳴き声によって仲間に伝達するそうです。クジラの中には数十分に及ぶ長い"歌"を奏で、海の中の様々な情報を仲間に伝え、その情報網が世界中の海を網羅するネットワークになっているとも言われています。人間よりもはるかに大きな大脳を持つクジラは、長い歌を覚え、それを忠実に再現した"歌"を奏でることができるそうです。それはクジラの言語のように言われたりもしますが、人が用いている言語のように学習によって習得しなければならないものではなく、遺伝情報として先天的に会得しているものなのでしょう。それにしたところで、長い進化の歴史の中で磨かれ語彙が増えていったのでしょう。
 人間の用いる言語も、もともとは先天的な発声が始まりだったのでしょう。驚きの声や怒りの声、悲しみの声といった、刺激に対する反応のような発声で、最初の頃の人類はコミュニケーションをとっていたことでしょう。それが物や状態に特定の名前を与えるようになって人間の世界観はまったく別のものになりました。たとえば野原や河原に転がっている固くてコロコロしたものを"石"と名づけてそれが言語として定着すると、人間にとって石は石でしかなくなりました。動物にとっては固くてコロコロした状態に過ぎず、踏んづけると足が痛いとか、蹴ると音がするとか、個体ごとにあるいはシチュエーションごとに感じ方が変わり、その本質がどうなのかについては興味の対象ではありません。踏んづけて足が痛い状態が重要なのであり、相手が石なのか木の根なのかはどうでもよいのです。しかし物に名前をつけてしまった人間にとっては、人間界においては、石と木の根は別のものであり、石は石であり木の根とはちがうものになってしまいます。日本の古い魔術の世界では、物に名前をつけることを呪縛と解釈します。人によって石と名づけられたそれは、言霊により石以外のものではなくなってしまうのです。魔術には様々な効力がありますが、それは人と人との間に力を発揮し、人のいないところには存在しません。
 言語の進化にともない、物の名前もどんどん細分化してゆきました。石も硬い石やもろい石というふうに表現によって分類されるようになり、石器時代、石造建築時代になると、宝石や花崗岩、玄武岩といった、用途に応じた別々の石として区分されるようになってゆきました。言語の進化は文明の発達と表裏一体のものであり、技術文明は言語による魔術のようなものでした。
 初期の言語は、口承によって人から人へ伝えられ、人はそれを後天的な学習によって会得しました。発音には個人差がありましたし、聞き方にも個人差がありましたから、言語は世代や距離を隔てるごとに変化してしまったりもしたことでしょう。方言はそのひとつの例といえるかもしれませんね。
 話し言葉を文字という記号に置き換える文化が育つまでは、人は口承によりあらゆる情報を伝えていました。その高度なものでは、部族の歴史や生活の知恵を長い物語として作成し、それを伝承することで、先人の暮らし向きや行ないを子孫に伝えました。文字文化の中で暮らしている我々にとっては、正確さを欠くかなり非効率な情報伝達に思えますが、口承による情報伝達は文字文化がかなり発達してからでも盛んに行なわれて来ました。文字は話し言葉のすべてを完璧に再現できるものとは限らず、口語の方が表現力も情報伝達能力も長けていました。我々が文字表現を万能のように思っているのは、口語の文字表現への依存度が高いからでしょう。日本でも文字表現がかなり忠実に話し言葉を再現できるようになったのは、言文一致が散文文学において達成された極最近になってからのことです。世界には、ひじょうに文字文化が発達していても文字の読めない、読む必要を感じず学習しなかった人たちがたくさんいます。

 後天的な学習によって会得する言語というものを生活の根幹に置き、言語でものを感じたり考えたりするようになった人間は、社会生活においては大変な労力を費やして言語を習得しなければならなくなりましたが、情報伝達の精度がどんどん向上し、技術文明も進歩しました。建築土木技術や科学技術が発展するには、文字表記や数学が不可欠で、文字と話し言葉は社会生活を支えるのに不可欠なものとなってゆきました。
 文字表現を会得した人間は、自分では覚えきれないものをメモっておくという外部記憶を発達させました。人間顔負けの頭脳を持つクジラでも記憶内容は頭脳の中に記録したものがすべてですが、外部記憶の技術を持つ人間は、覚えきれないものは紙か何かに記録しておいてとっとと忘れてしまい、必要な時に記述内容を確認して思い出すという暮らしの高度化効率化に成功しました。
 人間の外部記憶の媒体となるものには、文字の他に記号や数字、図形といったものがあり、それらは歌や楽器とともに芸術にまで発展しました。
 人間は、存在しないものを想像によって産み出し、それを音や絵、文章で再現し、そうした作り物に感動したり教訓を得たり、実体験をも越えることがらを学習したりすることができるようになりました。コンピューターの進化に伴い、バーチャルリアリティ(仮想現実)というものの実現が現実味を帯びてまいりましたが、それをウソの世界と批判する意見も少なくありませんが、人は古来より現実よりも虚構の世界に生きてきました。どんなに想像力の乏しい人でも、現実だけを見ては生きて行けませんし、そうした生き方では向上心もなければ物事への理解さえ及びません。理解とは正解を見つけることと思ったら大間違いで、真理へどれだけ近づけるかという自分なりの解釈であり、解釈へのアプローチには試行錯誤に伴う想像力が必要不可欠です。

 従来型の人間の外部記憶と言えば、文章や図形でしたが、機械文明以降、写真、映像、録音といった電子的に記録を残す方法が発達しました。そしてコンピューターの登場がそれらを格段に使いやすくかつ確実なものに進化させました。今ではパソコンや携帯電話、スマートフォンといった電脳端末が我々の身近に当たり前に存在し、文字や図形、写真、動画、音声の記録を容易に行なえ、しかも正確かつ迅速にそれを伝達したり、公共の場に発信したりすることが可能ですし、個人が扱える情報の量とそのストックも莫大な量になりました。
 筆者が若いころ、文章の記録と保存は手書きに依っていましたし、写真や映像、音声の記録にはなかなか大そうな機械が必要でした。記録メディアである磁気テープ、カメラのフィルム、そうしたものの管理もなかなか面倒なものでした。それがパソコンの登場でCDやフロッピィディスクといった1つの媒体に何でも記録できるようになり、いまではそれさえも旧式のメディアになりつつあります。今では手のひらサイズのスマホがあらゆる外部記憶を記録し、それを内蔵の爪の先くらいのカードに大量に保管しています。それで足りなくなれば自宅のパソコンのハードディスクに簡単にコピーできます。
 筆者の現在の暮らしでは、写真のアルバムも日記も、エッセイや小説もすべてパソコンの中です。そしてそれら多くの外部記憶は、筆者の若いころのそれに比べるとケタちがいの情報量で、記録したことさえ忘れてしまっているようなものも少なくありません。
 筆者が高校生の頃、手書きの同人誌を複製して10人ばかりに配るのに大変な労力がかかりました。筆者が20代の頃、ワードプロセッサを使い出版を印刷所に依頼して同人誌100部ばかりを頒布するのに多くの人でと日数、十数万円の費用が必要でした。郵送等で配布するにも多くの経費を必要としました。ところが、現在では月に何十という写真付きの記事を苦もなくブログにし、アクセス解析を見てみますと1月もすれば2000件を越えるアクセス数が認められます。同人誌100部を頒布するのが半年に1度がやっとだった頃に比べると、すさまじい情報発信能力です。しかも1月にかけた経費は300円のブログ管理費のみ。そして月に2000アクセスなんてブログとしては極めて貧弱なものです。アクセス数イコール読者数ではありませんが、同人誌に置き換えれば読まないまでも手にとってくれた数に準ずるものと言えるでしょう。あの頃は同人誌を売れないまでも手にとってもらうために、書店に置くにも即売会に持ち込むにも多くの経費と手間が必要でした。

 現代に生きる我々は、すさまじい情報量の外部記憶を自在に操る生活を当たり前のこととしています。個人が記録して行く外部記憶だけでも莫大な量なのに、ひじょうに大人数の外部記憶に容易にアクセスできます。ものを調べるのに図書館通いをしていた頃に比べると、その何十倍もの情報を家にいながら瞬く間に取得できます。図書館まで赴いて目当ての情報の記載された本を見つけて借りて帰るまでの時間に、どれだけの情報を取得できることでしょう。もう何十年も図書館に行ってませんが、図書館通いをしていた頃よりも得られる情報はケタちがいに大きくなっています。
 人間がこのような情報の扱い方をするようになってまだたかだか20年ほどでしょう。携帯電話やパソコンが充分に普及し、誰もがその恩恵を当たり前のように生活に取り入れるようになってからは、まだわずかな時間しか経っていません。長い長い人類の歴史の中で、壮大な情報の海が一般家庭に行き渡ったのはついこの間のことなのですよ。我々は数千年の間誰も経験しなかった超情報環境を当たり前に利用しているわけです。
 このことは、人類をこれから急速にそして急激に換えて行くことでしょう。情報が資産であること、情報が力であることをもっと多くの人々が理解するようになれば、様々な社会不安が解消されてゆきます。情報化社会になり、資産家はますます効率的に財産を増やし、格差社会はどんどん増長し、未来は暗澹としていると多くの人が信じて疑わなければ、そのような未来が実現するでしょうが、世の中はみんなが古い考え方にとらわれているわけではありませんし、権力によって経済を支配するよりも、もっと確実で安定した経済支配、人々の文化(暮らし)の集大成が経済をリードして行くような社会が現実のものになることは、それほどあり得ないことでもありません。そしてそうした新たな社会は一般大衆のものの見方考え方から大きく隔たったものでもありませんし、新たなシステムに人々が順応するのにもほとんど時間がかからないでしょう。未来が明るいと信じる心が、必ず世の中を変えます。

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