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変化の時代

2014/11/22


 我々現代人は、変化の時代に生きています。
 19世紀のイギリス産業革命(工業化、工業革命)以降日本でも蒸気船や蒸気機関車が走るなど、世の中が革命的に変わる出来事が相次ぎましたが、それでも庶民の暮らしは馬車での移動や親から子へ着物や遊び道具が受け継がれるなど、大筋において江戸時代から大きく変わることはありませんでした。20世紀になって飛行機が実用化され日本にも旅客機が就航し、テレビ放送が始まり、庶民の暮らしが大きく変化するのはそのあたりからです。第二次世界大戦の終結は、日本に民主主義という新たなイデオロギーをもたらしましたが、本格的な文明の変化の波が我々庶民の生活を飲み込んで行ったのは、1960年代以降のことです。
 大昔から連綿と続いてきた変わらない生活、変化があってもひじょうにゆるやかで部分的な変化であったものが、1960年代以降は劇的に変わることとなり、その変わり様は人類がかつて経験したことがないようなものでした。我々現代人は、人類がかつて経験したことがないような劇的変化の時代を生きています。
 近代社会において、人々の暮らしを大きく変えたものは、物と情報の移動手段の変革です。鉄道網の充実により、手紙や品物が遠隔地にまで届くようになり、電報は情報の伝達速度を格段に速めました。自動車が近隣エリアの運行に利用されるようになると、産業レベルの輸送のみならず個人的な郵送も効率化しました。鮮魚が数時間で大都会にまで運ばれ、手紙や小包が数日で日本中至る所に届き、伝言が電報によってその日のうちに相手に届いてしまうなどという世の中を、人々はこれまで経験したことがありませんでした。
 鉄道が誕生してまだたかだか100年ですが、それが本格的な庶民の移動手段となり、郵便物の輸送手段となり、それに自動車輸送が加わって、鮮魚があっと言う間に都会にまで運ばれ、宅配便なる迅速で細やかな輸送システムが充実してきたのは、かなり最近の話しです。
 筆者が幼少の頃、自家用車はまだポピュラーなものではありませんでしたし、鉄道からようやく蒸気機関車が姿を消し、新幹線が東海道を走ろうかという状況でした。筆者の親の世代では蒸気機関車がディーゼル機関車に代わり、それがさらに電車に代わりといった変遷を経験していますし、祖父母の世代では、鉄道が庶民の手の届く乗物になったことが画期的なことでした。
 それ以前、筆者の曾祖父の世代になりますと、江戸時代から連綿と続いてきた暮らし向きにそれほど大きな変化はありませんでした。日本古来の文化に西洋の服飾文化や建築文化が徐々に流入しつつあるものの、人の移動は足か馬で、庶民は生涯のうちにそれほど遠距離の移動は経験しませんでした。庶民の文化は大筋において親から子へ受け継がれる江戸時代からのものに支えられていたのです。
 1960年生まれの筆者が幼少期を過ごした日本は、日進月歩で人々の暮らしが変化してゆきました。家庭用のテレビや電話機が1家に1台普及する時代が来ると聞いたときには、いつの未来や? と思いましたが、それを聞いた翌年には筆者の貧乏所帯にも電話とテレビがやってまいりましたし、数年後にはテレビがカラーになりました。東海道新幹線が開通し、東京オリンピックがテレビ中継され、交通網も蒸気機関車が大阪駅から姿を消し、国鉄のディーゼル機関車も電車にどんどん置き換わってゆきました。街からは路面電車がトロリーバスに置き換わり、それも短命で姿を消して地下鉄の整備が始まりました。
 1970年に大阪で日本万国博覧会が開催され、ソビエト(ロシア)のガガーリン少佐が地球は青いぜ、といった証拠や、アメリカのアームストロング船長が拾ってきた月の石ころが展示されました。万博の前に拡がっていた広大なハス畑は住宅地に変じ、物価が高騰してタコ焼きやお好み焼きが10円銅貨では買えなくなりました。ふと気づけば家にステレオだのテープレコーダーだのといった物々しい近代機器が存在し、自家用車までやって来ました。アパート暮らしがいつの間にか2階建てのマイホームに変じていました。
 筆者が高校に通うようになった1970年後半には、テレビ画面を操作できるビデオゲームが出現し、数年後には花札を作っていた会社が家庭用ビデオゲーム機を開発しました。
 1980年代にはパソコンが急速な進化を遂げ、1990年代にはOSが統一されて一般家庭への普及が始まり、インターネットやカーナビが開発されました。21世紀が明けると、ブロードバンド回線が充実して、パソコンは世界を網羅するネットワークに常時接続された家庭用端末という位置づけになりました。それまでマニアックなホビーだったものが家庭の常識になり、商取引の中心になりました。
 そして近年、携帯電話といわれていたものが、スマートフォンという小さなパソコンに進化し、人々は有線ネットワーク環境にアセスしなくても、いつでもどこでも電脳生活を普通にできるようになりました。
 最近のブログや個人のサイトを見ておりますと、すさまじい取材手腕と高度な評論能力に愕然とします。プロの記者や評論家との差異は、それで稼いでいるかいないかの違いしか見当たりません。同様に小説やアニメや音楽といった芸能でも、プロ顔負けの仕事をしたり、プロを超える収入を得ている人がいたりと、プロ・アマの線引きが曖昧になりつつあります。科学技術の進歩は、人間そのものをもここまで変えてしまいました。
 そしてそして、科学技術の進歩は、人々に健康と長命をもたらしました。筆者が高卒で会社に入ったばかりの頃は、50過ぎの定年前の人はヨボヨボのじぃさんばぁさんでした。ところが最近のじぃさんばぁさんの猛烈ぶりはすさまじいです。筆者自身もまさか50過ぎてアニメを見続け、アイドル歌手(K-POPですけど)にハマッていようとは、若い頃には予測できませんでした。その頃の自分の老人像と言えば、庭で盆栽でもいじりながら演歌か民謡を口ずさんでいるイメージでしたが、実際に年取ってみると、盆栽にも演歌にも一向に興味がわきません。高校生の時から基本なにも変わらないのです。この大人になれないぶりに自分で自分に戸惑います。
 健康面に関しては、成人病の低年齢化、肥満、精神疲弊の増大が社会問題になっており、科学技術の進歩が健康をもたらしたという点には多くの人が意義ありではないかと思われます。でもそれは事象の表面を見ているだけだからです。つい最近まで、日本人は江戸時代からあまり変化のない暮らしをずっと続けてきました。栄養も食事量も不足がちな食生活を先祖代々送ってきたのです。生きてゆくのもそう楽なものでもなく、娯楽やそれに避ける時間も多くはありませんでした。筆者の祖母は自分の親を見て、ただ働くだけの人生だと言っていました。貧しい食生活と精神的ゆとりの乏しい暮らしぶりに、人々は今よりずっと早く老け込み人生わずか50年とも言われていました。筆者が幼少の頃でも、子供の栄養不足が問題で、学校給食の高栄養価、肝油といったサプリメントの支給に学校が取り組んでいました。今より栄養が不足している子供たちは頻繁に風邪を引き、洟(はな)たれ小僧が子供の代名詞でした。それが戦後急激に高カロリーの欧米食が出回るようになり、先祖代々栄養不足に耐えてきた体が、いきなり栄養過多に遭遇したわけです。太って当たり前、肥満は正常の証しじゃないですか。それでも太れない人の方が健康に対する不安は深刻です。太れないで悩んでいる方に、肥満傾向の人が「スリムでいいね」なんて平然と言うのを見ていると、バカの蔓延ぶりにあきれます。その安易な言動で相手をどれだけ傷つけているか、まったく分かっちゃいないのでしょう。
 科学技術がもたらした健康面での弊害は、技術を悪用して格差社会を増長させようとする社会システムによるものです。機械化によって人件費を節約しよう、より多くの作業を押しつけようという人を人とも思わぬ権力者の愚行が招いたものです。それにより精神疲弊や難病の増大、健康管理の不備が蔓延しました。しかしそうやって人が人を見下し陥れる社会もいつまでも続きません。消費の低迷のツケは、途方もなく大きく膨らんで権力者に返ってゆきます。
 変化の時代に、我々が学んだことは科学技術を旧式の社会システムで行使し、権力者を育成するとどうなるのか、経済競争を増長させると環境や資源がどうなるのかということです。そして学んだことを今後に生かせるのが人の能力です。それができない、やらない、人を自ら愚かと認めてはばからないのなら、それを人とは呼びません。
 

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