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文字離れ文字文化

2014/11/29


 今を去る25年ばかり前、パソコンがオタクの持ち物から一般家電への移行を目指し、パソコン通信がインターネットへ進化しようとしていた頃、筆者は電子文字文化の到来を予測しました。欧米では古来よりタイプライターによる筆記が常識化していましたが、日本ではワープロ原稿が作家や記者の間でもようやく認められつつあるといった状況でした。ワードプロセッサ通称ワープロは今では過去の遺物になってしまいましたが、ローマ字キー入力によって漢字仮名混じり文を作成できるワープロ技術は、オフィスや本作りを大きく変えました。高校時代に手書きで細々と同人誌作りを手がけていた筆者も、ワープロの登場により社会人になってから再開することができました。
 ワープロは、簡単な操作で活字を紙に出力できるということで、日本語タイプライターとして発展して行ったのですが、パソコンが一般家庭に普及し始めるとその機能はパソコンに統合され、やがてワープロという概念が製品と共に世から消えました。
 ワープロで文字を活字(活版印刷ではないので活字というのは厳密にはまちがい)を出力するという概念から、パソコン上に文字を表示して使うという概念へ、文字文化は移行して行きました。ワープロも進化したものでは、大きなディスプレーを搭載し、カラー写真や図表を表現できるようになりましたが、それはあくまで印刷物を作成するためのレイアウト表示機能として進化したものでした。
 一方パソコンは、見た目はワープロとよく似ていますが(実際にはワープロの方がパソコンに近づいて行った)、ディスプレーの表示そのものが目的で、必要なら印刷すればよろしかろうというスタンスで、やがて両者の線引きはきわめて曖昧になり、ついにワープロは姿を消しました。
 筆者が初めて買い求めたパソコンは、富士通の SMTowns で、フロッピィディスクドライブとCDロムドライブを内蔵し、ディスプレーとマウスが付属しているも、キーボードは別売という代物でした。ワープロ機能をメインとした筆者は、パソコンと同時にキーボードとワープロソフトを購入したわけですが、最初はワープロよりも不便になったと感じたものです。プリンターも別売で、ケーブルで接続しなければなりませんし、本体とディスプレー、キーボードといった各機器もケーブルでつながっていて移動や持ち運びがきわめて困難なものになったうえ、起動にも時間がかかるようになったからです。従来のワープロはすべての機器が一体化しているうえ、電源を入れるとすぐに起動しましたし。
 パソコンが一般家庭にも普及し始めた頃は、多くのユーザーにとってそれは高価な玩具でしかありませんでした。ゲームをするか、年に1度年賀状を作成するか、それ以外の用途がありません。写真や音楽を加工するにも、そのためのソフトはひじょうに高価なものでしたし、だいいちデジカメのようにデジタルデータを取り込む機器が一般的ではありませんでした。
 筆者は同人誌作成という目的があったのでまだしも、他のパソコンユーザーはパソコンで何をしているのだろう、ゲームと年賀状以外にやることあるのか、そう思っていましたから、パソコンに興味を持ち購入を検討している人たちに質問されても、お勧めはしませんでした。用途も利便性も見当たらんし。
 パソコンが人々の暮らしに必要なもになった要因は、やはりネットワークの充実でしょう。それまでパソコン通信という電話回線を用いたPC間のデータのやりとりは存在していましたが、情報交換において、一般ユースでは電話で直接話した方が手っとり早いし便利でした。その通信事情に革命をもたらしたのがインターネットの登場で、この技術は我々の暮らしそのものを変えてしまいました。インターネットも初期の頃は電話回線を利用しており、やりとりできるデータ量が小さいうえに通信費も高額でしたが、光通信網が整備され、常時接続が常識になると、インターネットは暮らしを支える技術として必須のものになりました。そんなもの必要ないと言い張る人でも、職場や公共の施設でそれに触れないわけにはゆかなくなりました。
 今では、筆者よりも10年以上遅れてパソコンを入手した人たちが、パソコンのテクノロジーについて筆者に教えてくれるありさまです。
 ここしばらくのうちに人々の暮らしもずいぶん変わったものです。

 今では、パソコンはインターネットにアクセスできる端末という位置づけになり、テレビ放送の受信機のように一般家庭に普及したわけですが、それを携帯し移動先でもネットアクセスできるツールにしようというので、キーボードとディスプレーが一体となったノートパソコンと無線通信カードが開発されたわけですが、光通信の充実に伴って無線LUNサービスが普及すると、それが主流になってゆきました。
 一方で、すでに各家庭に普及していた電話機を携帯して歩けるものにする技術も開発が進み、携帯電話が普及し、それがどんどん便利になりインターネットほかパソコンの主要な機能を備えるツールとなり、PDAなどの特殊な通信機器を滅ぼして、スマホという携帯端末に進化を遂げたことは周知のことですね。パソコンの方もタブレットというより携帯性の高いツールを産み出し、小さなタブレットパソコンと大きなスマホでは、ちがいがよく解らないみたいなことになって来ました。筆者が使用している iPad も iPad mini という小型化モデルを派生させ、方や iPhon は大画面のものがリリースされ、両者はあまり変わらないものになりました。iPad も携帯電話回線機能を持っていたりしますしね。かつてワープロとパソコンが統一されたように、パソコンと携帯電話もネットにアクセスするための端末という点で差異がなくなってきました。
 スマホやパソコンで何をするのか、何ができるのか、どのように暮らしに役立てるのかについては、筆者よりも読者の方がよくご存じでしょう。
 筆者の生活で申せば、スマホやパソコンの普及により、ペンを持つことが大幅に減り、ノートや原稿用紙が暮らしから消え、写真とアルバム、図書館通い、ステレオ装置やDVDプレイヤーも消えました。

 筆者が25年前に予測した電子文字文化とは、電子機器がペンと紙の代わりをし、人々が文字を書かなくなるという文化ですが、予測はかなり的中しましたね。もっともこれくらいのことは大勢の人たちが予測していたでしょう。筆者の場合は、電子文字文化が人々から手書きの技能さえも奪ってしまうというもので、かつてソロバンを弾く技能が電卓に置き換わったように、人々の暮らしから文字を手書きする技能が消え、電子文字がそれを完全にカバーしてしまうというものでした。
 現在のところ、文字の手書き技能が人間社会から消えてしまうまでには至っていませんが、長文を手書きする機会はほとんどなくなりました。筆者の右手にはペンタコの痕すら残っていません。
 筆者の予測では、文字の手書きは古典芸能のような名人芸と化し、手書きの伝統を引き継ぐ人は、書道家だけになり、一般人は子供みたいな文字を書くのがやっとといった状況が常識化するだろうというものでした。予測はここまでは的中していませんが、大人でも子供みたいな文字しか書けない人が増えつつあるのは事実ですね。

 最近はあまり耳にしませんが、パソコンが普及しつつある頃、若者の活字離れを問題視する人がよくいました。テレビに出演する評論家までもが、本を読まなくなった若者といったことをよく言ってました。筆者はそうした評論家の目は節穴だと思いました。
 筆者自身が、長文を手書きに依っていた頃の何倍も文章を書くようになりましたし、若い人たちの文章に触れることでたくさんの漢字、たくさんの外来語を覚えました。それと電子書籍の充実によって読書も一頃よりも身近になりました。書店を訪れる機会は減りましたが、ダウンロード販売で書籍を入手するのはたいへん便利です。立ち読みの代わりにお試しもありますし、シリーズものでも片づけ忘れで前の号が見つからず、何号まで読んだか分からなくなるなんてこともなくなりましたし。
 文字を手書きするのが苦手という傾向は、これからますます増大するでしょう。それに現代人で長文を手書きする人なんているのでしょうか。若い世代で手書きの長編を書いたことがある人なんているのでしょうか。手書き文字は書道家の名人芸に変じて行く(筆者が勝手にそう思ってる)一方で、現代人は多くの電子文字を読んだり書いたりします。読む方は印刷活字と変わらないのでしょうが、書く方は大幅に省力化と効率化が進み、話しをするように書き進めることが可能になりました。漢字を覚えていなくてもパソコンが漢字を当ててくれ、どの漢字が適切かもその場で瞬時に意味が調べられます。最近の若い人たちがたくさんの漢字を自在に操るのには驚かされます。おかげで筆者も今さらながらたくさん漢字を覚えました。
 パソコンが漢字を当ててくれるおかげで、誰もが安易に難しい漢字をホイホイ使ってしまうのは弊害でしょうか。難しい漢字を使うくせにそれを手書きしろと言われるとできない、読めるけれど書けない人たちが増えています。でもそれが弊害でしょうか。電子文字文化の時代には、紙やペンが不用なのですから、読めれば書けなくても問題はありません。かく言う筆者も頻繁に漢字をど忘れするようになり、会社で旧態然とした手書き報告書等に遭遇した場合、パソコンやスマホで忘れた漢字を探すことが日常的です。若い人たちの活字離れを批判できる立場ではありません。
 手書き文字文化が廃れて行くのを嘆くのは愚かなことです。それを嘆くなら電卓を手放してソロバンを持ち歩くべきですし、車も新幹線も否定しなくてはなりません。短時間長距離移動の手段が現代生活になくてはならないように、電子文字も今や人々の暮らしから切り離せません。自分は手書き派だからと、メールの代わりに便箋に手紙を書き、会社でもパソコンの使用を拒むとしたら、友だちと職を失うことになるでしょう。
 電子文字世代の若者たちは、旧い人間の活字離れに対する批判とは裏腹に、我々が手書きで文字と親しんでいた頃の何倍も文章を作成し、漢字や外来語もたくさん知っています。手書きへの労力が語学に対する知識に置き換わったと言えるでしょう。随筆やルポルタージュはかつては職業作家の仕事でしたが、最近の素人のサイトやブログは、文章力も取材能力もプロ顔負けです。投稿サイトに寄稿される小説のクォリティもプロの作家とのちがいが判りません。かつてはエンターティナー性の有無で、プロアマを線引きすることができましたが、今はそれも曖昧になり、なにがブレイクするか解らない時代です。職業作家以上に稼いでいる同人作家もいますし、プロじゃ食えないと同人に戻って収入を得ている漫画家すら存在します。
 電子文字文化の到来による手書き文字の廃頽を嘆く旧い人たちの、文字離れを筆者は心配する次第です。でもまぁいいか、旧い人たちはやがていなくなるわけですし。

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