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生存協調

2014/12/03


 野生動物の世界は、熾烈な生存競争の舞台であるとよく言われます。動物に限らず植物も日照権を巡る競争が絶えません。しかし彼らは本当に競争しているのでしょうか? 方や自然界は絶妙なバランスで成り立ち、あらゆる生き物がそのバランスのために必要なのだとも言われています。この二元論は壮絶な矛盾です。人間社会において、調和が不可欠であるとしながら競争は宿命だと言っているのとよく似ています。
 自然界の成り立ちと人間社会は、その原理においてひじょうによく似ています。考えてみれば人間も生物の一員であるわけですし、人間社会は動物たちの営巣や縄張りの発展版です。人はその科学技術で地球を支配しているとも言われていますが、大規模な営巣地である都会の設営は河川付近や海岸線、平野部に限られ、大地も海もその多くが未開のままです。国境線で国同士が縄張りを主張し合っていますが、テリトリー内の多くの土地が管理できていない未開地です。
 人間社会は、競争社会であり厳しい格差が存在します。国と国とは経済競争を繰り返し、戦争を取引の道具として行使し争います。その争いは大規模な殺戮や民族の殲滅に及びます。そしてそれは宿命だと言われています。野生の生き物たちが厳しい生存競争の渦中に身を置いているのと同じく、生き物の一員である人類も競争から逃れられないのだと。
 古い表現ですが、社会ダーウィズムという言葉があります。人間社会を生物界の縮図であるとしダーウィンの進化論を人間社会に当てはめ、競争社会を肯定しようという発想です。人が生物の一種であり、人間社会が生物界の縮図であることには筆者も依存がありません。しかし競争社会を肯定し、格差を宿命のように言って胸を張るのは、権力者の愚行であり、御用学者の詭弁です。なぜなら、生物たちは人間のような無益な競争はしていないからです。ダーウィン先生が唱えた進化論における競争と淘汰の原理は、生物の進化の一面を表現したものに過ぎません。

 生物は一定の土地に生息していますが、移動することも少なくありません。生息範囲は少しずつ変わってゆきます。自然環境が一定ではないからですし、そこに棲んでいる生物自身も環境の変化に影響を与えます。刻々と変化する環境および複雑な諸事情で、生物はしばしば生息地を離れ、上手くすると新しい土地に適応できます。それを繰り返しながら、様々な土地に生息範囲を広げて行くことを適応放散とも言いますね。
 もともとの生息地の適応先とでは、生物は長い歳月のうちに差が生じます。気象も食糧事情もちがいますから、それに適応するために体が変化(進化)してゆくわけです。長い歳月、お互いに行き来のない遠隔地で暮らすうちに、地域変異、地域亜種といった差異が生じます。そしてそれがさらに変化を重ね、新種への進化や分化が起こります。もとの生息地で暮らしている生物にも変化は起こります。同じ土地であっても環境は変わってゆきます。気象条件も変わりますし、新入りの生物が入り込んできたりもします。生物は、先祖代々同じ場所に居続けようと、移動して行こうと進化し続けるのです。おおむかしから姿が変わらない原始的な生き物も存在しますが、変化のていどがゆるやかであるだけで、過去からまったく変わっていないということはありません。
 生物は進化し分化し、環境に応じた種を産むことで環境に適応して行きますから、環境の変化の大きいところほど、生物の種類も多くなります。高温多雨の熱帯ジャングルにはひじょうに多種多様の生物がひしめきますし、寒冷な極地方では種類が少なくなります。
 似たような種類の動植物が、同じ地域に多数存在することは、一見無駄のようにも見えますが、それだけ環境の変化が著しく、生物がそれに適応しようとしていることを表しています。生物の種類が多いほど環境の変化に対して生態系が安定します。
 生物の進化は、環境への適応により有利は方へ向かいます。当然ですね。そうでないと種は衰退してしまいます。より効率的に食物を採集できる方向に、爪や歯が特化しますし、体の方も装甲や体温調節に適した形状になって行きます。同じ環境で同じような食物を摂取する動物が競合することになった場合、当然ながら適応力でまさる方が勢力を拡大し、非力な種は衰退します。その図式を単純に観察した場合、それを生存競争と表現することができるでしょう。一定の場所で限られた食料を奪い合う場合、パワーがあるものが有利になるのは当然です。強くて大きな体躯の動物は、多くの食料を必要とし、必然的に弱者の取り分まで脅かす結果となり、悪意がなくても弱者の繁栄を妨げる結果となります。

 温暖化が進み、食料資源が豊富な状況では、この食料の争奪戦と強者が生き残る図式は顕著になり、その様子だけ見ていると、自然淘汰や生存競争に矛盾はありません。生物は互いにせめぎ合い、より大きくより力強い種を優先的に残してゆき、化石証拠も、生物がより強くより大きな方向へ進化して行くことを裏付けています。
 しかしながら、生存競争によって生き物がより強く大きな方向へ進化するというのは、より大きな動物が有利であるほどに充分な食料資源と温暖な気候が維持されていることが条件になります。地球の自転により大陸を含む地表はとどまることなく移動し続けていますから、大陸が分散して世界的に海洋性気候が拡がる時代には温暖化が進み、大地も海(主に大陸棚)も肥沃な状態に満たされます。しかし大陸がくっつきあって内陸に広範囲な大陸性気候をもたらすと、そこで氷床が発達して地球全体に寒冷化が進みます。そうなると、早々にダメージを受けるのは多食漢の大型動物です。彼らはやせ細り出産率や稚児の生存率が減少し、衰退して行きます。小さな省エネタイプの生き物に進化すればよいようなものですが、進化は非可逆的なメカニズムで、ホイホイもとへ戻れるというわけにはゆかないのです。徐々に小型化が進むかも知れませんが、それよりも早く少ない食料で充分にやっていける動物たちが勢力を拡げ、大型動物を急速にピンチに陥れることでしょう。寒冷化が進む環境における大型生物の急激な衰退と、小型動物の発展を、生存競争の図式でどう説明したらよいのでしょう。
 環境のエネルギーが充分な時には、生物はより強く大きな方向への進化が顕著になりますが、エネルギーが乏しくなるとそうはゆきません。食糧事情が厳しくなる中で、より大きな動物が他を滅ぼして繁栄し、さらに大きな方向へ進化して行くというのは難しいでしょう。
 また、自然環境に充分なエネルギーがみなぎっている状況でも、すべての生き物がどんどん大型化するわけではありません。巨大な動物と大木だけの自然なんてありえません。小動物も虫もちゃんと存在しますし、同じ哺乳類であっても様々の大きさのもの、極めて進化的なものから原始的なものまでが共存しています。

 自然界に生きる生物は、果てしない滅ぼし合いを続け、強い者だけが生き残り、最後に生き残ったものも食うものがなくなって死滅するといった暴挙を繰り返しているわけではありません。バランスしているのです。外来生物が新天地で一時的に異常発生するようなことはありますが、それでもやがてはバランスします。このバランスは、生存競争や自然淘汰、適者生存といった強者本意の考え方では説明できません。
 肉食獣が草食獣を狩る状態を、弱肉強食と表現しますが、この場合の強弱は腕力の点だけを見た場合という条件づけが必要です。個体数の多さすなわち繁栄の程度で言うならば、肉食獣が草食獣に勝ることはあり得ません。人間社会に弱肉強食の原理を適応し、弱者は強者に肉を提供して当然だと考えている人たちがいますが、勝ち組負け組理論や、資産家有利な政策によって豊かなものをより豊かにしてゆこうという考え方は、バランスという生物界の条件を無視した幼稚で低能な発想です。
 生物は、じつは競争などしていません。ライオンはシマウマに対して力を誇示するために、あるいは弱者を食い滅ぼすために狩りをするのではありません。競争社会肯定論者がいうような弱肉強食と、ライオンの捕食活動は根本がちがいます。

 生物の生態や進化のメカニズムを考える場合、個々の生物の振る舞いだけを見ていても真実に近づくことはできません。彼らは競い合い滅ぼし合う中で進化し、自滅の道をたどるわけではありません。肉食獣が草食獣を狩るのを見て、恐竜が短期間で絶滅してしまったのを証拠に、競争と滅亡が生物の宿命のように考える人が少なくないようですが、滅びる以前に彼らは存続しています。棲息環境でバランスし合って生態系を維持し、無数に存在する生態系同士がバランスし合って地球全体の生態系を維持しています。環境の変化は生物を変え、生物の営みは環境を変えてゆきます。古い環境に適応した生き物は、環境の変化と共に徐々に適応力を失い、新しいタイプの生き物に座を譲って滅びてゆきます。滅びは地球上生命の終焉ではなく、新たな生命への橋渡しです。
 恐竜たちは、中生代の温暖な環境の中で壮麗な進化を遂げましたが、中生代とは明らかに一線を画す地質学的な異変すなわち急激な寒冷化によって短期間のうちに滅びました。隕石衝突といったドラマチックなシナリオを支持する考古学者が優勢ですが、隕石の衝突では、それ以降の氷河期と間氷期を繰り返す新生代の様子を説明できません。恐竜たちは年々少しずつ寒冷化する冬と戦いながら、どんどん悪化する出生率と稚児の生存率に苦しみながら、数万年をかけて滅んで行ったのでしょう。数万年は地質年代的には一瞬です。化石証拠を観る限りでは、一瞬で滅んだように見えます。
 しかし彼らは、彼らの仲間から分化した鳥類を後世に残し、生命の橋渡しをしっかりと築いてゆきました。現在、多くの鳥類が大繁栄していますが、それを恐竜の形を変えた姿だと評する学者もいます。おもしろい表現ですね。そして鳥類の中には、環境の変化に追従できずに滅びようとしている種もあります。その様子はさながら、恐竜たちの最期のようです。
 人類が生物学に対する理解を深めて行くためには、ドラマチックな競争の様子ばかりではなく、生物がどのように協調しているのかに目を向けて行く必要があるでしょう。そしてそのことは、人間社会の在り方を考えるうえでも重要な事柄だと思われます。

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