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アレルギーと脳の働き

2015/02/02


 生物は食物の摂取や呼吸、あるいは怪我などから異物を体内に取り込んでしまいます。異物とは体内の組成や成分にない物質のことですが、生体にとって無害なものや滋養になるものは取り込んで問題ないのですが、毒性のあるもの、病気を発症するものは排除する必要があります。その働きをするのが免疫系であり、免疫系の機能には有害な異物の排除のほかにも癌(がん)細胞のような細胞の異常を排除する働きもあります。免疫系というのは多数の機能が集積された巨大なシステムで、この機能が正常に能力を発揮することは、生体を正しく健康に維持するために最も重要です。免疫力という言葉がよく用いられますが、充分な免疫力を維持するには、栄養バランス、充分な基礎体温、ストレスの解消といった生活態度の調整がたいへん重要であると言われています。
 免疫系は、微細なウィルスから肉眼で見えるほどの寄生虫までを監視しています。ただし、体外から侵入するあらゆるものを除去するのではなく、病原体や毒性のあるものを排除対象にしています。
 脊椎動物の場合は、体内に侵入した異物を、免疫系が生体にとって有害であると判断した場合、白血球中のリンパ球内で生成されるタンパク分子が異物と結合して抗体を形成します。抗体は特定の異物を認識する鋳型として血液中にプールされ、再び同じ異物が侵入した場合にそれを抗原として認識し結合します。1種の抗体が認識する抗原は1種で、人の体内には数千万あるいは数億の抗体が生成されているそうです。
 抗体が結合した抗原は、白血球やその一種でアメーバー運動するマクロファージといった食細胞によってモシャモシャと食べられることになります。抗体が特定の抗原を見つけて結合する抗原抗体反応は、食細胞に食べ物を教えているようなものですね。そして食欲を満たした食細胞は、異物と心中して死滅し、体外に排出されます。怪我などの場合は白い膿みとなって観察できます。

 さて、アレルギーのお話しですが、免疫反応が特定の抗体に対して過剰に起こる状態をアレルギーと言います。専門家ならぬ筆者には、その言葉の意味が完全には理解できません。またアレルギーのことを過敏症といった表現をするのもよく耳にします。正常な状態では免疫反応が生じない異物に対して過敏に反応してしまうということなのでしょう。免疫反応が過剰に起こるとはどういった状態なのでしょう。抗原を撃退しようとする作用が必要以上に働くということなのでしょうか。
 アレルギーとして有名な症状に、気管支喘息、アトピー性皮膚炎、花粉症などがあります。
 花粉症は比較的解りやすいアレルギーです。普通なら有害な異物と見なさないような花粉に対して、抗体が形成され、花粉の多い季節になると免疫反応が強くなり、風邪ににた症状が出ます。筆者も結婚した年に急に花粉症を発症し、ずいぶん苦しみました。鼻の中の副鼻孔が炎症を起こして腫れ、鼻が完全に詰まった状態になったままになり、その状態で鼻水が止まらないのです。鼻が完全に詰まっているので鼻水をすすり上げることもできず、水のような鼻水を垂れ流し放題です。鼻で呼吸できないので口で息をするために、睡眠中に口内がカラカラに乾燥し、口内を指で触るとまるで手の表面に触れているような感じです。喉が痛く、熱も出ます。目もかゆくなります。目や鼻孔に細かい針を何十本も入れられたようなジクジクした痛みが続きます。風邪の鼻水鼻づまりの症状が悪化したような感じです。風邪の症状も、免疫系が病原菌と闘っている際に起きますから、体に起きる現象としては似ているわけです。
 気管支喘息は、吸い込んだ空気中の異物に反応して過度な免疫反応が生じ、気道に炎症が起こって空気の通り道が狭くなり、呼吸困難に陥ります。筆者の息子も幼い頃に発症し、何度も病院に通ったり入院したりしました。ところが成長と共に症状が軽くなり、成人するころには治まりました。これはどういうことなのでしょう。成長と共に抗体がなくなって行ったということなのでしょうか。喘息に対しては効果的な投薬治療があり、症状を抑えることは難しくないのですが、この薬は心臓に負担をかけます。水泳等で体質改善の効果が期待できると言われ、息子は幼い頃にスイミングスクールに通いました。体質改善とはどういうことなのでしょう。体を鍛えて体質が良くなると、喘息を引き起こす原因の抗体がなくなるのでしょうか。
 アトピー性皮膚炎は、強いかゆみを伴う湿疹に悩まされるアレルギーで、特定の食べ物に対する免疫反応により発症するようです。筆者の姪が子供時代にアトピーに悩まされました。体中に湿疹ができてかゆくて我慢できず、つい掻いてしまうので皮膚が傷つきただれたり出血したりします。また免疫反応の原因が特定の食品なので、食べたいものを思うように食べられません。たいへん苦しいアレルギーです。これも多くの場合、成人する頃には治まるようです。

 アレルギーの発症には、遺伝的素因が多いと言われています。筆者の息子は筆者の遺伝子を受け継いだせいで、喘息に悩まされたのでしょうか。成人してそれが治まると、今度は花粉症に見舞われました。アトピーに苦しんだ筆者の姪は、両親も祖父母もとくにアレルギーは発症していません。花粉症に苦しんだ筆者の両親や祖父母もアレルギー体質であったとは聞きません。
 人間の体の形質や機能は遺伝子に依存しているので、アレルギーを発症しやすい遺伝子というのはあるのかも知れません。では、アレルギーの抑制には遺伝子治療が有効なのでしょうか。
 アトピー性皮膚炎や花粉症は、20世紀末辺りから先進国において急増するようになりました。筆者が子供の頃には、そういった病名を耳にしたことがありませんでした。アレルギーの急増には、生活環境の変化も指摘されていますが、原因を遺伝子に求めるよりも納得がゆきます。環境衛生の改善と欧米食の導入による食事事情の変化は、現代日本人に対して斉一的に生じました。その変化がアレルギーの症例を急増させたことは間違いなさそうです。
 筆者の若い頃は、農家では人糞が肥料として使用されるのが一般的で、それが原因である大腸菌や寄生虫が問題視されていました。住宅は木造で隙間が多く、たくさんの害虫やほこりが家の中に浸入してきました。天井裏にはネズミが棲んでおり、道端や空き地、水路でたくさんのネズミの死骸を見つけました。食事はパンやカレーライスといった洋食が普及しつつありましたが、まだまだ日本食が主体でした。工業がどんどん盛んになる時代で、煤煙と自動車の排気ガスで空気が汚染され、工業排水等で河川の水も今よりずっと汚染が進んでいました。現代人をタイムマシーンに乗せて、あの当時の不衛生な環境に連れて行ったら、アレルギー体質の人は症状が悪化し、そうでない人もアレルギーを発症するのではないでしょうか。
 その後、環境衛生が見なおされ、大気汚染や河川の汚染も大幅に改善されました。人糞を農作物の肥料として使用することは廃止され、衛生的な化学肥料が使われるようになりました。人家にはアルミサッシが普及し、砂ぼこりや害虫の浸入が大幅にカットされました。さらに、除菌効果のある石鹸や洗剤が普及し、人々の暮らしは衛生的にひじょうに安全になって行ったのです。
 アレルギーの原因となる抗原や、抗原として代表的な物質のことをアレルゲンと言いますが、現代人の暮らしは、むかしに比べてアレルゲンがずいぶん減少したように思われます。人々は、大むかしから現代で言うところのアレルゲンにまみれて暮らしてきたわけですが、現代社会がそれを急激に人々から遠ざけました。そしてアレルギー発症者の急増という意外な展開が生じたわけです。

 現代の子供たちは、とくに乳幼児は不衛生な環境から遠ざけられ、言わばアレルゲンの少ない環境で育てられ、発育過程において免疫系はむかしほどは忙しくない状態です。そして食事が大人と同じようなものに転換してゆき、外気に触れる機会も増えて行くことで、アトピー性皮膚炎や気管支喘息を発症するようです。衛生的に安全な環境が、皮肉にも異物に対して過剰に敏感な体質を作ってしまうようです。
 世界の多くの先進国におけるこのような生活状況が、アレルギーを急増させた原因であることは間違いなさそうです。現代の子供たちのすべてがアレルギーを発症するわけではないので、根源的な原因は遺伝子に由来するのかも知れませんが、遺伝的にアレルギー体質であるにせよ、むかしなら、大むかしからあまり変わらない衛生レベルの環境でなら、発症しない、そういうことなのかも知れません。
 では、我々の生活環境が不衛生さを取り戻せば、アレルギーに悩む人は減るのでしょうか。不衛生な環境に新しく生まれてくる子供たちは、アレルギーの発症を回避できる可能性が高まるでしょうが、すでに衛生的な環境に慣れている現代人は、症状を悪化させたり新たな発症者を増やしたりすることになるでしょう。それに不衛生な環境はアレルギー以外の種々の病気を誘発します。
 アレルギーを環境改善によって低減するのは容易ではなさそうです。
 環境の変化が人体に影響を及ぼすものとして、環境ホルモンの通称で知られる内分泌攪乱物質というものが最近言われるようになりました。我々の生活の中で使用される化学物質が、体内のホルモンの働きやバランスに悪影響を及ぼすというものですが、これもアレルギー増加の原因なのでしょうか。一頃よく問題になったハウスシック症候群では、建物の塗装や接着剤に含まれる化学物質により、住人が体調不良に陥るというケースですが、あれも環境ホルモンのひとつなのでしょう。
 我々の暮らしは、表面的には衛生的に安全になったように見えて、じつは不衛生な化学物質に囲まれているのかも知れません。怖いですね。

 そしてアレルギー発症の要因として気になるのが、現代人の精神面です。ストレス社会などと申しますが、我々は物質的に豊かな暮らしと引き換えに、心のゆとりをなくしました。これは間違いありません。デジタル技術が向上し、暮らしの効率化と高速化が大幅に進み、そのおかげで現代はほんとうに忙しいです。むかしはご近所はみんな貧乏で、筆者の両親もあくせく働いていましたが、心のゆとりが今よりあった気がします。日曜日は家族と遊び、年末は家族総出で大掃除をして、お正月用の料理を作って、お店も会社も例外なく休みの正月三が日は、初詣と夜更かしが楽しみでした。年賀状もせっせと何十枚も手書きしました。ところが今は、年賀状なんてパソコンを使ってあっという間にできてしまうのに、それすらも面倒で億劫で、年末大掃除なんてあり得ません。お節料理を作らなくても元旦からお店が開いているのが普通です。
 環境の変化に伴う物質の変化もさりながら、精神面でも我々はアレルギーの原因を作っているのではないでしょうか。パソコンもスマホもない筆者らの子供時代は、遊びで得られる情報なんてたかが知れていました。現代の子供たちの方がはるかにドラマチックで冒険に満ちた暮らしをしていると思います。でも、筆者が子供の頃は、ものが豊富でないぶん、想像増力でそれを補い、廃材を積み上げたものを秘密基地にし、自転車を未来の乗物に見立てて遊びました。ご近所や公園で、いろんな大人たちに出会い、両親とはまた異なる考え方を教わりました。
 現代の子供たちは、あまり他人の大人や祖父母と接することなく、いつも同じ親から同じ考え方を見聞きするだけです。しかも親に心のゆとりがないために、親子のコミュニケーションさえ途絶えがちだったりします。電車の中の母子をみましても、子供がしきりに質問しているのに、母親はそれを無視してスマホに夢中です。子供が可愛くないわけではありません、スマホ依存症になるくらいに心にゆとりをなくしているのです。逆のパターンも多いですね。子供が携帯ゲームに夢中になって親の話しに耳を貸しません。
 筆者はゲームはしません。していた時機もありました。同人誌活動を終えて、生き物の研究に精を出すようになるまでの間、かなりビデオゲームにハマりました。でもここ10年以上はゲームをしている時間を持てません。仕事のせいではなく、趣味に忙しいからです。こうしてブログを書いたり、時おり小説や随筆を書いたりするのに忙しく、ゲームをする時間がありません。でも筆者はゲームが嫌いではありませんし、子供たちがゲームに没頭することに反対でもありません。ゲーム世界は、筆者の子供の頃の何十倍も広大な冒険フィールドです。ゲーム世界のバーチャル空間を旅することで養われる想像力も小さくないでしょう。でも心配なのは、ゲーム世界があらかじめ用意された冒険フィールドであるということです。筆者が子供の頃は、石や枝や何かの部品を冒険の道具に見立てたり、空き地や水たまりを果てしない冒険のフィールドに見立てたりという、個人々々の想像を持ち寄って遊びました。小学校での休み時間には、何も道具さえなくても想像力だけで、数人の友人たちと無人島ごっこをし、発明品や遭遇した出来事をノートに書き留めたりしました。あらかじめ用意されたゲーム世界とは根本的なちがいがありました。
 根本的なちがいというのは、むかしの遊びは個人々々の想像力に依っていた部分が、今は映像や音としてあらかじめ用意されており、全員同じものを思い描いているという点です。そのため、べつのイメージを持つ様々な考え方に出会う機会が阻まれます。
 このように述べると、筆者たちの方が現代の子供たちよりも想像力を養うことに長けているように思われるかも知れませんが、それはちがいます。ビデオゲームやアニメで育った子供たちの想像力はひじょうにレベルが高いです。スポーツが今なお記録を伸ばし続けるように、人間の想像力も伸びて行っていると思います。筆者は息子やそれ以上年の離れた若手作家の小説に感動し、その想像力に感銘を受けています。アニメネタでは年齢差を越えて話が合います。
 筆者が心配しているのは、ゲーム世界を冒険することに、心のゆとりはあるのか、それがストレスになったりすることはないのか、ということです。アイテムを集め、ステージをクリアしてゆくことが大きな課題となって、良くないストレスを溜め込んでしまったりしないのか、そういうことが心配なのです。目標に向かって困難に立ち向かうストレスは、人間の精神活動にたいへん良い影響を及ぼします。規則的な枠の中で条件のクリアを強いられ続けるゲームに良くないストレスを蓄積するような要素はないのか、それが心配なのです。これも物質的に豊かさと引き換えに心のゆとりを失くした例だと言えるかもしれません。そして同じストレスでもそれを溜め込まない人、よいストレスに変えてしまう人もいるでしょうし、そうした心の広い、精神にゆとりのある人は良いのですが、若者みんながそうとは限りません。

 アレルギーに精神が関係していることは、筆者自身がしばしば経験しています。仕事上人前に出る機会が多いので、鼻水鼻づまりはひじょうに厄介です。ところが、仕事中の緊張感が症状を緩和するのです。もちろん絵に描いたように上手くはゆきませんで、仕事中に花粉症の症状で難儀することも頻繁でしたが、気合でなんとかなるというのは、実際に何度も実感しています。
 どなたか忘れてしまいましたが、テレビのタレントかアナウンサーのお話しで、ひどい花粉症なのに本番中は症状が出ないとおっしゃっているのを聞いたことがあります。それを筆者は心の中で肯定していました。
 筆者の花粉症との付き合いもやがて30年です。ところが年々それに慣れて来たというか、徐々に苦痛が軽減されるようになって行きました。そしてここ数年は症状が軽微で、花粉の飛散が少ない年には期間中数日間軽い症状が出るだけといった有り様です。最近はシーズン到来を憂鬱に感じることもなくなりました。念のために薬局で点鼻薬を買うものの、使い切らずに余らせてしまうことが多いです。
 過敏症と言われるくらいですから、年をとると鈍感になって症状が軽減されるのでしょうか。それとも花粉症に対して精神的ゆとりができて、それが症状を抑えるのに良い作用になっているのでしょうか。

 アレルギーと精神活動の関係については、いろいろ言われています。気合で症状を一時的に抑えられるというのもウソではないでしょう。でもこれは症状改善の決め手にはなりません。どのように精神をコントロールすれば良いのか、そもそも精神をコントロールするというのがどういうことなのか、よく解りません。
 そして、昨夜のことですが、筆者の嫁さんが、アレルギーと脳の働きとの関係という話しをし、筆者を驚かせました。精神活動がアレルギーの症状に影響を与えるのだとしたら、脳の働きが抗原抗体反応に影響を与えているということはないのか、というアプローチでアレルギーの原因について考えてみてはどうか、というわけです。
 ストレスによる免疫力の低下について、多くの専門家が指摘しているように、精神と免疫系、精神とアレルギーには関係性が存在することは間違いありません。であれば、脳の働きが免疫系をコントロールしていて、ストレスがその制御を狂わせているという発想は見当違いではないかもしれない、そう思うのです。
 このことを思いついた嫁さんは、花粉症やアトピー、喘息といったアレルギーとは無縁でしたが、年齢と共に食品アレルギーを自覚するようになりました。キウイフルーツ、カキ、メロン、バナナといった果物や、ピーマン、貝類などを食べるとお腹が痛くなるというのです。息子も最近になってエビを食べると腹痛に襲われるようになりました。
 食品を拒絶するようになった嫁さんや息子の事例が、免疫系の過敏症によるものなのか、トラウマみたいな心因性のようなものなのかは判りません。しかし嫁さんも息子も、それらの食品に取り当てて悪い思い出などなく、腹痛さえ伴わなければ好んで食べたい食品なのです。
 嫁さんの場合は、更年期による体の変調で脳の働きにも変化があったとか、もともと胃が弱い息子の場合は、何らかのストレスによって脳からエビを拒絶する信号が出て、エビに対する抗体が生成されてしまったとか。素人考えなのでかなり乱暴なことを申しているわけですが、トラウマでもないのに体が拒絶するようになるというのは、何らかの脳の働きの変化なのではないか、そのようにも思えます。
 筆者は幼少の頃にでっかいウシガエルに手を飲まれて以来、それまで大好きだったカエルが触れなくなりました。大きめのカエルがそばにいて、それに触れることを考えると手の力が抜けてしまいます。これはアレルギーではなくトラウマの方でしょう。もっともトラウマという考え方も単なる仮説だという見方もありますが。

 免疫機能が異物を有害と判断して(抗原と見なして)抗体を生成するメカニズムに、脳の働きは関係していないのでしょうか。そのような話しは聞いたことがありません。アレルギーの原因となる物質の体内蓄積量(通過量か?)が一定量を越えるとアレルギーを発症するという、解ったような解らないような話しはよく聞きますが、その一定量を検知するセンサーは脳の監視下にあるということはないのでしょうか。
 人は誰しも苦手なものを持っています。理由も解らず苦手な対象に対して、体が受け付けないなどとよく言います。考えとしてはそれが安全だと解っているのに、脳の理解とは別に体が受け付けないのだと。先進国で多い虫嫌いなどもその1つだと思われますが、もしもその人が昆虫食の習慣がある文化圏で暮らそうとしたら、かなりつらい思いをすることでしょう。そしてその人も生まれ落ちるから昆虫食文化の中で育ったら虫嫌いにはならなかったでしょう。体が受け付けないとはいうものの、それを確認する行為は脳で行なわれるわけで、視認したり触れたり臭いを感じたりした結果、拒絶反応が起こるわけです。
 アレルギーの場合も、脳の働きが関与しているという可能性はないのでしょうか。我々が思考として意識しないところで、脳がそれを意識し抗原として認めるように免疫系に指令する、もしもそうしたメカニズムが存在するなら、脳の働きを改善するという考え方でアレルギーを治せないものでしょうか。花粉の多い時期のホコリっぽさをストレスと感じないようにする訓練、アレルゲンとなる食材を体に有益なものと認める訓練、言い方は変ですが、そうした脳の働きを良い方向に制御するような方法を模索するのはナンセンスな考え方でしょうか。
 現行の投薬治療は、アレルギーを治すものではなく、アレルギー症状を抑えるものです。アレルギーそのものを抑えることができるようになれば素晴らしいですね。

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