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アリとヒトの社会

2014/01/10


 アリは小さな昆虫です。しかしかれらは多数の個体が組織的に集合することによって大きな力を発揮して生きています。その社会の仕組みはとても高度な分業によってまかなわれています。
 ヒトの社会もこれと同じで、人間は裸のサルと言われるように、ひとりひとりは無防備で野生では脆弱な存在ですが、組織だった社会に属し高度な分業によって強さと豊かさを実現しています。
 ヒトの社会は縦社会であると言われています。人類は平等であると言われるものの、1つの社会の中には大きな不平等と権力への盲従が存在します。民主主義を唄う国家でさえ、特権階級と平民との差異はひじょうに大きく、社会は上下関係によって維持されています。
 アリの社会には、女王アリ、兵隊アリ、オスアリ、働きアリといった階級があります。これも縦社会なのでしょうか。例えば働きアリたちは兵隊アリに遠慮し、女王に奴隷のように使役されているのでしょうか。

 アリという虫を飼ったことがありますか? アリにも様々な生態を持つものがいますが、一般的なものでは、オスアリとの交尾を終えた女王アリが単独で営巣を開始し、働きアリを産んで増やして巣を拡大して行きます。働きアリたちは、巣の拡大、餌の採集、幼虫の育児などあらゆる仕事をこなしますが、女王アリは何もせずに日夜繁殖に励みます。巣の奥の方で擁護され、動き回ることもほとんどなく、働きアリたちに餌をもらいながら延々と卵を産んでいます。
 兵隊アリは働きアリの特殊化したもので、大きな体と強い顎を持っていて、普段はあまり働かないけれど力仕事や外敵の撃退といったシーンで活躍します。外敵との戦闘で先陣を切ったり、働きアリでは持て余すような力仕事をこなす、言わば重機的な働きアリです。
 アリ社会における最大の労働力は働きアリで、兵隊アリは働きアリの手に負えないような仕事をこなすために特殊化した個体といった感じで、とくに戦士専門というわけではありません。時折必要になる大仕事をこなすために進化してきた形態かもしれません。また、働きアリにも様々な分業が進んでおり、女王の世話をやくもの、卵を育児エリアに運んで管理するもの、幼虫の世話をするもの、キノコを栽培するもの、シジミチョウの幼虫を飼育するもの、自らポットになって蜜の貯蔵タンクになるもの、巣のメンテナンスをするもの、遠征して餌を採ってくるものなどがあります。様々な仕事を担う働きアリたちに特別な区別や階級はありません。ポットになっているアリもべつに罰ゲームを食らっているわけではありません。
 そして女王も、産卵という自分の仕事をこなしているだけで、働きアリたちから慕われているふうでもありません。働きアリたちは、産卵マシーンのメンテナンスをこなすように女王に接しています。女王に餌という燃料を供給し、出てくる卵を孵化室に運び、マシーンがちゃんと動くように掃除をしたりします。そこに主従関係などありません。

 人間が、でかいメスを勝手に女王と呼称し、それを中心にアリ社会が運営されていると理解しているだけで、アリたちにしてみれば、女王は繁殖マシーンとしてきちんと管理すべきものにすぎません。女王にアリ社会の運営方法を指示したり、物事を決定してすべてのアリたちに従わせたりする能力はありません。種々の分業の1つとして繁殖を担うデカいメスというだけです。
 アリ社会を統べるものは、アリ本来の機能です。さまざまな分業は誰の指示も受けずに的確にこなされます。
 アリ社会が女王中心の縦社会であり、働きアリたちは最下層の存在であると思っているのは人間の勝手な解釈です。アリ社会はすべてのアリが高度な分業を担う横社会です。アリ本来の機能によって、つまり本能によって管理された社会であり、言わばアリ社会はそれ全体で1個の生き物のようなもので、個々のアリたちはアリ社会という生き物の構成パーツです。多くの虫たちは1匹で暮らしているけれど、アリたちは大群で暮らしていて、それを人間が社会性と呼んでいるだけです。
 一腹から生まれた姉妹たちが、全員で巣を管理し、そのために複雑な分業を行なっている状況は社会といってまちがいないのですが、それは人間の場合とかなり性格がちがいます。

 人間以外の哺乳動物にも社会生活をするものがたくさんいて、それはアリたちよりも縦社会的です。体の大きいボスは他の仲間よりたくさん餌を食べ、群れの動向を指示する能力があります。それはまるで権力のようです。しかしボスの欲求は果てしないものではありません。群れを統率し、たくさんのメスを孕ませるのに多くの餌を必要とするから、率先して食べるだけです。自分の欲望のために弱者に犠牲を強いる、人間の権力本意の方法とはまったくちがいます。
 群れに司令塔が存在するというのは、群れが組織だって機能し力を発揮するのに有利です。群れの中のオスは、どの個体でも潜在的にボスになる素質を備えていますが、その優先順位となるのが体の大きさや腕力です。これは合理的な方法なので多くの動物たちに採用されています。それぞれの個体はまた統率者に従順になるという能力も持っています。自分よりも優位であるものの存在を認めるとそれに従い、群れの秩序を維持し組織力に貢献します。
 大空を群飛する鳥類の場合、統率者はその時のタイミングで自動的に選出され、たまたま群れの先頭にいた者が司令塔となり、他の個体はそれに従います。渡り鳥であれば、司令塔を先頭にV字フォーメーションを組み、効果的な長距離飛行を行ないます。
 人間以外の動物たちの社会における上下関係は、本能に管理されたものであって、野心は存在しません。彼らにとって統率することと従属することに大きなちがいはなく、その時の状況に順応します。この習性を利用したのが、人による動物の家畜化です。人の方が自分より優位であることを認めると、高い殺傷能力を持つイヌなどの大型獣でさえ人間に従順になり忠誠ぶりを発揮します。それが彼らの本能です。

 人間社会には巨大な力関係が存在し、人民は半ば脅しによって組織に隷属していますが、この力関係による縦社会は、野生動物のそれとは本質的に異なるものです。概観は似ていて、あたかも自然なスタイルのように見えますが。
 人間社会の力関係による縦社会はひじょうに非効率的です。幾重もの階層があって階層ごとに価値観が異なるので、同じ情報でも意味が異なってしまいます。社会の一般的な構成人員は、平和で平等な社会を望みますが、権力者にとってそれは致命的です。闘争と競争と差別と、権力維持のための浪費が必要不可欠です。そしてそれは、人間が本来持っている際限のない野心のせいであり、宿命であるということになっているようです。
 人間以外の生き物たちにはそうした野心はありませんし、差別や憎み合いもありません。人間も彼らのように、効率的で浪費が少ない社会を営むことはできないのでしょうか。ヒトの持つ科学技術は、生物の習性としては極めて優れていて進歩的ですが、社会の成り立ちはあまりにも無駄が多く洗練されているとは言えません。
 現在は、地球という世界がどのような形状で、そこにどれだけの数の人間がどのように暮らしているのかを、一般人でも把握できる時代です。物資や情報や文化が世界中を駆け巡り、民族間や国同士の隔たりが市民レベルではどんどん曖昧になってきています。そうした中で、縦社会を盲信する人たちだけが対立や争いを信望し続けているのは、なんだか後進的だなぁって気がするのですが。
 恨みも憎しみもなく、少ない資源で普通に生きているアリ社会を観察していると、アリに笑われているのは、じつは人間の方じゃないのか、なんて思ってしまうことがあります。

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