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バーチャルリアリティ

2014/01/15


 仮想現実という概念はずいぶん以前からSFの世界でテーマになっており、現実社会ではビデオゲームがそれに最も近いものであると思われます。仮想現実で人々は夢をかなえることができます。成りたい職業になったり、統率者となって世界を動かしたり。ネットゲームの世界では、プレイヤーが操るキャラクターが電脳世界の住人となり、出会いを経験し、情報交換したり協力し合って物事を達成したりします。そこには多くの感動が待っています。現実世界のプレイヤー同士は遠く離れて暮らしていても、彼らが操るキャラクターは電脳世界で共に暮らし、友情や愛情が芽生えることすらあります。
 こうした疑似体験を、多くの批評家たちが危険だとしています。ネット世界にどっぷりと浸かった若者たちは、パソコンの前から離れず家に引きこもってしまう。彼らは他人とのコミュニケーションの取り方を忘れ、なんでも自分の思い通りになる利己がまかりとおる環境でしか生きていけなくなる。果たしてそうなのでしょうか。
 ネットの達人たちは、仮想現実で何でも思い通りなのでしょうか。他人とのコミュニケーションもなく、利己的に振る舞うだけで電脳世界を渡り歩いているのでしょうか。古い考え方の批評家たちも今の時代はスマホを持ち、電子メールくらい操作するでしょう。それがすでに疑似体験の一種であるとも気づかずに。筆者はネットゲームを一切やりません。興味はあるのですがそれに費やす時間がない。けれどもネトゲで他人とキャラクターを通じて協力し合うには、コミュニケーションが必要であり、それを円滑に勧めるためのマナーも重要であり、利己的な考えが通用しないことくらい理解できます。彼らは手書き文字世代よりも短時間で大容量の情報を交換し、意見を出し合ってそれを吟味し合うコミュニケーションの達人です。
 パソコンがなく、手書きの手紙をやりとりしていた時代には、ホットな情報や思いをダイレクトに相手に伝えることは不可能で、やりとりできる意見や情報もたかが知れています。しかし電脳ツールを自在に操る世代は、家に居ながらにして大量の意見をやりとりし、図書館通いの何十倍もの情報を見聞きするのです。彼らの見聞きする情報は、文字や写真以外に動画や音声が含まれますし。
 筆者は1960年に生まれ、手書き文字文化の中で幼少時代から青春時代を過ごしました。家に電話やテレビが導入されたのは、筆者が生まれたあとです。テレビっ子世代、1家に1台電話世代は前世代の評論家たちから引きこもってコミュニケーション能力が低下すると批判を受けましたが、実際には筆者世代は、前世代の多くの人たちのような、外国人から「日本人は何を考えているか判らない」と批判されるようなコミュニケーション下手ではなくなり、電話の使い道は待ち合わせの連絡で、おかげで効率よく他人と待ち合わせることが可能になり、出歩く機会が増えました。
 筆者の息子は、小学生時代は満足に文章も書けず、句読点の扱いもできない残念な子供でしたが、パソコンを手にしてから小説を書くようになり、自力で立ち上げたサイトにアマチュアの小説家が作品を出し合うようになり、交友関係が増えました。パソコンがなければ彼はもっと小さな世界で、無知な暮らしをしていたかもしれません。
 息子は自室に居ながらにして、テレビ電話機能を通じて他人と会っており、心は出かけてしまっています。批評家たちはそれも批判するのでしょうが、では彼らは電話やメールは一切使わず、直接会ってしかコミュニケーションしないのでしょうか。家に居ながらにして電話で遠隔地の人と会話することもしないのでしょうか。
 電脳ネットワークはひじょうに人間に扱いやすいものにどんどん進化しており、パソコンが存在しない青春時代を過ごした筆者でも、こうして普通にブログを書いています。筆者が同人誌を作っていた頃には、文章作成機としてワープロが誕生したばかりでした。あの頃、屋外でワープロをたたいていると先進的だと感心されたものですが、今はパソコンやスマホを使わない人を探すのが困難な時代です。文字を手書きするのは苦手でも、電脳端末を使って多くの文章をサクサクと作成するのが当たり前です。手書き文化から離れた世代の文字離れなんていう批判はまったくの的外れで、電脳端末を操ることで、多くの人々が文字に親しむようになり、人に物事を伝える達人になりました。
 かく言う筆者も、文字を手書きするのはちょっとしたメモていどで、今や文章といわれるものはスケジュールから日記に至るまで電脳端末を用います。電脳技術の発展のおかげで表現の豊かさと自由度がレベルアップしました。
 ネット社会の発展は、ネット上の犯罪という新たな悪事を産みましたが、電脳世界を行き交う情報の量に比べると犯罪件数は、現実社会のそれと比べて多くはありません。
 人間はじつは古来より仮想現実と親しんできました。仮想現実から物事を学び、感動を受け、人生が変わることさえそれほど特別なことではありませんでした。小説という実在しない人物が経験する架空の出来事に感動し、いろんなことを学び、人生を豊かなものにする、そうしたことを普通にやって来たのが人間なのです。仮想現実を自分の経験として会得してしまうことは、ヒトが人としての証でもあるのです。それを批判するなら、小説や映画や演劇さえ見るべきではないでしょう。
 電脳ネットワークは人生を豊かにします。それに溺れて閉じこもってしまうことがあるのは、その原因は現実社会にある場合が多いです。差別や弱者への攻撃や欺瞞を抱えた現実社会の方を是正すべきです。パソコンがない時代でも本の世界に溺れる人はいたでしょう?
 電脳技術や仮想現実の発展に臆する前に、ヒトが古来よりバーチャルリアリティを生活の一部として来たことを思い出してください。

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