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ナチュラリストのこと

2014/01/21


 ナチュラリストという言葉を耳にする機会は、私たち凡庸な社会人にはあまりありませんね。日本語にすると博学者となるそうですが、博学というのは様々な学問に広く通じているといった意味合いかと思われますが、ナチュラリストというのはそういうことではなく、自然大好き人間みたいな感じです。ある辞書によると、ナチュラリスト=野生の生物やその他の自然物に関心を持ち、それを愛好または研究する人とありました。
 この言葉を筆者が知ったのはもうずいぶんむかしのことになるのですが、知った当時はなんて素晴らしくもカッコイイ言葉なのだろうと感銘を覚えたものでした。ナチュラル=自然ですから、単純に自然人と訳せばいいじゃないかとも思えますが、自然人というのは野性児みたいなニュアンスがありますよね。筆者は自然と同じくらい科学技術も好きなので野性児ではないです。また、法的には自然人とは、生物学的な人であり法的に人と認められる存在のことだそうです。
 ってことで、筆者はナチュラリストを自認し、幼少の頃からジジイに至る現在まで、あれこれ研究というか遊んできたようなわけで、その主だった行為はですね、生き物を小さな入れ物に閉じ込めて観察する、あるいは山野に出向いて採集や撮影に勤しむといったことだったりします。こうしたことをやっていれば、ナチュラリストを自認して問題ないと思うのですが、ただ見て楽しむだけではちょっと虚しい気もします。

 動植物や地質や天体を観察したり研究したり、それらに親しんだりする人は、筆者にとってはみんなナチュラリストです。そしてナチュラリストには、様々な姿勢や思想、考え方があるわけで、人によってはナチュラリストなんて呼ばれるのを望まない場合もあるでしょう。自由研究者よりも、それぞれの専門分野のエキスパートであったり、ブリーダーであることを望む人の方が多いかもしれません。そしてそうした人たちは、素人という言葉を嫌う傾向があるようです。
 様々な分野で学究に励んでおられる方々にとっては、ナチュラリストという漠然とした呼称では満足できないものがあるかもしれません。だからこの言葉はあまり普及していないのかも。

 筆者は、正真正銘の素人です。大学に行って専門教育を受けたこともありません。動物の飼育や植物の栽培についても、専門書等から得た知識をもとに我流で飼育栽培を行なっています。
 筆者は、地質学や古生物学、とくに進化系統分類学に絶大なる信頼を置いていますが、垣根や境界の概念を好まず、なんでも同じように接しようとします。筆者にとってはヘビもトカゲも同じ生き物です。可能であれば1つのケージで飼います。
 筆者にとって自然とは、野生に限らず人間社会や科学技術もその一部です。同じ尺度でそれを見つめます。小動物を可愛く思うのとアニメのフィギュアを愛でるのとに差異はありません。観察記録を記述することと小説を現すことにも差異はなく、その両方が筆者にとって必要です。
 筆者は、世間で言うところのオタクでもあり、中学生くらいの頃からずっと文学と共にアニメを愛してきました。そして文学もアニメも生物も、筆者にとってはちがうものではありません。

 筆者のナチュラリストとしての武器は想像力であり、姿勢はアマチュアイズムです。生き物を観察し、その進化について学ぶのに最も必要なものが想像力です。アニメを観たり小説を書いたりすることで培われる想像力が、自然を観察し生き物を飼育栽培するのに必要不可欠です。専門知識も道具として用いますが、専門家ならぬ筆者は、そうした知識をどこまで正しく理解しているか怪しいものです。
 想像力とアマチュアイズムといういい加減な思想で物事を見つめ、正解は生き物本人に聞きます。先人が著した記述よりも目の前の生き物の振る舞いを信じます。
 学術的な見地からすると枠をはみ出したこうした態度から、意外なものが見えてくることがあります。人間社会も、社会性というヒトの生態として見ると、もっとシンプルにコアの部分が見えてきます。これはなかなか面白いものです。

 既成概念の破壊であるとか、発想の転換といったいかにもユニークそうな表現が、しばしば持てはやされますが、破壊や転換にこだわる必要はないと思います。従順であること妄信することも時には必要です。妄信を続けた結果ウソを発見できればそれも大きな成果です。またそのウソもウソというよりは精度のちがいによる誤差かもしれません。
 信じるだの疑うだのもあまり意味のないことです。自分の見方考え方ですら時と共に移ろうものですし。答えは常に流動的で、真の正解に到達することはないものだと考えた方がよいかもしれません。流動的な答えとは必ずしも未来に向かってゆくものでもありません。生物の進化は後退しませんが、その振る舞いは必ずしも前進のみを目指していません。このような流動的な判断をじつは自然は常備していますから、観察者あるいは研究者も流動的な答えというものに馴れておかねばなりません。

 筆者の目指すところは……。まったく解りません。では専門家の研究者は何を目指しておられるのでしょう? エキスパートである以上、確たる方法論と目的意識が必要でしょう。職業学者であれば社会的利害を考慮した説の主張も必要でしょう。しかしながら成果や実績を積むことに束縛されて、流動的な答えというものを解さず、自然観察を一方的にしか見れなくなっているとしたら、それは悲しいことです。
 専門あるいは職業という社会的位置づけとは別に、個人としての自由意志と想像力も持っていてほしいものです。
 自然界あるいは人間社会の解明は、ひとりの人間が成す業ではありません。大勢の人間の個性的な見方考え方の集大成として、人知はあるべきです。より多くのナチュラリストの学究への参加と発言を期待したいものです。

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