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垣根の構築と破壊

2014/01/25


 筆者が30代の頃から考えていたことなのですが、人間の知的活動には学習と研究があると思います。学習とは学ぶことですが、もっと研究というのは能動的にものを知ろう解明しようということになるかと思うのですが、そのちがいは受動的であることと能動的であることであると共に、垣根を構築することとそれを破壊することではないかと思うのです。
 これについて述べるのはじつは初めてでして、他人にも言ったことはないのですが、30代に思いついて50代の今でも思いが変わらないので、公表してもいいのではないかと思ったわけです。
 筆者は幼いころから虫と戯れていたのですが、昆虫のポケット図鑑を手に入れてから、虫の世界がますます魅力的なものになりました。公園の集団墓地の土を掘り起こしていて見つけた虫をカメムシと名づけ、図鑑でそれが実際にカメムシであることを発見したときも感動しましたが、図鑑を手にしてからは一見して同じように見える虫たちが、それぞれちがっていることを知り、感動の連続でした。それまでの筆者の知識では、カブトムシのオスはサイの幼虫で、メスはカバの幼虫でしたからね。
 図鑑を手にするまで、クモやヤスデ、ダンゴムシやナメクジ、チョウやハチはみんな虫でした。ところがチョウやハチは昆虫といわれるものの仲間で、その他の虫はまた別の動物であることを図鑑は教えてくれました。昆虫というグループは子供にもけっこう判りやすい形態をしていて、目や口や触角がついた頭部と、1節に1対ずづの脚と羽がついた3対からなる胸部と、それに続く腹部から成り、様々な昆虫はすべてこの原型を様々に変形して形作られています。現生の昆虫は前胸の羽は退化していて中胸と後胸にある2対4枚の羽を持つことが主流で、脚は前中後胸に1対ずつ6本あります。この定義で野生の虫たちを観察すると、昆虫とそうでない虫との違いはかなり明確で、筆者は昆虫とそうでない虫を区分する垣根というものを学習しました。そしてその後の学習で、昆虫の中にもたくさんのグループがあることを知り、それぞれを垣根で区分することを覚えました。
 学校に通うと、これまで筆者が走ったり歌ったり、見たり数えたりした遊びは、体育や音楽、理科や算数というもに区分されるのだと教わり、筆者の頭の中で垣根がどんどん増えて行きました。垣根を正しく作ることが学習すること、つまり学習とは分類なのだと、おとなになってから思うようになりました。

 正確な分類法を知ることこそが、ものごとに精通することであり、学習とはまさに垣根を作ってものごとを区分することなんですよ。分類するということはものごとを本質的に観ることでもあります。昆虫学に精通していない人にとっては、アブとハチのちがいは明確ではないかもしれませんが、精通している人にとっては両者はまったく別系統の動物です。ヘビとチラノザウルスはまったくちがう動物に見えますが同じ爬虫類ですし、小さなトカゲとイモリはよく似た形なのに、トカゲはヘビやツラノザウルスと同じ爬虫類ですし、イモリはサンショウウオや帰ると同じ両生類です。動物の分類に精通している人は、見かけではなくその本質で動物を区分することができ、できない人よりもその道にかけては多くを学習していることになります。
 粘土で造形することと、ある種の和菓子作りはよく似ていますが、その本質と目的は異なります。粘土細工では造形に適した素材選びが重要ですが、和菓子作りでは味覚や衛生面も知識も必要になります。完成品がひじょうによく似ていたとしても両者の間には明確な垣根が必要です。

 学習をあるていど習熟すると、既製の知識や考え方に疑問が生じるようになり、自分の持てる知識と洞察力で本質に迫ろうとします。そこからが研究ですね。人知は人々の研究の積み重ねによって延々と塗り替えられます。学識と技術に最終形態はありません。もっとも確からしい学識は最近の学説のように表現され、もっとも進んだ技術は最新技術と表現され、今のところもっとも信頼できもっとも機能的であるものとされるのであって、今後も研究と開発、学説の更新は続いて行きます。
 学習では、とどまることなく変化(進歩)してゆく知識や考え方のいずれかを学ぶのであり、人はそれを頼りにものごとを考察するわけです。そして研究が知識や考え方を塗り替えます。塗り替えた知識や考え方を、後輩が学習します。
 人は科学者や識者ならずとも研究をします。そしてそのことは分類の見直しであり枠の破壊であると筆者は思うわけです。破壊というと過激ですが、構築に対する対語として用いています。物事を自分なりに判断するだけの知識を習得した者が、目の前の垣根のあり方を再認識し、より適切なものを見いだそうとするのです。よく、常識や既成概念に捕らわれず、斬新な考え方を持とうなんて言われますが、そんなもん程度の差はあれ誰でもやっていることだと、筆者は思います。
 小さな創意工夫、道具の流用、作業の効率化、そうしたことこそが研究の成果であり、枠の破壊です。これまで食器としてのみ使われていたものが、工具として流用するとひじょうに作業効率が向上した、そういう工夫が積み重なって新しい製品も生まれます。

 優れたアイディアをたくさん出す人は、ユニークで斬新な考え方をし、常識や既成概念を常に疑っている人なのでしょうか。常識に捕らわれないことが優れたアイディアへとつながるのでしょうか。筆者はそうは思いません。むしろ常識や既成概念を充分に習熟すること、素直に学ぶことがそこから脱して新たな考え方に到達する道なのです。
 学習は枠の構築であり、研究はその破壊です。それは誰でもやっていることであって特別なことではありません。常識や既成概念にとらわれないこと、とりあえず疑ってかかること、それはしっかり学習した結果自然に生じることであって、逆らうことを考察の姿勢とするのは本末転倒というものです。知識の習熟もなく独創的な考え方をすることに専念しても、新しい発想を産むことはできません。
 変わり者を自認したがる人ってよくいますよね。他人をあまり尊敬せず、常識をあざ笑い、自分がそれはそれは個性的で独創的であると吹聴する人、そういう人が優れたアイディアを出したのを筆者はあまり見たことがありません。あるいは、アイディアマンとして有名な人が、常識や既成概念に常に逆らっているように言われることがありますが、充分な知識の習熟もなしに常識に逆らったとしても産むものはないと思います。やはり学習と努力の結果、斬新な研究とその成果に至ったのだと思います。

 小説などの新人賞募集記事に、既成概念にとらわれない独創的な作品を期待する、なんてフレーズをよく目にしますが、応募する新人作家たちが独創性にこだわるばかりで基本的な精進をおこたるとしたらイヤだなぁ、なんて思ってしまいます。独創性は精進の結果として身に着いてくるべきものなのになぁ、そう考えるのは消極的すぎますか。

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