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希少生物の保護のこと

2014/02/13


 自然界には、今まさに滅びゆく生き物というものがいます。それらは絶滅危惧種としてレッドリストあるいはレッドデータブックに記載され、採集禁止といった保護措置がとられています。生物の絶滅の原因は生活環境の変化です。気象条件の変化や餌の減少、その生物の生態を脅かす地質あるいは植生の変化、外来生物の脅威など。人間以外の生物は特定の環境に適応して生きていますから、環境が変われば勢力が衰え、最悪の場合滅亡します。
 今いる生物が絶滅するという出来事はひじょうに悲しいことです。その生物を死滅に至らしめる環境の悪化のことを考えると憂鬱になります。しかしながら自然環境は一定ではありません。水と空気が循環し、地質も長いサイクルで循環し、大陸はゆっくりと移動を続けています。森林が発達する地域があれば砂漠化が進む地域もあります。生物は環境に適応して進化し繁栄し衰退し滅亡して行き、また新たな種が栄えます。
 生物の絶滅というニュースは、悲しいですし人間による自然破壊を思い起こさせます。しかしながら人間が自然に手を加える以前から、生物は絶滅を繰り返してきたのであり、どの時代にも絶滅危惧種は存在したのです。
 諸外国との交流が盛んになり、外国の資源や生き物が輸入されるようになると、日本固有種の多くが外来種被害に遭遇し、衰退または滅亡してゆきました。日本の自然環境はたくさんの外来種で満ちあふれています。そしてそうした興亡の後も生態系のバランスは保たれています。これらの現象は人間が観察しうるだけの変化であって、人が関知しない大むかしから生き物は絶え間なく移動拡散を続け、飽くなき興亡を繰り返して来ました。
 であれば、生物の絶滅は仕方のないことであって、悲しんだりその保護に努めたりすることは虚しいだけなのでしょうか。もちろんそんなことはありません。人は自然環境なくしては生きて行けません。地球全土を人工環境に変え自らの肉体も機械化して自然は不用なんてのはSFの話しです。自然は大切に守るべきものであり、開発には注意深くあるべきです。生物の衰退や絶滅は、自然環境が適切に維持されていないことへのバロメーターにもなるので、悲しい事実からは目をそらさず自然保護に努めるべきです。
 ただし、生物の衰退や絶滅の多くが人間のせいではないことも事実です。どの生物の衰退が人間のせいで、どれがそうではないのか。あるいはどの生物が衰退しており、どれが繁栄しているのか、そういうことも知った上で自然保護について考えなければ、ただ単に採集を禁止し、緑を増やそうとしたところで上手く行くとは限りませんし、そうした行為のせいで生態系にダメージを与えることもあるでしょう。生態系のバランスはじつに複雑で、人間が容易に研究しつくすことのできるものではありません。なにをどうすれば良いのかについても、多くの科学者で意見が分かれるところでしょう。ただ、幾多の経験の蓄積が、自然保護についてもより適切な方向へ人々を導いていることは確かでしょう。

 具体的に、生物が絶滅に瀕するとはどういうことなのでしょう。繁栄している生物に比べて棲息個体数が少ない、いわゆる希少種であることが絶滅に瀕しているということなのでしょうか。また、充分な棲息個体数いれば絶滅の心配なんてないのでしょうか。
 最近比較的大きな話題になったのは、日本のトキという鳥の絶滅ですね。まだ完全に絶滅してしまったわけではないかもしれませんが、そう長くはもたないと思われます。19世紀にはアジアに広く分布していたのですが20世紀に入ってから急速に衰退してしまったそうです。トキの衰退と人間の増加は無関係でないことは確かですが、人が増えても変わらずに繁栄している鳥もたくさんいますから、トキの実態だけを見て自然破壊の程度を悲観するのは早計です。近年、その絶滅を防ごうと数少なくなったトキを人工環境で管理し、繁殖を促す努力が行なわれているようですが、それはおそらく絶滅を少し先送りするだけのことでしょう。現在の環境に適応できずに急速に減少してしまった種が、再び繁栄を取り戻すことは考えにくいと思います。トキの繁栄をもとに戻すには、繁栄した時代の自然環境をそっくりそのまま復元する必要があるでしょうし、自然を復元したところで今となってはわずかに残された個体同士の近親交配の繰り返しで種の劣化かが進むだけでしょう。
 トキの衰退は目に見えて判りやすい例ですが、ウマやサイなどの奇蹄目の大型動物たち、ゾウの仲間、大型クジラの仲間もすでに絶滅に瀕していることをご存じでしょうか。彼らは前の地質年代である新生代第3紀に大繁栄したひじょうに進化的な哺乳類です。彼らこそが哺乳類の最先端です。他にも大型食肉目の仲間や類人猿の仲間など、新生代に隆盛を誇った最も進化的な動物たちは、現在ことごとく衰退してしまっています。彼らの絶滅はトキほどには差し迫ってはいませんが、かつては見渡す限りのウマの群れ、見渡す限りのゾウの群れが大地を疾駆していたと言いますから、新生代からするとその衰退ぶりは致命的です。ある専門書には、人間がどんなに手を尽くしても、こうした進化的な大型哺乳類は数万年以内に滅亡するだろうと書かれてありました。長い地質年代からするとひじょうに短い数万年の間に、彼らはどれだけの化石を残すでしょう。遠い未来の古生物学者が化石を調査した場合、学者たちは、奇蹄類やゾウ、クジラ、大型肉食動物、類人猿などは新生代のうちにほぼ絶滅しており、その後極めてわずかの生き残りが短い間生存したに過ぎないと判断するでしょう。
 トキは19世紀には繁栄しており、現在に至るまでに壊滅的な衰退を迎えましたが、ウマやゾウの衰退ぶりはそれほど顕著ではありません。その他の新生代に隆盛を誇った進化的な哺乳類たちについては、化石動物の出土の程度を調査してその衰退ぶりを解析したものです。そして化石動物と現生種とでは種類がちがいます。マンモスがたくさんいた時代に比べてアフリカゾウは衰退していると、どうして判断できるのでしょう。

 現代は、地質年代表記で更新世第4紀とされます。第3紀に繁栄した哺乳類や鳥類は、もっとも進化した大型種が衰退し、現在は小型化多様化という繁栄を築いています。これは中生代第2紀に繁栄した爬虫類とも同じ状況です。かつては恐竜を輩出するまでに進化した爬虫類も、今では小型動物が主流になり、中生代とはまったく様子のちがう繁栄をものにしています。爬虫類、鳥類、哺乳類は、総じて繁栄してはいますが、かつてのような支配的な位置づけからは降板しています。更新世第4紀つまり現在に生物として支配的な位置にいるのは、ご存じ人類ですね。
 人類は、哺乳類をはじめ他のあらゆる動物たちとは異なり、たった1つの種でありながらあらゆる環境に適応し世界的な繁栄に至ったので、他の動物群のように様々な環境に応じた多種多様の種を構成することはありませんでした。
 陸棲脊椎動物の進化の歴史は、世代交代の様子がひじょうに明瞭で判りやすく、地質年代ごとに両生類→爬虫類→鳥類→哺乳類→人類と推移しています。この変遷をねじ曲げて、現生の進化的な大型哺乳類が再び隆盛を誇る時代を取り戻そうとしてもそれは不可能です。あるいは映画「ジュラシック・パーク」のように太古の松脂から抽出した恐竜の遺伝子からクローン培養した恐竜を蘇らせたとしても、時代を中生代に戻すことはできません。
 トキのような鳥の絶滅劇も、あるいは上昇気流の発生する崖に営巣する大型猛禽類の衰退も、人類による自然破壊の結果というよりも、生物の世代交代の終焉の様子を目撃しているということなのかもしれません。その幕切れに人類は開発等で加担したのかもしれませんが、それ以上にもっと大きな衰退の要因があったのです。それも人類の繁栄のせいにして、地球の生態系を守るための最善策は人類の滅亡であるとするのが正しい判断なのでしょうか。すでに哺乳類の時代から人類の時代に推移して久しい今となって、人類が地球からいなくなり自然破壊がなくなれば、ふたたび哺乳類の時代が到来するのでしょうか? 生物の進化とはそんなふうに可逆的であるとは思えません。

 希少生物を保護し、その数を増やせばそれで何が良いのでしょう。トキが再び繁栄すればそれで豊かな自然が蘇ったということになるのでしょうか。残りわずかなトキ同士を交配させ、個体数を今よりも増やすことに成功したら、それがトキの繁栄につながるのでしょうか。かつて彼らが繁栄していた頃とすっかり様変わりしてしまった自然環境で、彼らは再び優位を取り戻せるのでしょうか。取り戻せるのだとしたら、そもそも衰退しなかったのではないですか。
 むかし何かで読んだのですが、ミヤコタナゴという絶滅が心配される日本固有の魚を守るために採集が禁止されたのだが、棲息する川の護岸工事については規制がなく、その工事によってミヤコタナゴの繁殖に欠かせない二枚貝が棲息地からいなくなっているといったことが書かれてありました。これが事実だとすれば、政治家お得意の漫才がここでも炸裂したってことですが、生物を絶滅に追いやるには乱獲よりも棲息地の環境破壊の方が手っとり早いことは誰にでも解ります。ミヤコタナゴもトキと同じように保護して繁殖を促しても、棲息に適した環境──繁殖に必要な二枚貝(タナゴは生きた二枚貝に産卵します)が充分に棲息し、競合するライバルが多くなく、餌も充分にある──がなければ衰退します。そしてミヤコタナゴのいる川は人が開発しなければ同じ条件を維持し続けるとは限りません。魚や他の生き物の顔ぶれも徐々に変わって行き、ミヤコタナゴの安住の地は確実に失われてゆくでしょう。
 希少生物あるいは絶滅危惧生物は、種の変遷の変わり目にいる生き物です。現在繁栄している生物は今のところ少々のライバルがいたところで、あるいは気温が多少変わったり餌の質や量が変化したところでそれほどのダメージは受けません。しかし繁栄種も未来永劫の繁栄が約束されているわけではありません。生物の世代交代はゆっくりとしかし確実に生物を変えて行き、様々な動植物で構成される自然環境を変えて行きます。生物の顔ぶれは変わり続ける、つまり繁栄するものもいれば衰退するものもいるという状況はいつの時代も変わりません。

 希少動物の保護を考えるとき、重要なのは、衰退した種をただ感情的に保護するということではなく、その要因である環境の変化をしっかりと観察し、環境保全という観点からどう対処してゆくべきかを考えねばなりません。希少動物の保護のためにその天敵を殲滅するとか、天敵が住みにくいように環境をいじくるとか、そういうことが正しいとは思えませんよね。衰退している生物にとっては天敵でも、べつの多くの生物にとってはなくてはならない生物であるかもしれません。前述のミヤコタナゴの例のように採集は禁じるが経済優先の開発は奨励するのであっては絶滅を早めるだけです。
 希少動物がなぜ衰退したのか、似たような形態と生態の他の生物がなぜそうでないのか、それは現生生物の衰退や絶滅が単純に人間の開発や破壊のせいではないことを示しています。衰退している生物を保護というある生物のためにだけ片寄った操作を行なうこと自体が自然環境にダメージを与えることにもなりかねないのです。
 筆者が幼少の頃は、ネズミやヘビが人家の周囲に普通にいました。ハエも家中を飛び回っていました。ところが町の下水工事が充実し家の構造も変化するとそれらの動物はいなくなり、カラスがどんどん増え、ハエの代わりにゴキブリが増えました。……ネズミやヘビやハエの都会での衰退は憂慮しなくても良いのでしょうか?
 トキが田畑の害獣であったり人を襲う有毒動物であったりしたらどうでしょう。人はむしろその絶滅を願うのではないでしょうか。
 いずれにしろ人間はその存在自体が自然環境を脅かしています。人の衣食住とは開発であり破壊であり乱獲です。では地球から人間が出て行ったら……。自然環境のダメージは減少するでしょうが、人類がいなくなった空席を埋めるべく新たな競合と定行進化が促され、衰退している生物は一気に死滅するでしょう。人間がいなくなれば衰退生物が死滅してもかまわないですか?
 どんな生物が栄えてどんな生物が衰退しているのか、それを調査しレッドデータを作成することは自然環境を守ることの1つの方法であっても、それがすべてではないですし、衰退生物のみを優遇する保護対策がまた新たな破壊を産むこともあり得ます。それによって別の種が衰退したら、今度はその種を手厚く保護するのですか。つまり希少生物の保護と自然環境を守るということは別物であることを認識し、もっと広い視野を持って自然と接してゆかねばならないということです。

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