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酒と煙草とギャンブル

2014/03/04


 最初に断っておきますが、本項は18禁です。大人の分別でお読みください。未成年者にあけすけにできない大人の事情というのは、しばしば矛盾を伴いますが、そこは読者の大人としての思慮で消化してください。酒や煙草やギャンブル、あるいは性風俗産業について、筆者の個人的な感慨を書きますが、それで筆者が過度の偏見や危険思想の持ち主だとか言われても困ります。筆者は温厚で革命を望まない、虫や小さきものを愛でてほくそ笑んでいる、子供の心のままのじじぃなのですから。
 酒や煙草やギャンブルに対して、筆者はあまり好意的ではありません。それらに溺れると心と体の健康を害しますし、財産を無駄に失うことになります。それらを未成年者に勧めてはいけないことは当然です。筆者のように大人になれないオタク人間は、酒や煙草やギャンブルには大いに泣かされました。それらを嗜まないことで半人前扱いされ、蔑まれ、けっこう手痛い罵倒を浴びてまいりました。しかし一方で、自分がそんな境遇に在ることの意味も理解しており、大人の遊びをする者がしないものと自分を比較して、あいつに比べたら自分の方が大人だ、常識的だ、一人前だと安堵する気持ちもよく解ります。なので自分を罵倒する周囲の人たちを憎む気持ちはあまりなくて、それらを大人の証とする風潮が憎らしかったです。酒や煙草やギャンブルがなければ、世間の風当たりはもっと優しいだろうに、そんなふうに感じていました。
 では、筆者も喫煙し、酒を飲む努力をし、競馬場やパチンコ店に足を踏み入れれば、安息が訪れたのでしょうか。その選択はありえませんでした。どうありえないかと言うと、オタクならぬ男性が着換え人形を買いに行く勇気が持てないほど、一般人がサソリの出産を見て大喜びできないほどにありえないことでした。誰だって嫌いなこと、嫌いな食べ物ってあるでしょう。それと同じです。筆者にとってそれらは嫌いなものなのです。むかしは男子の喫煙は常識的でしたから、強引に勧められて喫煙したこともありますよ、何度も。でも美味いと思ったことはないし、自分で煙草を買ったこともありません。会社のお付き合いでは酒が付き物でしたから、宴会にはよく参加しました。乾杯の最初の一杯は我慢して飲みましたし、オケツが腫れ上がって手術するほど中ハイをあおったこともあります。ゆっくりちびちびペースならカクテル系くらいなら数杯は受け付けます。でも、残念ながら酒が美味いと思ったことはありません。洋酒の効いたデザートやウイスキーボンボンは美味ですが。それでも付き合いに応じるのは、野菜嫌いな子供が親にピーマンを強要されるみたいなものですね。社会がそういうものならば、耐えることも必要でしょう。ギャンブルに関しては、酒や煙草よりもさらに無縁でした。先輩に連れられて若いころにパチンコ店に行って、なにやら菓子類をたくさんもらって帰りましたが、全然楽しくなかったです。
 それでも、酒や煙草やギャンブルがこの世からなくなればいいとは思いません。それらが社会人として一人前の証であり、それが苦手な自分を悲運とも思いません。人間社会にはイヤなこと苦手なことがあるからこそ、人は考え深くなりますし、自分の得意なこともいっそうはっきりするものだと思います。酒や煙草やギャンブルの存在ごときで試練になるなら、お安いものです。
 それに筆者は、酒飲みや喫煙者に報復する愉しみも知っています。どんな手くだと屁理屈を弄してやつらをぎゃふんと言わすのかについては、ここでは触れません。どうしてもっていう方には個人的にレクチャーしましょ。と言っても役に立つとは限りませんよ。ケンカは時の運ってこともありますし。ギャンブラーについてもしかりですが、意外にも彼らに感心させられることもよくあるんですよね。ある競馬好きの方が、傾向と対策をノートにびっしり付けていました。あれは素晴らしかった。どうせやるなら研究者の域までやってもらいたいと思いました。パチンコの台を買ってきて家で研究している人の話しもおもしろかったです。そして不思議なことに、ディープな研究家は身を滅ぼすほどのめりこまないようなのです。そんな芸当ができるんですね。

 ある映画で、ギャングの親玉がこんなことを言ってました。「ギャンブルや売春を法で認めないのは当然だ。だが、それらは市民が欲してやまないものだ」なるほどな、と思いました。人間には必ず二面性というものがあって、社会に貢献する素晴らしい行ないをする反面、人知れずエロくてグロい趣味を持ってるみたいな。非合法な商売を牛耳る裏社会の人たちは、そういう世界の担い手であったりします。裏社会というと何だか殺伐とした暴力の臭いを感じますが、それは映画をエキサイティングにするためのデフォルメというものですよ。
 筆者が中学生くらいの頃、まだチビッコチビチビだった弟を連れて天神祭りに行った際のこと、綿菓子を物欲しげに見つめる弟に対して、お店の兄ちゃんが強引に商品をつかませて高額を請求しました。筆者が恐怖と怒りに絶句していると、強面ですごい色彩の背広を着たヤクザ屋さんが降って湧き「ワレ、誰に断ってあこぎな商売しとんねん」とお店の屋台を蹴飛ばし、弟の頭をサラリとなで、中坊の筆者に向かって頭をさげ、「失礼しました。お代はけっこうです。どうかお気を悪くなさらず、祭りを楽しんでくだせぇ」なんて強面に笑顔を浮かべました。
 筆者の小伜(こせがれ)が幼稚園未満くらいの頃、公園の屋台でヨーヨー釣りなるゲームに興じていた時のこと、ものの道理を解さぬ小伜は、釣り具の針金部分を直接つかんで水風船をせっせと釣ってザルに盛りつけておりました。本来紙の部分を持ち、それが水で溶け切れぬ間に風船を吊り上げてみせよというゲームなのですが、針金部分を持っていたせば、そりゃいくらでも釣れるわけさ。そのあくどい不正行為をジトーッと見つめていた屋台のおやじこと頬に傷があり露出した手首からモンモンがのぞいておりは、ザルが水風船で山盛りになった頃合いに、「ぼん、それくらいにしとき、それ以上釣られたら、おっちゃんの店つぶれてしまうよってにな」とのたまったのです。で、好きなん2つ持って帰りや、と強面に笑顔を浮かべました。筆者は感動のあまり涙で前が見えなくなりました。
 筆者が新米の駅員の頃、入場の際に切符を放り投げて行くおっさんに、切符は降りる駅で渡してくださいと声をかけたならば、そのおっさんのげんこつがいきなり飛んできて、同行したグラサンの兄ちゃんに髪の毛をむしられました。おっさんのラメ入りシャツのえり元からは龍の彫り物がのぞいていてなかなか綺麗でした。こっちは親切で言ってるのになんでしばかれなあかんねんと頭に来ましたが、そのあとグラサンの兄ちゃんが「おじき、こいつ悪気あるとちゃうで」とおっさんを制し、筆者に向かって「客が暴れて困ったらいつでも呼べよ」と笑って去って行きました。今から思えば、筆者が乗務員時代に仕事で失敗して、会社から3週間以上の日勤教育を受けた時の方が100倍恐ろしかったし理不尽でした。いつの間にか上司になってやがった同期生や後輩から受けた指導的教育と称されるものは、陰険で卑劣で殺意さえ感じら、それはもう耐えがたいものでした。そうだ、あの時のやくざの兄ちゃんを呼ぼうと思って魔法の笛を吹いたのですが、兄ちゃんは筆者のSOSに答えてはくれませんでした。もっとも、駆けつけてくれたら腰が抜けますが。

 非合法な世界に生きている人たちは、理由もなく恐ろしいわけではありません。場合によっては合法的な社会人の方が、はるかにデタラメで悪意に満ち、集団暴行等の卑怯な行動に積極的です。筆者が受けた日勤教育では、物理的な暴力はありませんでした。それは奴らが卑怯者で自分の不利になることは避けたおかげです。代わりに虚偽と恫喝、侮辱と人権侵害という集団暴行が毎日続きました。
 非合法なもの、表社会ならざるものが悪というのは、合法的な営業をしている者の自分本意の言いぐさにすぎません。こういうと筆者がヤクザ屋さんの味方か、あんて揚げ足取りをするのは、筆者の勤める会社の上司くらいなものだと思いますが、人間社会に貢献するものと私欲のために裏切るものとは、合法・非合法に関係なく存在します。合法的ルールの多くは経済優先の考え方であり弱者に辛辣です。
 ギャンブルや性風俗産業は、健全な社会にとっては汚れたものですし、それらを歓迎する社会というのも考えられません。しかしながら、ギャンブルや性性風俗のまったく存在しない社会というのも考えるのが困難に思われます。
 筆者は男子ですので、女性の性徴を売物にするような性風俗産業に好奇心を抱く男子の気持ちはひじょうによく解ります。そんなものにまったく興味がない、性的欲求は嫁さんとのみ夫婦の秘め事として発露すべきものだ、なんておっしゃる方はあまり信用できない気がします。かつまたオタク女子がBL(男性間の同性愛)好きとかおっしゃるのを汚らわしいとも思いません。BL文化は男子本意の性風俗文化と並んで奥深く歴史あるものです。
 ギャンブル性や性風俗文化の要素は、表社会にも通ずるものがあります。株や宝くじには多分にギャンブル性が含まれますし、アイドル産業や種々のサービス業に性風俗文化的要素が含まれると申しましても、大人的判断からは一概に否定されることもないでしょう。男性アイドルの写真を自慰のおかずにする女子が変質者ってこともないですし、可愛い看板娘に魅せられて飲食店に赴く男子が不潔ってことにもならないでしょう。
 ギャンブルや性風俗産業が、犯罪の抑止力になってるなんて極論を言う人も少なくありませんが、それも否定できないと思います。ヨーロッパでは、ホラーやオカルトを犯罪抑止のための大人向けの文化として奨励したこともあるそうですが、虚構の中の暴力や猟奇的なシーンはエキサイティングですし大いに魅せられます。
 人間の二面性というものから目を背けることなく向き合い、それをきちんと使い分けるということも大人の分別です。筆者の知り合いには、暴力シーンの多いゲームや、銃器や兵器が大好きな平和主義者がたくさんいますし、逆にそうしたものを不健全であるとして否定しながら、家族に暴行を働いたり会社で部下にパワハラ三昧っていう社会人もたくさん知っています。
 残忍な暴力を扱ったゲームや映画は、近年ますます増えておりますし、AVと称されるビデオ映画も過激さを増すばかりですが、多くの評論家が指摘するようにそれが暴力や性犯罪を増長させているわけではありません。技術が向上して報道が派手になり、若者による犯罪事件が過激に演出されますが、犯罪の割合はむかしの方が多かったです。
 マネーゲームと称して、格差社会を増長させ貧困を拡大し、着々と戦争の準備をする政界財界の振る舞いは合法です。個人による殺人は重大犯罪ですが、政界財界の指揮の下に行なわれる大量虐殺は国益のために必要とされ多くの英雄を産みます。英雄の多くは墓石の下で敬意を獲得します。最近は平和ボケという言葉もあまり使われなくなりましたが、一頃は戦争のあった頃は平和ボケ社会ほど犯罪者や変質者はいなかったと言われることがありました。平和ボケとは何でしょう? 犯罪や変質者がヒマなマスコミによって過大に報道される社会よりも、戦争によって国を挙げて人殺しをする方が望ましいというのでしょうか。同じ人間を敵と称してハンティングし、敵地の婦女子に暴行を働くことの方が、壮絶な犯罪であり変質者的行為だと思うのは筆者だけでしょうか。
 人々の暮らしにとって何が必要で何が不要なのか、それは人それぞれの立場によって異なります。筆者にとって酒や煙草やギャンブルは無用のものですが、それ求めてやまない人はたくさんいます。性風俗産業は、女性蔑視や、性行為やその嗜好性に対する誤解を招くことにつながりますが、これも多くの市民の二面性として求められます。虚構の中の暴力や猟奇的な表現は、それを好まない人にとっては怖くて不健全なものですが、そうした作品を嗜好するけれど良識ある行動をとり、社会に大きな貢献をしている人も少なくありません。戦争や軍備は、市民生活を圧迫し破壊するものですが、政界財界の人間、つまりごく一部のエリート族にとっては必要なものであり、その必然性がマスコミによって報道されます。
 人々の暮らしにとって何が必要で何が不要なのか、それは難しい問題であり尽きることなく議論は続くのですが、求めることは変わりないのに、社会的な立場や性差、年齢差によって求め方がずいぶんと異なり、議論は論争となり仲違いを招き、しまいにうんざりしてしまいます。さりながらこうした問題からまったく目を背けていられるものでもありません。
 筆者も、ここで1つの定まった答えを出すことはいたしませんが、どのように考えているかについては、おおむにこの駄文の中に盛り込んだつもりです。また結論を急ぐべきことがらでもないと思われます。すべての議論や考え方に結論が必要であるとするのは、時として短絡的な思慮に陥りがちです。流動し続ける思考や論議こそが重要な場合もあるのです。みなさんはどう思われますか?

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