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社会の正常と異常

2014/03/18


 人の精神の正常性あるいは異常性という問題はなかなか難しいものです。脳に障害がなくても、異常な体験によって心的外傷を負うこともあります。顕著な症状がなくても、変なクセや一般の人が忌避するものを嗜好するなど、考え方や感じ方が人と変わっていたりズレていたりする場合もあります。排他的な思想や人種や人の見かけに対する偏見も、正しいものの見方とはされません。どこまでが個性として妥協できるもので、どの程度から異常と判断すべきものなのか、そんな判断基準は判然としていません。周囲の人との協調性が著しく欠落していたり、道義に反する偏見を持つことは、正常とは言いがたいのでしょうが、それも環境によって変わります。日本の社会では極めて協調性のある人が、たとえば虫を食する文化圏ではどれだけ協調性を発揮できるか判りませんし、訓練によってその文化に順応できるかどうかも未知数でしょう。
 腐敗混濁した社会に住んでいると、みんな病んでしまうなどとまことしやか言う人もいますが、それもあながち間違いだとは言えません。国を挙げて戦争しているような社会では、他国を憎しみ他民族や異教徒の殺戮に邁進することは、国内において常識的な行為とされ、殺人の件数や効果的な殺傷行為が高く評価されるでしょう。現代日本に住む私たちは、競争社会と言われる環境に生きており、高等教育の片寄った学術知識をどれだけ習得しているかで人の優劣が決められ、能力を評価された者が勝ち組として豊かな暮らしができるという格差社会が当たり前であるとしています。高等教育で学ぶ、微分積分や元素記号や化学式、物理学や生物学の習得は、高度な能力を必要とするかも知れませんが、クイズ王になれるほどの雑学の習得、バイクの組み立てや修理の技能、画力といったものも同様に高度な能力のはずなのですが、現代社会ではお上が定義した高等教育のカリキュラム以外は認められません。ヤンキーの兄ちゃんがどんなに素晴らしくバイクを組み立てても、学校の勉強をサボっていてはただの不良ですし、教科書の隅に写真と見まがうほどの絵を描いても、教科書の中身を暗記していなければ、素晴らしい画力は無駄なこと無益なこととして先生から退けられます。バイクの組み立てや画力が社会生活に大いに貢献でき、学校の授業で学んだ知識が実社会でほとんど役に立たないとしてもです。
 お上が用意した片寄った学術知識の習得によって、人を蹴落として富を独占し、勝ち組負け組といった格差を築くこと、社会の中に生存競争を持ち込むこと、支配的階級と従属する階級を作ること、それが果たして正常なのでしょうか。競争社会は現代社会において当然の理のように受け入れられていますが、それは勝ち組の独占状態を正当化するための狂気染みた盲信ではないのでしょうか。争いや殺し合いは誤りであるとしながらも、人の野望は果てしないとし、抑止力としての軍備を国家レベルで整えることが、果たして正常なのでしょうか。
 高度な情報ネットワークが個人と世界をつなぐような時代でも、国を統治し人を統べる者が必要で、統治者と国家組織を防衛するために軍備を軍備を整えなければならない、外国を敵と見なさなければならない、こんな殺伐とした方法しか人間社会を運営する方法はないのでしょうか。
 たとえば、すべての国々が相互に助け合って物資を平等に分け合うようなシステムを構築しようとした場合、必ず裏切り者が現れて世界を支配しようとする、それは本当でしょうか。世の中には様々な考え方の人がいて、甘い平和を認めず、自由競争こそが人間にとって相応しいと考える人も少なくないでしょう。筆者自身、武器のまったくない世界というのは想像しにくいです。しかしながら、誰かが欲張って支配欲や独占欲を発揮するのを見張るために、大そうな機動兵器を大量に生産し、巡行ミサイルを向け合い、戦争の演習を欠かさない、それほどまでに不信感むき出しにしなければ平和は守れないものでしょうか。
 たとえば、より多くの人たちがネットワークを通じて話し合いをし、戦争の準備をみんなでやめて何でも話し合いで解決しましょうということを決めたとしますね。そうした状況で、国民たちは国家一丸となって他国を裏切り、絶対にばれないように軍備を整え密かに演習を行ない、平和に乗じて他国に進軍するなんてことを企てるでしょうか。誰かがそういうことを画策したとして、すべての国民がそれに同調するでしょうか。
 理想論の話しはもうよしましょう。過去の多くの戦争が高邁な理想の下に勃発しました。理想を実現し恒久平和の世の中を実現するには、その思想を邪魔する考え方、異教徒や他民族を殲滅しなければならないという民意誘導が生じるのが世の常でした、これまでは。
 国家レベルの話しは、当面は権力主義者に委ねるとして、私たちは一般市民としてもう少し身近な、小さな話しをしましょう。たとえば町内会くらいのコミュニケーションになると、参加できる敷居はひじょうに低くなります。町内会の定例会では、町会費をどのように使うかが、子供会や老人会、防犯委員といったそれぞれの立場で話し合われます。ご近所同士の話し合いなのでかなりざっくばらんな会話が成されます。そうした中で意見対立やそれに伴う派閥化が生じるのは、やはり利権や欲の衝突が原因ですね。老人会の連中は暇だから役所にうまく取り入って市からの助成金を独占しようとしているとか、子供のいない所帯にとって子供会に多くの予算が割かれるのは面白くないとか、誰かさんは仕事にかまけて定例会にも一斉清掃にも出てこないとか。そういう争いごとを見ると、人はやはり自分だけが可愛くて他人が憎いものなのだろうかと憂鬱になってしまいますが、その反面で、町の美化や安全のために建設的な意見が交わされたり、町内会の催し物が滞りなく実施されたりするのを見ると、人の情というものを感じます。
 筆者は、阪神淡路大震災のあと、被害に遇われた人たちの思いを直接聞いたことがあります。会社の労働組合が運営する文芸部として被災地を取材したのですが、震災直後は皆さん考えがまとまらないようでしたが、時が経つにつれ、家や財産が失われても、そこに人がいる限りなんとかなる、必ず助け合いの話が広がる、そういう感想を聞かせてくれるようになりました。日頃は無愛想で怖いおっさんが、瓦礫の下から何人も怪我人を引きずり出していたとか、金銭に細かくてケチだと思われていたおばさんが、焚き出しをして無償でみそ汁を配っていたとか、そんなエピソードがたくさん出てきました。1日も早く電車を開通させるために命懸けで復旧作業に邁進する作業員たちの話しもなかなか壮絶でした。
 人は、欲や野望だけで行動するとは限りません。譲り合いや助け合いが尊ばれる状況では、自分の利益を犠牲にしてでも人を助け、公共性の回復に助力するものです。現代社会が私利私欲で渦巻いているのだとしたら、それは社会が正常性を欠き、人から人間らしい思いを奪っているからではないでしょうか。
 筆者が勤めている会社では、職場のことを考え、労働運動を支持する者は嫌われ危険視され、私欲のために他人を蹴落とすような人間ばかりが評価されます。上司として部下を指導する者はことごとく傲慢で、ウソと恫喝が横行し、不正やパワハラが蔓延しています。私欲のために会社の不当労働行為に加担することが当たり前で、不正に加担しない者は周りから敬遠されます。個人レベルで会話すると多くの社員が人間性あふれる話題を口にしますが、それを公言することを恐れます。巨悪に対する恐怖心やあきらめから、無関心が横行しています。
 上司に信頼できる人間は皆無です。絶対に弱みは見せられません。悩み事の相談など上司にしたら最後です。その途端に筆者の辞職が確定し、上司たちは祝杯を上げることでしょう。
 筆者は、取り立てて正義漢でもありませんし、小さな不正も許せないような性格でもありません。ずるがしこい人間も嫌いではありません。多少のワルの方が話して面白いし、経験豊富な分だけ情が厚い場合も多いです。筆者は、自分を偽ってイエスマンを演じて出世することに興味がなく、巨悪に対して黙らないことを楽しいと感じる、ごく当たり前の態度を貫いているだけです。皆さんだって、正義のヒーローが悪代官をやっけるドラマを見て、悪代官に同情してヒーローを憎んだりしないでしょ? それとも、それはお話しであって現実はちがいますか? 筆者がよく受けたアドバイスのように、もっと大人になれ、という方に賛成ですか?
 筆者にも愛社精神はありますよ。むかしは自分が勤める会社のテレビCMや、ニュースで話題になるのを喜んで見ていました。鉄道の仕組みやダイヤを、上手くできていると感心していました。でも、むかしはです。最近は、デタラメなルールやダイヤにあきれるばかり、旅客を気の毒に思うばかりです。世間を偽ってダミー会社を一時的に作り、そこで雇用した契約社員を労働条件承継法を悪用して低賃金重労働の名ばかり社員にしてしまい、その後の新卒社員も同様に冷遇するという薄汚い手口に憤りを覚えるばかりです。現在は、自分の勤める会社を世間的にも恥ずかしく、残念に思っています。こうした考えに対し、上司たちは口をそろえて気に入らないなら辞めたらいいと言います。そんなこと言われるとますます辞められません。奴らにとってのやっかい者のじじぃという立ち位置にはそれなりに旨みがあります。
 すみません、筆者の勤め人としての愚痴が長引いてしまいました。会社の悪口よりも、こうした企業の体質が現代社会では当たり前のように横行しているのではないか、ということを懸念するわけです。そこで怠惰と無関心に溺れる大多数の社員を見ていると、病んだ社会にいると人間まで病んでしまうなんて風評にうなずきたくなります。
 社会の腐敗を、政治家や資本家のせいにする声をよく耳にします。果してそうなのでしょうか。読者のみなさんは、いかがですか? 今の世の中は良くないと思ってますか? それを政治家や資本家のせいにして、自分は無力だからと無関心を決め込んでいませんか? 会社にお勤めの方なら、自分が声を挙げたって何も変わらない、必死に労働運動している奴はバカだ、なんて思っていませんか? 大勢の職員の無関心が会社を悪くしているのではないですか。社員が全員でノーと言っても、会社はそれに動じないと思いますか? 全員の首を切って悪事を続けると思いますか? 社員もいないのに。
 日本の憲法は正常に機能すればひじょうに素晴らしい法律です。関係法令や各都市の条例も民主的で市民を守る内容のものばかりです。資本や企業を守るために市民を犠牲にすべしというルールはどこにもありません。法が整い、民主主義と自由平等が堂々と唄われる環境が汚されているとしたら、それは大勢の市民の、夢や希望の欠如、自分を無力だとあきらめる怠惰や無関心のせいです。人は社会によって毒されますが、社会を毒しているのもまた人なのです。

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