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政治と文化

2014/03/29


 人類の歴史は戦争の歴史であった、そんなことをしばしば耳にします。民衆は常に良きリーダーを求め、その統率力の下に戦乱に赴き、領土や資源を取り合ってきた。それだけではなく勝者は敗者を大量に虐殺し、その過程で人を人とも思わぬ残虐な行為が横行した。それが人類の歴史なのだそうです。人と人とは、国や思想信条がちがえば解り合うことはなく、争いはこれからもずっと続くのでしょうか。
 歴史ものの書物や映画等をみてみましても、大量殺人の達人が勇者として描かれ、その武勇伝が美化されています。これは文明が進み、民主的な法が整備されるようになってからも変わらず、国同士が戦争状態に突入すると、兵士同士の殺し合いが奨励されます。平時の1つの国の中では殺人はひじょうに重い罪に問われますが、戦争状態では相手国の人間を大量に殺しても罪にならないどころか英雄扱いされるのです。
 現在でも世界のどこかで戦争が続いています。戦争はなくすわけにはゆかないものなのでしょうか。科学技術が進歩し、すべての人種が同じ種類の人間であることが一般人にも理解されるようになり、強力な電脳ネットワークが個人と世界をつなぐような、そんな時代になっても、人は国家間でにらみ合い、強力な火器を製造して殺戮の準備を進めています。
 宗教団体や政治結社が武装蜂起すれば、その行為は厳しく処罰されます。環境保護団体が汚染をまき散らす企業に対して脅迫行為を行なっただけでも、テロリストと定義され逮捕され罰せられます。では、国が国際社会に対して武装蜂起することはどうして処罰の対象にならないのでしょう。平和社会は人類共通の願いのはずです。それを脅かすような軍備を整えることを、国際法はどうして裁かないのでしょう。国の統治者という特権階級には戦争というゲームを楽しむ権利が認められているのでしょうか。
 ある思想団体が、外国でテロ事件を起こして被害者が出たような場合、被害を受けた国が、テロ組織の母国に対して報復攻撃を行なうなんてドラマを観たことがありますが、それって犯罪者を罰することになっていないのではないでしょうか。テロ組織の母国が、組織を利用して先制攻撃を仕掛けて宣戦布告したわけではないでしょう。犯罪を起こした者たちを検挙して罰すればいいものを、その出身国に攻撃をしかけ、死傷者を増大させるというのは、テロ事件を口実に戦争を始めているとしか思えません。
 たとえば、同じ日本国内で、他県の人間によって殺人事件が起きたとして、県は殺人者の出身県に対して報復攻撃を行なってもよいのでしょうか。同じ地球に住む同じ種類の人間同士なのに、テロ事件等をきっかけに戦争を始めても良いというのは変じゃないですか。

 以上は、極めて単純に本質論を説いたまでで、こんな簡単な理屈で戦争が収拾できるものではないことは解っています。筆者は現状の政治に真っ向から異を唱える理想主義者ではありません。世界にはひじょうに多くの思想や考え方が渦巻いていて、単純明快な1つの理想論で収拾できるものではありません。
 筆者が異を唱えるとしたら、それはむしろ人々の悲観やあきらめ、無関心に対してです。政治を預からぬ身の我々一般市民は、政治家よりももっと単純に物事を理解し、人間らしい方法で物事の本質に迫ることができます。そうした素晴らしい可能性と、同じ立場の大勢の仲間を持っているにも関わらず、自分たちの力を信じようとせず、希望を棄ててしまうことを、たいへん残念に思います。
 と言いつつ、人々が政情に対して無関心や無気力になってしまう気持ちも、これまたよく解るんですよね、悲しいことに。新聞やテレビの報道では、政治は政治家の持ち物であって、他の人間は意見することはできないという前提で政治について語りますよね。選挙で選ばれた官僚という特権階級の偉い人たちが政治をするのであって、彼らが権力を巡って争ったり駆け引きをしたり、金権政治のために血税が消耗されたりするのも当然みたいに言われますよね。ある政党は選挙を踏まえて当面の増税には反対するが、敵対する政党は高齢者の支持を期待して福祉増強をPRしているとか、同じ政党内でもどの会派が力を持っているとか、マスコミによると権力者同士がパワーゲームに興じるのは当然なんだということになっています。我々一般市民は無力であると、説得されているみたいなものですし、政治とは我々の暮らしとはまったく別次元の話しになっていますよね。
 しかしながら、政治が遠い別次元の話しになってしまうことの原因もまた、市民の無関心にあります。議院選挙の投票率の低さが、我々を政治から遠ざけています。労働運動と同じで、職場の無関心が労働組合の会社との癒着を生じさせるように、政治も投票率の低さによって市民生活と民主主義からかけ離れたものになってゆきます。市民のために頑張ろうとする政治家も、低い投票率によって金権政治に飲み込まれて行くのです。

 政治家って本当に争いごとが好きですよね。そもそも政界入りあるいは入閣が権力ゲームなのですから、争うことが彼らの基本なのかもしれません。むかしの武将の国取り合戦と同じです。古来より連綿と続いた特権階級による国取り合戦を、民主主義による議会政治にまで発展させた人類の進歩は本当にすごいと思います。
 お殿様や将軍様が、西洋では王様が、世襲で政治を行なっていた世の中から、一般市民から選挙によって選ばれた人が政治に加わるという民主化が育つまで、どれだけの苦難があったことか。その事を思えば、言論の自由が保証されインターネットなんていう強大な発言力を得た我々が、自分たちの無力を嘆くばかりでは、人類のここまでの努力が無駄になってしまいます。
 戦争はなくならない。人間は欲深い生き物だから、いつかは争いによって自滅するのだ、そんな悲観論を説く人も少なくありませんし、それは真実のように聞こえます。だとしたら、現代の議会政治に至るまでの民主主義の成長は何だったのでしょう。人が欲深いだけなら、王様はどうして権力を人民に明け渡したのでしょう。王侯貴族が尽力して築いてきたものを、民主的な社会に譲渡したのは何だったのでしょう。……現代の政治において、電脳ネットワークとそれを自在に操るパソコンやスマホといった端末を一般市民の持ち物にしたのは、人々に強力な情報収集能力と情報発信能力を与えたのは、それで人民を洗脳しアイデンティティを管理し、超管理社会を実現するためだったのとはちがうでしょう。
 電脳ネットワークの一般市民への開放は、さらに高い次元の民主化への足がかりです。これによって地域格差や性差、職業差を超えた対話が可能となり、権力に依らない真の民主政治の可能性が大きく前進しました。

 権力者は争いごとが大好きです。マネーゲームやウォーゲームは、民衆の大きな犠牲を伴う非人道的な行為です。ビデオゲームとちがって実際に人の命をやりとりし、財産や建造物を破壊します。ビデオゲームの残酷描写が、猟奇犯罪の原因にもなるとか、青少年の教育によろしくないとか言われますが、権力者たちは暴力描写を含むビデオゲームを規制しながら、実際に人を大量虐殺するための火器を製造し、兵士たちに訓練し、戦争の準備を進めています。ビデオゲームの架空の戦闘は教育によろしくないけれど、実際の殺戮や破壊を想定したウォーゲームは教育的なのでしょうか。
 ……またまた政治批判的な表現になってしまいましたが、人間社会の実情とは、このように矛盾に満ちあふれ、人々を混乱させるものなのです。
 国家レベルの権力が実在して、社会に大きな格差がある限り、ウォーゲームはなくならないし、これに対するテロ行為もなくならないでしょう。かといって、世界中から兵器がなくなり平和が保証された社会というのもなかなか考えにくいものです。争いや競争を全廃するためにはすべての人々が平等で、社会的格差もなくならなければならないでしょうが、そうした平和を維持するために、人々はどれだけの自制や規制を強いられることになるのでしょう。そんな社会は窮屈すぎるといって、それに対して新たなテロが発生するかもしれません。
 様々な環境で生活している大勢の人間が、争うことなく平和に暮らすというのは、なかなか困難なものです。
 それでも、人類は平和社会を構築する努力をしてゆかねばなりませんし、環境や資源の問題を協力して解決して行く体制を築いてゆかねばなりません。大勢の人間がこの地球で生きて行くというのは、容易なことではないですね。難しすぎて考えることをあきらめたくなります。

 国家間の競争や民族闘争、宗教上の対立と、人と人とが憎み合う理由は様々ですが、その反面で人間同士は文化によって、あらゆる障壁を乗り越えます。日本の近隣諸国は前世紀の大戦時代の日本の諸行を理由に強い反日感情を抱いていると言われています。しかしながら、日本のアニメや食文化を愛し、日本びいきな外国人もたくさんいます。
 筆者の親の世代の人たちは、韓国や中国に対して差別的な言葉をよく口にしました。同様に欧米諸国については敬意を抱き、欧米の生活水準に追いつくことが理想のように言われていました。洋服や洋食、鉄道網やハイウェイ、様々な文明の利器が西洋から流入してきて日本人の暮らし向きをどんどん変えて行きました。大戦時代は宿敵だったアメリカから様々な文化を輸入し、日本は急速にアメリカナイズされてゆきました。
 急速なアメリカナイズによって経済成長を遂げた日本は、アジアの中で最も進んだ国になったと筆者や同世代の人たちは思っていました。ところが、いつの間にかアジアの様々な国に高層ビルが建ち、飛行場ができていることを知り、びっくりしました。いつの間にか、進んでいるのは日本だけでなくなり、みんな文明国になっている。民族格差がなくなり平和社会が実現するかもしれない、そう思ってワクワクしました。
 文化水準に隔たりがなくなるというのは素晴らしいことです。様々な文化を共有できますから、それで人と人とがつながることができます。日本のアニメがアジア諸国でも人気を博することの背景には、それらの国々の人たちがテレビ放送を楽しみ、DVDを再生する手段を持っているからです。日本の食文化が多くの国々に支持されるようになったのは、世界中のあらゆる国の人たちがインターネットを使いこなし、リアルな情報を入手することができることの賜物でしょう。また、日本にいちばん近い国の韓国からは、韓流ドラマやK-POPがどんどん流入して来て、それらはあっと言う間に世界を席巻してしまいました。地球の裏側の南米の人たちにも多くの熱狂的なK-POPファンがいます。インターネットで世界がつながっているからですね。そしてK-POP歌手の南米ツアーも実現しています。
 筆者の嫁さんも、早くから韓流ドラマを楽しみ、その流れで今は熱烈なK-POPのファンです。パソコンなど無縁な彼女でしたが、今ではネットアクセスできる端末は彼女の命綱です。幸いにも日本はK-POP歌手の大きな活動の場になっており、毎月のように日本でコンサートや全国ツアーが行なわれるので、彼女は日本に居ながらにして生のK-POPアイドルに会うことができますが、少しは韓国語を覚えてそのうちソウルに遠征するという夢を持っているようです。かく言う筆者も今ではK-POPの魅力にすっかりハマッてしまい、少女時代の日本ファンクラブの会員です。韓流映画を観に映画館にも赴きます。その映画の原作が日本のコミックだと知らされ、新たな日本の漫画作品を知ることになったりとか。
 筆者の息子は、筆者同様にオタクですが、オタクの西のメッカ日本橋を、しばしば金髪碧眼の幼なじみと歩き回っています。古来より日本は黄色人種の単一民族国家でしたが、どんどん多民族化が進んでいます。
 K-POPや韓流ドラマが命の筆者の嫁さんが、韓国を敵国とし争いを望むでしょうか。金髪碧眼の親友を持つ筆者の息子が、アメリカとの戦争を望むでしょうか。そして生き物大好きな筆者にとっては、アメリカも南米も、東南アジアや中東もアフリカも、オセアニアもすべてヘビやトカゲの重要な原産国であり、いずれの国とも対立は困ります。

 世界を網羅する電脳ネットワークは、地域格差や文化の差異、言葉の壁を超えて世界を1つにしました。文化という点では国境はどんどん不明瞭なものになりつつあります。人々は様々な文化を通じて世界中の様々な国を知り、その国が好きになり、その文化を自分の生活に取り入れています。かつては民族主義や人種差別が人と人とを遠ざけ、まるでちがう種類の生き物のようだったのに、文化というものはそれを平然と超越してしまいます。これは極めて高度で進歩的な営みですね。
 それに比べると財力と権力で民衆を威嚇し、格差社会を築いて人を区別し、異国を敵と見なして人々を戦争に駆り立てる考え方の、なんとも後進的で幼稚なことか。
 筆者の周りには、文化的な生活をしている人がたくさんいます。世界の様々な国の文化に精通し、海外旅行をあれこれ経験しています。うらやましい。国際結婚をされている人もいます。マネーゲームやウォーゲームの話しにしか興味がないという人にはなかなか巡り合えません。筆者には、ほとんどの人々が高度な文化人で、競争や戦争を望んでいる人というのは極めて少人数の特殊な考え方の人たちとしか思えないのですが……。
 ……政治と文化は、平和社会という観点では対局の存在のような気がします。

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