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人類の進歩と民主化

2014/04/05


 ヒトは類人猿と共通の祖先から分化し、独自の進化を遂げました。現生の類人猿たちは今から250万年以上むかしの新生代にひじょうに栄えた哺乳動物の末裔で、その後劇的な進化を遂げることもなく現代に至っています。筆者がしばしば使用する新生代とは、厳密には地質年代第3紀のことで、更新世以降の第4紀を含みません。"代"区分によると現在も新生代となりますが、"紀"区分では新生代は暁新世から鮮新世までを第3紀(新第3紀と古第3紀に分けられる)、更新世以降を第4紀と言います。第4紀は258万8000年前から始まり、その前期となる更新世は世界規模の氷床が発達する氷河期と氷床が後退する間氷期が繰り返される時代となり、第3紀以前の新生代とはまったく異なる気候状態となり、これまで隆盛を誇っていた進化的哺乳類は急速に衰退しました。進化的な類人猿もほとんどが姿を消し、ゴリラ、オランウータン、チンパンジーがわずかに生き長らえています。人類(ヒト科動物)すなわちアウストラロピテクス属やホモ属の仲間は、類人猿の仲間たちが死滅して行く更新世の間に類人猿の仲間から分化し発展しました。つまり進化的哺乳類の中で人類だけが更新世に進化してきたわけです。そして今から1万年以上前には、ホモ属の仲間の1つの種だけを残して他の人類は滅び去り、今から1万年前から現代にかけての完新世(沖積世)にその生き残りであるホモ・サピエンスが地球上に文明を築きました。
 類人猿の仲間は、ゾウやウマやクジラ、大型肉食獣といった数々の進化的哺乳動物と同様に第3紀に繁栄を築き、氷河期となる第4紀にはわずかな生き残りを残して死滅しましたが、唯一人類だけが第4紀になってから進化し、衰退して行く哺乳類と置き換わる形で世界中に適応放散しました。新第3紀が哺乳類の時代なら第4紀は人類の時代となりました。
 そうして最後の氷河期が終わった今から1万年前にはまだ石器人だった人類は、その後急速に文明を発達させ現代のエレクトロニクス文明に至りました。

 人類は文明時代の初期には、群れ社会をひじょうに高度で大規模なものにした都市国家というものを築くに至りましたが、その大規模な人の集合体は一部のエリートによって統治されるのが常でした。統治者は平民とはまったく異なる種類の存在、それこそ神のように崇められ絶大な権力を持っていました。
 原始時代の人々の暮らしは、小規模な集落単位の社会生活だったでしょう。それらが統合されながらどんどん大きな社会に成長して行き、やがて巨大な都市国家が誕生してのでしょう。日本でも、江戸時代までは、国内で権力者同士がせめぎ合いを繰り返していましたが、今や国は1つになり。国内での憎しみや恨みは消えました。しかし今度は諸外国との競争に乗り出すこととなり、外国相手にいくつもの大きな戦争を経験した現在、近隣諸国の遺恨をいまだに残しています。
 社会の成長と人間同士の闘争は、今や世界規模になり、人類は地球を滅ぼすに足る火器を手に入れるに至りましたが、その反面で文化交流や国際支援という協調が発達しつつあります。宇宙開発事業では、国家間の協力が不可欠であり、これまで技術革新は競争であったものが、国際協力の下で行なわれるようになってきました。
 人類の、互いに競い合う姿勢と、協力し合う姿勢の二面性はいったいどのようなものなのでしょう。
 権力や財力を欲して、人と人とが競争することは、人間が本来持っている欲望というものを考えると単純で判りやすいものですが、博愛主義や人道主義という概念がどのように生じたかを考えるのはなかなか困難です。
 人は、欲望を充足させるために他人と競争する意志を持っている反面、人を助けたい、喜びを多くの人と分かちたい、みんなが平等で自由に暮らせる社会を築きたいという博愛の心も持っています。さらには人間以外の命をも慈しむ優しい気持ちを持っています。
 地球を一瞬で滅ぼしてしまう火器を所持する反面、地球全体の生き物を慈しみ環境のことを考えるのもまた人間の特性です。人類は地球上で最も残忍でかつ最も優しい生き物です。この二面性のどちらが人間本来のものかと尋ねたら、ほとんどの人がどちらも人間の本質なのだと答えるでしょう。
 二面性を持つことが人間の本質なのだとしたら、幾多の乱世を経験してきた人類が滅びることなく今日まで生き長らえたこと、それぞれの社会が人々の協調によって絶妙に成り立っていることが不思議だと思えてしまうのです。
 人は本来優しいものなのではないか、その優しさが不正への義憤、裏切りへの恨みといったものに変じて争いが生じるのではないか、そんなふうに思うのです。他人への妬み、他民族や異教徒に対する恐れ、そうしたものも家族愛や同胞愛から生じてくる怒りの感情なのではないかと。
 犯罪は、社会の格差によって生じるとも言われますが、格差は人々の義憤や恨みを煽ります。また、古来より繰り返されてきた戦争にも大義があります。純粋な悪意によって民衆を戦争に導いた統率者はいないでしょう。
 人と人との争いは、他の生き物たちのそれと根本的にちがいます。肉食獣は悪意や恨みのために草食獣を狩るのではありませんし、縄張り争いで同属を滅ぼすこともありません。彼らの闘いは人がそう呼んでいるだけであって、食べるための狩りであり、狩場を守るための縄張りの主張です。
 同じ種類の生き物同士が憎み合い、差別し合い、殺し合うという現象は人間だけに見られる特性です。
 種の保存に反するこの特性は、他の多くの生物を巻き添えにして自らを滅ぼすまでの殺傷能力に到達しました。
 そして、こうした憎み合いの原因が、人の持つ優しさから派生し増長するものなのだとしたら、我々はいったいどうすれば良いのでしょうか。多くの悲観論者が主張するように、人類の自滅は避けようがないものなのでしょうか。

 人間は、優しいがゆえに不正や不平等に対して憤り、家族愛や同胞愛があるゆえに、他民族や異教徒を、あるいは隣人さえも退けようとします。そしてそれは大きな闘いに発展し、悲劇をもたらします。悲劇から人は教訓を得て、平和を望み、人類が協調し共存できる道を探ろうとします。愛憎という言葉があるように、愛することと憎むことは諸刃の剣なのかもしれません。
 科学技術は戦争と共に発展したという人もいます。その反面、技術は人と人とを結びつけ、個人々々に力を与えてきました。戦争の規模は世界を飲み込むほどに拡大しましたが、市民の権利の拡大、発言力の増大ということも時代と共に発展しました。国を動かす大きな権力が人民を戦争に導こうとする反面で、市民も力を蓄え、人間社会は民主化が進んで行ったのです。
 電脳ネットワークが民衆の手に渡り、人と社会がつながり、一般人でも国際的なコミュニケーションが可能になった現在、より高度な民主化が実現する可能性が生まれました。電脳ネットワークは投資家に攻撃的な投資を容易にして市場を操作してしまうような力を与えたのも事実ですが、不正を正す能力も向上させました。文化面ではより多くの芸術家や文化人に表現の場と機会を与えました。
 社会の大多数を占める一般市民といわれる階層の人々は、世の中のシステムが正常に回ることに貢献しています。一般市民が良識ある行動をするおかげで社会は滞ることなく運営されるのです。この多くの人々が私利私欲に傾倒するあまり、バラバラに身勝手なことを始めれば、社会は崩壊するしかありません。みんな正直に行儀よく暮らしているのに、政治家や資産家は好き勝手に権力争いをしているように見えます。それに対し多くの一般市民は義憤を覚えます。義憤を覚えるものの、自分が無力であることを自覚し、悲観的な考え方に陥っています。
 社会を正しく回しているのは一般市民なのに、その一人々々が自分たちの能力や可能性を信じようとしないのは悲しいことです。一般市民は、正直に行儀よく生きるだけで社会を支える力を発揮していますし、趣味や様々な文化的行動によって横のつながりを強固にし、国際社会を平和へ導いています。そのことにより多くの人々が気づけば、電脳ネットワークを介した民主化はさらに洗練され進化を遂げることでしょう。

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