恐竜の生活

 恐竜の知覚能力や学習能力がどれほどのものだったかは判りませんが、おそらくたいへん高度な知能と高い記憶力を有したものも少なくなく、現生の爬虫類には見られない大脳皮質も発達していたと思います。
 彼らの知能を支える恒温性については、現生の哺乳類とは異なったシステムで維持されていました。すなわち哺乳類のように自分で発熱するのではなく、太陽熱で体を温めそれを維持することで恒温動物のようにふるまっていたのです。これは熱的慣性による恒温性といわれるシステムで、体が大きくなればなるほど、容積に対する表面積の割合が小さくなるので、放熱しにくく体温はよく維持できたでしょう。それに中生代の温暖な気候も彼らの恒温性に貢献したでしょう。超大型の恐竜になると保温よりも放熱に苦労し、日中はオーバーヒートに悩まされていたかも知れません。
 恐竜たちが哺乳類のように自ら発熱して体温を維持するシステムを持っていたということはおそらくなかったと思います。恒温性を内燃機関に依存するには多量の食物を必要としますから、大型動物では餌の確保がたいへんです。現生のゾウでも、1日中延々と食べ続けねばなりません、その数倍もある大型恐竜になるといったいどれだけ食べなければならないことか。恐竜たちは中生代の温暖な気候に体温維持を依存していれば充分に恒温動物と同等に活動できたでしょう。哺乳類ほど多くの食物を摂らずに太陽エネルギーを利用して恒温性を維持する、極めて省エネ的な恒温性を彼らは有していたわけですが、これは中生代の温暖な気候ならではの方法であったとも言えるでしょう。ちなみに現生のトカゲ類も多くが日光浴によって体を温め代謝効率と運動機能のアップを図っています。

 化石や地層に残された証拠によると、巨大な草食恐竜たちが、子供たちを守りながら群れで移動していたり、集団で子育てを行なっていたそうです。
 子育てをしたり、異なる年齢の仲間が一緒に暮らすために、多くの大型恐竜が胎生だったでしょう。哺乳類のように子宮で胎児を直接管理するシステムではなく、卵胎生のような形をとっていたでしょう。
 地上性の卵というものは、構造上サイズに限界があります。大きな卵ほど卵殻を厚く丈夫にしなければならず、あまり堅牢な卵殻では、中の子供がこれを破って孵化することができません。ダチョウの卵で限界に近いサイズだといわれています。しかし巨大な恐竜にとってはダチョウの卵サイズなど、豆粒か米粒のようなもので、そこから孵化した幼生は、成体の恐竜にとっては微細な虫みたいなものです。そんなのと一緒に社会生活をするのは極めて困難ですね。
 巨大な恐竜では、卵殻のない大きな卵を母胎の中で長期間維持し、母親とコミュニケーションがとれるサイズまで成長した子供を出産していたのでしょう。
 恐竜の胎生説に否定的な意見では、大型恐竜の母親はとても小さく、育児を終えてから巨大な体に成長するのだそうです。爬虫類は哺乳類とちがって老熟の仕方がちがいます。哺乳類ほど顕著な老化はなく、成長抑制作用もなく、育児後もどんどん成長したのだそうです。つまり老成個体にとっては、群れの中の幼児のような母親が虫のような子供を育てていたというわけです。なんだか奇妙な話ですね。そしてそのような化石証拠や巨大草食恐竜の卵の化石は見つかっていません。
 恐竜の卵の化石はたくさん残っています。それらは鳥類と同じタイプの骨盤を有する鳥盤類のもので、恥骨の向きが逆転している竜盤類の特徴は、胎生を示すものではないでしょうか。竜盤類のすべてが胎生であったかどうかは判りませんが、大型種の多くは胎生で幼生を直接出産していたでしょう。

 全長10メートルを超える巨大な恐竜は愚鈍であったという説を唱える学者先生がたくさんいます。たいへん夢のない話しですね。
 最大の肉食獣チラノサウルスなどでは、狩猟は子供の仕事で、おとなは子供が狩った獲物をもらって生きていたそうです。子供たちは自分の倍以上ある親の分まで獲物を取らねばならずたいへんですね。自分の食糧すら調達できないのろまな大人の存在が、進化上に何の意味があったのでしょう? でかいだけで何の役にも立たない大めし食らいの大人を子供たちが養うというチラノサウルスの特性に進化上の意義があったのでしょうか。親は、その破格のでかさで草食獣を驚かせ、パニックになった獲物を子供たちが集団で追い詰めていたそうです。だったら子なしの親や独りっ子の子供を持つ親は、食事にありつけないのではないでしょうか。それ以前に、でかい親による威嚇は、子供たちの待ち伏せハンティングをむしろ妨害していたのではないでしょうか。
 チラノサウルスなどの復元骨格や図を観察すると、たいへん精悍な感じで、直線上に脚を下ろして歩行する二足歩行のスタイリングは、彼らがスプリンターであったことを物語っているように見えます。二足歩行のためにはバランスが重要で、そのために目や耳の感覚器も優れていたでしょう。彼らは最大個体であっても俊敏に立ち回り、体重にものを言わせて体当たりや頭突きによるノックダウンで獲物を仕留めていたにちがいありません。彼らの体重とスピードは、大きな顎と鋭い牙と合間って彼らを無敵のハンターにしていました。彼らは最大最強の肉食獣として他の動物たちに恐れられていたのです。そして彼らもまた胎生で大きな子供を産み、母親は子供たちにとって優れた狩猟の先生だったでしょう。

 恐竜の中でも最大のものは、獣盤類の中の竜脚類という仲間です。全長数メートルのものもいたそうですが、多くは10メートルをゆうに超え、中にはブラキオサウルスのように全長25メートル、体高16メートル、体重が40トンを超えるという巨漢もいました。
 竜脚類の仲間は、ゾウのような四足を有し、キリンも真っ青の長大な首を持ち、大型のものでは6階建てのビルの屋上の視界を確保して悠然と大地を闊歩していました。陸棲動物のサイズの限界に挑戦したようなその体躯は、壮観そのもので、以降これを超える陸棲動物は誕生していません。さらに長大な全長40メートルとかいう恐竜もいたそうですが、それらはあきれるほど長い首と尻尾で全長を稼いでいたみたいですね。

 恐竜は、そのスケールの大きさからしばしばSFに登場する怪獣のモデルにされて来ましたが、破格サイズの動物は恐竜の一部にすぎません。多くの恐竜は現生のゾウやウマや、ライオンくらいのサイズで、暮らし向きも現生の哺乳動物と似たような感じだったでしょう。草原に群れなす草食獣、それを虎視眈々と狙う肉食獣、そういった光景が中生代の原野にも広がっていました。言い換えれば、現生の哺乳動物たちは恐竜たちの去ったあとのポジションを埋めたというわけです。そして大型動物がすべて寝静まってしまう夜が訪れると、静謐な闇の中を小さな獣形類ともっと小さな哺乳類が、こそこそと駆け回っていました。
 恐竜の繁栄は三畳紀に始まって、ジュラ紀、白亜紀と中生代3紀に渡って続きますが、白亜紀になると美しい花を付ける顕花植物の出現により、鳥類と哺乳類の多様化が徐々に始まり、恐竜たちの顔ぶれも代わって来ました。ジュラ紀に大活躍した竜脚類や獣脚類よりも、鳥盤類の角竜類やカモノハシ竜類の勢力が強くなったようです。彼らは恐竜の中でもとくに知性と社会性が強い仲間が多く、暮らし向きもますます哺乳類的でした。当時の原始的な哺乳類の方がずっと現生の爬虫類的な暮らしをしていました。
 そして長きに渡って続いた中生代特有の温暖な気候が崩壊し、地球規模の寒冷化が進んだ中生代末期、恐竜たちは他の大型竜族をことごとく道連れにしてドラマチックな絶滅を遂げることになったのです。

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