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虫嫌いの虫の観察

2014/03/13


 虫嫌いのお話しなのですが、筆者がそうであるわけはありませんよ、ええ、ありませんとも。あの小さな体に秘められた複雑なメカニズム、ゴマ粒よりも小さな脳に記憶された高度な生態のことを思うとワクワクします。小さな小さなクモが高度な網巣を作成したり、微細なアリンコが高度な社会生活の中で、分業でチョウの幼虫を育て、キノコの栽培をすることを思うだけで、感動で胸が熱くなります。虫万歳、虫最高、です。
 ところが、世間一般に虫というものは人間にはあまり好まれません。とくに文明社会と称される気取ってくれちゃってる環境に住まう人は、ほんと虫が嫌いですよね。あんな面白いものがどうして嫌いなのか、子供の頃はみんな虫が大好きだったのに、いつ頃から嫌いになっちまうのか、そのことについて筆者なりに別項で分析してみましたが、衛生観念と関係があると思われます。虫がうじゃらうじゃらとわいているさまは、それだけで病気の感染をイメージしてしまうのではないでしょうか。文明社会では、年齢を重ねるとともに衛生観念の意識が高くなります。汚れたものを嫌い、汚れた身なりを恥ずかしいと思うようになります。社会生活では体臭や衣服の汚れを隠すのがマナーです。そうした衛生意識の向上と比例して、人は虫が嫌いになって行くように思われます。
 小さな子供、泥んこ遊びを不潔と思わず、拾ったものを口に入れて味覚で確認する、そんな頃は人は虫と友だちです。大人が虫は汚い。虫は有毒で噛みついたりするということを教える、それが人を虫から遠ざけて行くわけです。
 そんなことは関係ない、虫はグロテスクだ、脚がたくさん生えていたり、小さいのが多数わいたり、ウネウネはい回ったり、人間とほど遠いさまがあまりにも不気味なのだ、そういう反論をする人もいます。脚がたくさん生えてるというのなら、昆虫はカニやエビに敗退します。小さいのが多数わいたりするなら、チリメンジャコに勝算がありそうです。ウネウネならウナギやナマコの方がイモ虫よりもすごいでしょう。動物性の食材のいかつさはなかなかのもので、虫なんて可愛いものだと思うのですが。
 同じ動物性の食材でも、海外にはなかなか怖いものがありますよね。同様に日本の食材であるタコさんやウニは、外国人には恐れられることが多いです。要するに、虫嫌いは文化のちがいなのですよ。そして文明圏ほど虫嫌いのていどが拡大する、大人になるほど大きくなる傾向を見るにつけ、やはりそれは衛生観念と無縁ではないんじゃないかなと思うわけです。
 ホラー映画などでは、不衛生なものが多用されます。大量の血が吹き出し、内蔵が飛び散り、ガイコツにウジムシがわいています。あのウジムシは、多くの場合ジャンボミルワームが使われます、はい。我々が飼育動物の飼料として常備し馴れ親しんでいるあれなので、一瞬しか映らなくても見まちがえたりしません。ホラーではどうして不衛生なものが好んで使用されるのでしょう。逆に、清潔感あふれる美女の幽霊があでやかに微笑んでいる姿を終始つらぬくホラー作品なんて、なかなかお目にかかれませんよね。美女が登場するものの、やがては刃物が飛んできて大流血事件になっちまうのが王道です。
 ホラー映画が、不衛生なものグロテスクなものを多用するのは、一般的に人がそれを怖いと思うからでしょう。見たくない、考えたくない、避けて通りたい、そう考えるからこそホラーにもってこいの題材になるわけですね。見たくない考えたくないものが、大挙して押し寄せてくればそれはもうホラーな状況にちがいありません。
 ところが、ホラー作品は、映画に限らず小説やゲームにおいても古来から高い人気を誇ってきました。幽霊が飛び出してくる系の映画は苦手だけども、ヒーローが悪人どもを銃器で惨殺して回るアクションは好物って人もたくさんいます。人が残酷なもの、破壊的なもの、頽廃的なものに魅せられるのはどういうことなのでしょう。そういうものを嗜好する人に、破壊や殺戮の願望があるからでしょうか。ホラー好きに実際に幽霊に遭遇したいかと尋ねると、怖くて耐えられないと答えるケースが多いです。怪談は嫌いじゃないけども、自分や身内が悪霊に取り憑かれるのは望まない、それが普通です。バイオレンスアクションのファンに人を傷つけたりしてみたいかと尋ねると、そんなことを考えもしないとおっしゃるのが普通です。軍事オタク、ガンマニアの多くが平和主義者です。
 正常な人間は、は自分の体や生活圏が汚されたり破壊されたりすることを望みませんし、憎くもない他人を傷つけたいとも思いません。事故現場で流血を目撃して冷静でいられることもありません。現実生活の平和を望みながら、虚構における刺激を欲する、それは矛盾しているようで異常心理ではありません。現実と虚構を混沌とせずきちんと使い分けることが分別であり常識でしょう。
 人は、虚構の世界に怖いもの避けたいものをなぜ望むのでしょう? それは刺激を求める欲求、あるいは好奇心といったものに通ずるものなのでしょう。怖いもの見たさとは、人間にとってありがちな心理です。
 筆者はどうなのか、白状しますと、虫や爬虫が好きなことから想像していただけるように、ホラー大好きです。残酷描写の非日常性が大好物です。バイオレンスアクションにもワクワクします。現実なら目を覆いたくなるようなグロいシーンもガン見したい方です。ビデオなら巻き戻して繰り返し見たろか、ポーズかけて舐めまわしたろか、ってなもんです。怖い映画、グロい作品が一切ダメッて人には変態と言われますが、それ以前に虫や爬虫が好きってことですでに変態ですから、一般的な尺度からすると。
 言っときますが、筆者のような虫や爬虫好きでホラー好きの人間が、あらゆる不潔なものが兵器だってことはないんですよ。車に轢かれた動物の死骸にワクワクしたりしませんし、ゴミや汚物を見つめていたいとも思いません。仕事がら酔っぱらいの嘔吐物を片づけたりしますが、あの臭いと見栄えは、直接触れなくても感染しそうです。
 筆者の親友で、天才的な画才のある女性の言ですが、クモやムカデは好きになれないけれど、その拡大写真は意外に綺麗で興味深いものなのだそうです。絵描きなんて好奇心と観察力の固まりですから、怖いという先入観を通り越して観察してしまうですね。彼女とは一緒にクワガタムシを繁殖させたことがありますし、ヘビに名前を付けてもらったこともあります。共著で出した同人誌には素晴らしい動物の絵をたくさん描いてくれました。
 クモやサソリをペットとして日本に持ち込み、日本タランチュラ協会を設営した方によると、人間には自分の身を安全なところに置いて、怖いものを見たいという心理があるそうです。野放しの虫には逃げ出すけども、飼育ケースの中の珍虫は見てみたいというわけです。動物園の獣たちや水族館の魚は見ていて飽きないけれど、触ってみろと言われると遠慮したいって方も少なくありませんよね。こうした心理は、前述した怖いもの見たさや、虚構の中に猟奇的な刺激を求めることに通ずるものがあるような気がします。
 あるペットショップに熱帯地方のタマヤスデが売っていた時のこと、その巨大ダンゴムシに興味を示した筆者に、女性店員が話しかけてきて「可愛いでしょう、思わず自分用に1匹買っちゃいました」とおっしゃるのですが、さわれないので買うなら自分で捕まえてくれと言うのです。彼女は小鳥も長年飼っているけれど触ったことがないそうです。イヌやネコや哺乳動物は平気で触るのに、虫や鳥は檻から出さないでほしいそうです。
 またある女性は、人形のクマさんが好きすぎて、野生動物のクマについても興味を持って詳しく調べたそうですが、実際のクマを観に動物園に行く気にはなれないそうです。実際のクマさんも人形ほど可愛いとよかったのに、だそうです。クマをイメージしたキャラクターを愛でるものの、その元ネタは好きになれない、ここにも現実と虚像の使い分けが伺えます。筆者にしてみれば、人形のようなクマが生きて歩いていたら、そっちの方が怖いですけど。

 虫嫌い、それは一般的な常識のようです。虫好きの筆者でも、その常識を否定したいとは思いません。ただ、虚構の世界や自分の危険が及ばない状況で、怖いものを見てみたいという好奇心も、人は併せ持っているようですね。
 また、一般的な人よりも好奇心が強い傾向のある人たちは、もう少し恐怖や危険に踏み込んでみたいという興味を抱きがちです。筆者の遊び場である大阪日本橋には、オタクやメイドさんという好奇心の固まりみたいな人種がワラワラいます。筆者の勤める会社では、虫や爬虫類に興味のある人は数名の男子しか見つけられませんでしたが、日本橋のメイドさんには、爬虫類好きがワラワラいました。わけてもヘビが彼女たちの一番人気です。女の子ってヘビ好きですよ。メイドさんたちと話しをすると、そう結論づけたくなります。ヘビのどこが好きかと尋ねると「どこがって言うんじゃなく、可愛いじゃないですか」そんな返事が返ってきます。家で何頭もヘビを飼っていて、スマホにその子たちの写真を入れて持ち歩いている筆者は、そりゃもうメイドさんにモテモテですって。

人間界と自分

2014/03/15


 本項で言いたいことは、人間界と自分との関わりとかそういうことではありません。当雑記帳に「ヒト」という章題を加えて間もなく、その章を人間社会全般のことと自分自身のこととに分けて記述した方がいいな、なんて思って「人間界」と「自分」という細目を設けてみたものの、記述を進めて行くうちに、そのカテゴライズが筆者の中で不明瞭なものになりつつあるという、言わば愚痴めいたことを言いたくなった次第なのですよ。なので、ここで述べることはくだらない内容なので、読んでもらわなくていいかな、なんて考えています。だったら書くなよってもんですが、ものを書くというのには、人に読んでもらうことと共に自分自身のために書くこととの二面性があると思うのですよ。言わば本項は、筆者のための覚え書です。
 「人間界」では、社会性を持つ人間という動物の観察、「自分」では、筆者個人を人という動物のサンプルとしての観察、そんなふうにカテゴライズして書き進めればいいじゃろう、と当初は単純に考えていたんですね。ところが、書き進め項目を増やして行くにつれて、その区別がどんどん曖昧になってきたわけです。
 たとえばですね「質的人員と量的人員」の項では、人間社会におけるチームやグループといった団体行動では、必ずその中心となる質的人員と、あまり機能していない頭数だけの量的人員が発生するものなんだよ、という観察結果を書きたかったのですが、個々の人間の中にその両方の性質があって、人は誰しもある団体の中では中心的役割を担うけれど、別の団体では頭数だけの構成人員に成り下がってしまうという二面性を持つことに言及しました。質的人員と量的人員の考え方は、筆者の経験や他の人との意見交換の中で生じた人間観察の結果なのですが、そこから先の個人の中に質量両方の性格が存在するというのは、じつは筆者個人の考えなんですね。つまり筆者はそうだという主観に基づいて述べているわけです。他の人との意見交換では、団体行動というものはその中の一部の人間だけが機能していて、対外的に一致団結して頑張ってますみたいに見せかけているだけだ、という見解で一致しました。だから、質的人員になるよう頑張りましょう、みたいな話しをよくしました。ところが自分に置き換えて考えてみると、人間というものは置かれた立場によってそれを使い分けるものなんだと気づいたのです。それはじつは筆者自身はそうだって話しなんですね。そうなると、この項を人間界概観として書いて良かったのか、自分観察として書くべきだったのか判らなくなっちまって、なんかカテゴライズそのものに疑問を持ってしまうという不甲斐ない自体が発生したわけですよ。
 そうやって見てみると、他の項目も同様に、どっちでもいいんじゃね、というようなことになってきて……。カテゴライズというものは、物事を分類して分かりやすくするのにひじょうに有効ですが、時としてそれが思考の障壁になっちまうものなのかな、なんて思えてきて、カテゴライズ=障壁という発想が、人間界に内包されたものなのか、筆者個人の見解なのかも判らなくなってしまい、頭の中がグダグダになって、ボヤきたくなった結果、本項が生じたという次第なのです。いかがです? くだらないどうでもいいような話しでしょ? 読んでくださった方には空しい思いをさせてしまいました。
 虫さんの章で、ゴキブリ10連発やアリンコの話題が庭虫で、カミキリムシやカマキリが雑虫ってどういうこと、って思われた読者もあるでしょう。筆者が定義するところの庭虫が飼育動物で、雑虫が用もないのに出くわした虫だとするなら、アリとカマキリの差ってなに? と首を傾げたくなりますよね。そもそも庭虫と雑虫のカテゴライズに意味あったのかよ、と言いたくなりません? ちなみに同じカマキリでも、ハナカマキリは庭虫として記述していますし、庭虫として記述したオオクワガタの話題もそもそもは家の近所でそれを拾ったことが記述のきっかけなので、最初は雑虫に入れるつもりだったのですが、後半から以前の飼育記録を引っ張りだして来たので、庭虫にしました。以前に飼っていたオオクワガタは、野生採集個体ではなく、ペットとして飼育繁殖していたものを譲り受けたものでした。
 筆者の定義では、庭虫は飼育動物としての虫、雑虫はたまたま出くわした虫といった感じで記述しています。雑虫であっても短期間でも飼育したりしていますので、庭虫とカテゴライズして支障はありません。すでに雑虫として記述した虫を、次の機会に長期飼育し繁殖も手がけたとしたら、それは庭虫として記述するかもです。同じ虫なのに。最初は、一般的にペットとして名が通っていたり、子供やマニアが飼育動物として飼うことが一般的なものを庭虫、それ以外を雑虫というふうに定義しようと考えていたのですが、そもそも一般的な見方というものも不変ではないわけです。だったらそれに対する配慮もあまり意味のないことだと思うようになりました。けっきょくのところ、筆者のその虫に対する姿勢で適当に分類している感じになっています。そして庭虫にしろ雑虫にせよ、有毒で取り扱い注意なものは毒虫としました。毒虫の中にもひじょうに安全なものもいるのですが、そこは一般的な見方に準ずるようにしています。ヤエヤマサソリのどこが危険やねん、刺されて毒の被害にあう方が難しいわ、なんて主張はマニアにしか通じませんからね。
 虫さんの章のカテゴライズは、自分でけっこう気に入っているので、今後も変えないと思います、たぶん。それに虫はあまりに分類が複雑なので、爬虫類のようにヘビ、トカゲといった分け方をするとキリがないですしね。
 前述に戻りますが、カテゴライズというものは、物事を分類して分かりやすくするのにひじょうに有効ですが、時としてそれが思考の障壁になっちまうものなんですよ。

雑記帳のこと2

2014/04/27


 筆者は、ごく幼い物心ついた頃から虫や草花と親しんでまいりました。小中高の義務教育の間絶えず何がしかの生き物を飼っていましたし、野山へ行って自然と戯れていました。思えば半世紀くらい動植物と付き合ってきたと思います。
 筆者が子供の頃は、外国産のかっちょいいカブトムシやクワガタムシは、現物を知らない架空の生き物でしたし、図鑑やテレビで紹介される珍しい魚や動物もペットトレードに乗ることはありませんでした。ただ、小鳥の流通は今よりもはるかに盛んでしたね。筆者も小学生の頃からジュウシマツやセキセイインコといった小鳥を飼育しましたが、ああした鳥類はいつ頃からペットショップから消えていったのでしょう?
 今でももちろん、小鳥の取扱店はあるにはありますが、筆者のような爬虫類愛好家には、むかしは見なかった小型の猛禽類の方が目につきます。
 インターネットの普及と共に、外国産の様々な昆虫や毒虫、爬虫類や哺乳類でもかつては動物園でも見られなかったような種までペットとして輸入されるようになりました。
 これは珍しい生き物を国民に紹介して行こうという国家の思惑ではなく、図鑑やテレビでしか見たことがない憧れの獣虫類を日本でも飼ってみたいと願う人たちの努力の成果です。ネット社会は多くの人々に知恵とノウハウを与え、国家に依存することなく行動する能力を与えました。

 筆者が若い頃は、プロや専門家に対する畏敬は絶大なものでした。筆者が20年30年の時を費やしても得られなかった知識や技術を、大学で学んで専門課程に進んだ人たちは数年の内に習得してしまい、何十年経っても何ひとつ成果を挙げられない筆者を差し置いて発明発見を重ね技術改革を行ない、若くして博士号を取得して行きます。
 ところが、ネット社会以降は、アマチュアの快進撃がすさまじく、ついこの間まで趣味で生き物を育てていた人が、いつの間にかプロのショップオーナーになっていて、様々な珍虫珍獣を輸入し、博士顔負けの学術的な講釈をネット上に紹介していたりします。
 かつては、それまで知られていなかった生き物の生態を究明するのは、動物園や水族館の専門家の役割でしたが、今ではその多くがアマチュアやペットショップで行なわれています。
 つい最近まで長期飼育や繁殖が困難で、ひじょうに高価な生き物であった種が、多くの人々の努力によって国内繁殖が実現し、ひじょうに飼いやすい生き物になったという事例も、ショップとアマチュアの連携によって達成されて行きます。
 アマチュアのレベルアップと飼育ノウハウの蓄積はすさまじく、今では生き物の生態の解明は専門家とアマチュアのネットワークによって推進されています。
 筆者も、少年の頃から生き物の飼育に様々な工夫をこらしてまいりました。土中で暮らすカブトムシの幼虫の蛹化や羽化を観察したいと考えて紙製の筒に幼虫を入れてみたり。それが今では人工蛹室なる商品として市販されています。もちろん筆者が作ったボロッちい紙製ではなく、再利用可能な立派なものです。あるいは土を用いず透明ケースでアリのコロニーを長期飼育する方法も開発され、専用飼育ケースが市販されています。本当にすごいです。感服いたします。

 筆者がこれまで取り組んできたことは、様々な種を同じ方法で飼ったり同居させたりといったことがことが主で、これは残念ながら生き物業界にあまり貢献できません。これは飼育スペースとメンテナンスの省力化、汎用化に貢献でき、筆者のなまけ心を充足させるのに貢献しています。それと、棚ぼた的に生き物の生態の本質を見ることができたりもします。
 様々な技術やノウハウが日進月歩で進んで行く中、筆者のできることなんてなにもないなぁ、というのが正直な思いです。さりとて生き物の飼育は、筆者にとって癒しでも、あるいは寂しさをまぎらすためのものでもありませんし、コレクションでもありません。いったい何のために飼っているのでしょうか。熱心にブリーディングや技術開発や品種改良に取り組んでいる人たちに軽蔑されそうです。
 筆者が、このブログで飼育ノウハウについて語ることは多くありません。そうした事柄はもっと優秀な人たちに任せるべしです。筆者は、生き物を飼っていて気づいたこと、学んだことをメモるためにこの雑記帳を書いています。他人から教えてもらった飼い方を実際に自分がやってみてどうだったのか、あるいは生き物の形態や生態から何が想像できるのか、その生き物の進化の過程や生態系における位置づけがどうなのか、あれこれ想像を巡らし、それを書き留めておく、これが筆者の生き物の飼育や植物の栽培に対する方法意識ですね。
 筆者は、専門用語があまり好きではありません。使い慣れない用語を使おうとすると、誤用や誤解を招くことが多々あります。
 このブログでも、筆者の専門用語の誤りを読者の方に指摘していただいたことがあります。ありがたいことです。その際に、指導的なことを書いているのに、ちゃんと確認しないのですか、というお叱りを受けました。用語の誤りを指摘されるとともに、筆者の記事がどのように見られているかを知らされるたいへん貴重なご意見でした。
 読者の中には、筆者のことを小動物の飼育の専門家のように思っている方がいらっしゃるかも知れませんね。ところが筆者が大学で専門教育を受けたこともありませんし、ペット業界の人間でもありません。生き物の飼育に関してはまったくの素人です。筆者は自身の飼育経験から学んだことを記述するためにこのブログを活用しています。ですから、ここに書かれたことは、最先端の飼育ノウハウでもなければ、専門家や業界人の方法論でもありません。もちろん業界の人の話しを聞いたり、専門書を参照したりしますが、教えてもらったことを自分なりに工夫して飼育に活用しています。
 こうしたやり方は、生き物の飼育者が誰でもやっていることですね。言わば筆者もそうした飼育者のひとりというわけです。ここに記述する内容は、ひとりの飼育者のひとつの経験とそこから学んだ独自の知識と考え方というわけです。

 現在の飼育事情は、多くの人たちの研究の積み重ねと意見交換の繰り返しによって進歩しました。そしてそれにはインターネットが大きく貢献しています。多くの飼育者が経験から学んだことをネットにアップすることで、それらが情報として蓄積され、より多くの人たちがそれを参照します。ネットで得た知識を自分の飼育に活用し、工夫や修正を加え、また新たな情報としてネットにアップします。人と人とが集まって議論するまでもなく情報交換が成され、飼育技術が向上してゆくのです。
 筆者のような素人でも、経験が少ない人でも、自分の記録をネット上に公開することができます。記録を残し、それをネットにアップするということは大切なことだと思います。そうすることによって意見や質問をいただいたり、誤りを修正されたりし、独りでやっていたことがそうでなくなります。そしてそれは、自分のためになると同時に他の人たちにも知識を授けることになります。熟練の専門家が経験の浅い素人から学ぶこともあります。ネットという環境は、様々な能力や立場の人が同列でコミュニケーションできるところに強みがあります。誤った情報や悪意の情報が流れることもあるでしょうが、それを是正し淘汰する圧力も存在します。
 筆者はこれからも雑記帳をつけてゆきます。見たこと気づいたことを忘れないように書き記すといった感覚で記録を残して行こうと思います。記事の中に少しでも読者のお役に立てる情報があれば参考にしてみてください。記述内容に誤りがあったり、反対意見があったりした場合はコメントをお寄せください。この雑記帳は、読者への情報提供である以上に自分の勉強のためであると考えます。
 様々な生き物の飼い方について、流通事情について、はたまた生き物の生態や生態系のこと、進化のことについて、読者の皆さんのご指導を賜りたいと思います。

雑記帳のこと3

2014/06/05


 この雑記帳もいつの間にかけっこう記事が増えました。そうする内に最初の頃と方向性というか思惑というかが、少しずつ変わってきたようにも思えますが、それもまぁ、必然的な流れであるようにも思えます。1センテンスで3つも思うを使ってしまいましたが、思えばこの雑記帳を書き始めたのが去年の7月末でしたから、見てる間に1年が経ってしまいます。びっくりです。
 最初の頃は、爬虫類の話しが多くなると思っていました。ここ十数年の飼育記録を写真付きでかなり貯めていますから、そこから写真を切り取ってきて記事にしていこうと目論んでいたからです。しかし考えてみればそれと同じくらい虫の記録も貯めていました。飼育動物であまり記録を残していないのが魚類です。爬虫類主体になる前は、様々な魚類を飼っていたものですが、その頃の記録は写真にはほとんど残っていません。ここ十数年も魚は飼い続けていますが、観察記録をつけていなかったですね。魚についてはむかしのビデオで記録が残っているはずですが、そのテープを再生する手段がありません。パソコンで再生できるようにディスクに落としてもらってもよいのですが、時間とお金がなかなか……。
 去年から今年にかけての冬の間は、ヒトの章をせっせと書きためましたね。そして春になって庭の花が咲き始めると植物に目が行くようになり、道端の雑草まで気になりだし、4月は植物の話題が多くなりました。草花についてあれこれ書きながら、5月になっで虫たちが活動し始めたら、虫に目を向けようと考えていて、その通りになりました。
 今年は、じつに久しぶりに飼育動物に多数の虫が加わりました。9年からそれ以上前に比べると数が知れてますが。なんだか息子が小さかった頃、あるいは自分が中学高校の頃に帰ったような気分です。ナチュラリストにとっては、虫の飼育というのは原点のような気がします。
 この春は鱗翅目の昆虫が熱かったですね。数種類のチョウの飼育と、たくさんのガの記述を残しました。チョウは飼育動物になりがちですが、ガは意外と飼わないものですね。でも野外観察ではチョウは一瞬現れてすぐに飛んで行ってしまうので、ガの観察の方が断然しやすいです。近日中にカイコガの飼育を再開する予定ですけど。

 様々な動植物の飼育や観察の記録を残そうとしたところで、今の世の中は優れた飼育者やブリーダーで満ちあふれており、筆者の出る幕はない気がしています。ネットの海をちょっと旅すれば、数多くの優れた飼育観察記録と研究の成果に出会うことができます。ほんとうに素晴らしいです。
 そんな博士だらけの状況で、自分の役割って何だろう、そんなことを考えることがあります。自分は他人様から教えてもらうだけで、自分では何もできないんじゃないのか、そんな焦りのような感情に見舞われます。
 飼育観察記録では、飼育の手本みたいなことを記述していますが、それは筆者はこのようにしているという事例発表に過ぎません。

 筆者が目指しているのは、飼育や繁殖の権威ではありません。昆虫採集のベテランでもありません。昆虫採集の基本は、適当に歩き回って向こうから転がり込んできたものを捕まえる、そんな感じです。あるいはネットの海に採集にでかけたり。要するにあまり労を費やしていません。
 バナナトラップで大型甲虫類を捕まえたり、腐肉トラップで肉食昆虫を捕まえたり、やる気があるものの、そんなことすでにもっと権威の人がやってるし、そう思うと能勢山系に住んでいながら林に分け入る気がしぼんでしまうのです。企業定年以降、時間がたっぷりできたら挑戦してみようか、そんなことも考えています。あるいはベテランの人がどなたか連れてってくれないかなぁ、なんて。

 そんな消極的で実力主義でもない筆者が、懇々と生き物を飼い続け、草花を眺め続けるのには、人に語っても仕方ないけれど本人にとっては重要な理由があります。それは、謎を解明したいという純粋な思いです。むろん短い人生の内に何も解明できないのかも知れませんが、この衝動を抑えることはできません。多くのナチュラリストがそうだと思います。
 定説になっている様々な理論が、疑わしくて仕方ありません。生存競争による生態系のバランス、強い子孫を残すための原理、ヒトが哺乳類であること、それらに納得できないから、自分の目線と方法で自然界を見つめるのです。自然界はしばしば人の科学技術をも含みます。また謎の究明には、生物学的な考察のみならず、理論物理学だの、アニメだの、音楽だのも必要になってきます。種の保存と遺伝について考えると、学識よりも想像力が必要になってきます。
 世の中には、様々な学術的方法論が存在しますが、それらはしばしば筆者の研究とは疎遠なものです。筆者は専門家にはなれません。既存の学識と根本から相いれないような考えに至ることもしばしばです。そうなると話しはSF染みたものにさえなってきます。今後はそういうことも記述できたらとも考えます。
 出会った生き物、付き合っている生き物の写真をのっけて、思い出や感想や、ちょっとした考えを述べることに終始していますが、その中にも進化学的な考察、生態系における位置づけや役割、そしたことを盛り込んでゆこうと思います。
 これは自分の思いを公開する場であると共に、自分のための覚え書でもあります。

待ち受け昆虫観察

2014/07/30


 今年の春、道端の雑草の観察に精を出していた頃から、夏は虫の観察が忙しくなることは予感としてあったのですが、春から初夏にかけての蛾の襲撃以降、虫の話しは尽きなくなってしまいました。道端の虫たちにカメラを向けているだけならまだしも、ネットの海で見つけた虫を買い求め飼育に精を出し始めたのがいけません。最近は爬虫類の飼育よりも虫の飼育の方が忙しいくらいです。10年ほど前にも多数の虫の飼育を手がけたことがありましたが、爬虫類の専用温室の前にたくさんの飼育ケースを並べたのは、それこそ10年ぶりくらいになります。やっぱ虫は面白いです。
 本著「萌萌虫雑記帳は」、爬虫類の飼育と陸棲動物の進化の話しを記述した「萌萌虫」というサイトに間借りして、ナチュラリストとしての日常を気ままに綴ろうと思って立ち上げました。飼育動物のことや、身辺で目撃した動植物について、写真入りの日記みたいなものを残せたらという思いで始めたわけです。
 その目的はおおむね達成できていると思うのですが、最近の虫の話しに関しては、自らの態度に疑問を覚えるというか、予想外の展開になってその深みにはまってしまったというか、やっててどうよというか、方向性を見失いつつあるというか、なんだか変なことになってまいりました。
 現役鉄道員である筆者は、会社に週に72時間拘束され、通勤に往復3時間を費やします。24時間勤務を週に3回繰り返し、非番の日に生き物の世話をするわけですが、翌朝の長時間勤務のことを考えると夜更かしもできませんし、非番の日の自由時間はそれほどたっぷりというわけにもゆきません。そんなわけで飼育動物の世話も、楽すること回数を減らすことに考えを巡らし、個々の生き物にたっぷり愛情を注ぐなんていとまはありません。
 哺乳動物に名前を付けて可愛がっている人たちからすると、筆者の飼育は単なるストックのようなものに見えるでしょう。
 また、自然観察においても、休日の度に近くの山に分け入るといった行為は皆無で、住まいが山岳地であることを利用して、自然が向こうから飛んできてくれるのを待っているだけです。目ぼしい生き物についてはネットの海で探します。多くの時間を自然と触れ合っている人たちからすれば、筆者のような態度は、ナチュラリスト失格なのかもしれません。
 でもね、筆者は虫取り名人やサバイバル名人を目指しているわけじゃないんですよね。目指すべきなんでしょうけど。筆者が目指すまでもなく、世の中には優れた虫取り名人や野山の達人が山ほどいて、ノウハウはどんどん蓄積されて行き、この分野の文化は充実して行きます。そこに筆者ごときができることなんて何もないと思えるのです。
 多くの達人たちに笑われますが、筆者のような待ち受け観察でも、いろんなことが学べるものです。庭を眺めているだけでも、去年はエノコログサやイネ科植物に悩まされたけれど、今年は春からヒメオドリコソウとカラスノエンドウの猛襲があり、今は例年以上にセイタカアワダチソウが繁茂しているという変化に気づきます。春から初夏にかけてのガの観察では、その種類の多さと、多くのガが真夏は活動を休止することを学びました。虫たちも年によって個体数が多くなる種類が異なったりします。自然は季節を繰り返しているものの、毎年同じではありません。
 そこにさらに生物の移動による変化も加わります。大発生した虫は棲息範囲の拡大に成功し、翌年には新天地で繁栄するかもしれません。人為的な生物の移動も自然に大きな影響を与えます。都会暮らしだけをしていますと、自然は人間によってどんどん失われているように思えるでしょうが、硬度経済成長期よりも現在の方が水や空気が改善された地域も少なくありません。
 能動的にお目当ての生き物を研究している方々は、往々にして自然環境の破壊や変化を憂いがちですが、批判ばかりでは得るものは多くありません。自然を壊さないためにしている行為が逆に自然を傷めていないか、自分の行動を見つめなおしてみることも必要です。
 そりゃ、虫取り名人や野山の達人はすごいと思います。うらやましくもあります。彼らからすれば自分は手足をもがれ、想像で野山を夢見ている病人のようにさえ思えてしまいます。でも想像力はしばしば研究や理論の確率の役に立ってくれます。このスタイルでやって来た以上、余生もこれで突き進むしかないのかもしれません。虫取りや野山の散策に充分な時間を費やせる人たちをうらやんでも筆者にとっての前進はありませんし。
 ということで、へんなカテゴライズで変なふうにまとめられた雑記帳は、これからも続き、その悪化の一途をたどることになります。今は少しでも長く続けて行き、記録を蓄積して行きたいと考えています。

雑記帳のこと4

2014/09/24


 萌萌雑記帳におけるカテゴライズの言い訳について、へ理屈をたれておきたいと思います。
 ★スネさん、スネークのですね。筆者が幼少の頃より親しんできたアオダイショウと、本格的にヘビを飼育するようになって最初に飼い始め、今も飼育繁殖を手がけているコーンスネークの2種について独立した見出しを設け、それ以外についてはヘビの分類に準じてナミヘビ上科、ムカシヘビ上科、メクラヘビ上科ごとに3つの見出しを設けました。
 ★リーザさん、トカゲの仲間です。これも筆者がずっと飼い続けているフトアゴヒゲトカゲとトゲオアガマの仲間に独立した見出しを設け、あとはおおむねトカゲの分類に従いました。アガマ類、イグアナ類、スキンク類は、多くの小型種を含み飼いやすいトカゲたちで、それ以外をモニターほかとしてまとめました。ランドゲッコーと壁チョロは、ヤモリたちです。トカゲモドキおよび地上性のヤモリをランドゲッコーに、樹上性種を壁チョロとしました。
 ★くさばな、植物の章です。庭草と雑草に分けてみたのですが、筆者が育てているものや人為的に栽培されているものを庭草、それ以外のものを雑草としました。このカテゴライズはきっぱり言って曖昧です。筆者の庭に生えているものでも、筆者や家族が植えた覚えがなく、近くの野山にも自生しているようなものは雑草として扱いました。また、雑草の中には野山で出会った大木から、植物に分類されない菌類に至るまでが含まれます。あるいは外国から輸入された園芸植物が逸出して野生環境に自生するようになったものも、筆者にとっては雑草です。植物によっては同一種で庭草と雑草の両方に登場するといった事態も生じました。高山植物園という見出しでは、六甲高山植物園で出会った植物たちについて記述しています。
 ★むしさん、昆虫やその他の小さな動物たちの章です。主に陸棲動物を扱っていますが、一部水棲動物も含みます。庭虫、雑虫、毒虫の3つの見出しを設けましたが、これがひじょうに入り組んでいて曖昧です。庭虫には、ショップ等で飼育動物として市販されているもの、輸入された外来種、あるいは人が繁殖させたものなどを含め、雑虫には、自然界で出会ったものを入れることにしました。このカテゴライズは多くの読者にとってかなりいいかげんに見えると思われます。カブトムシやオオゴキブリ等は、両方の見出しに登場しますが、その違いは野生採集ものか人様が繁殖させたものの差です。また、人様からの頂き物であっても野生採集個体であれば雑虫としています。庭虫と雑虫はペットかそうでないものかのちがいかと言われると微妙にちがいます。要は筆者の主観が大きく、人為的な環境で生まれ育ったものと、野生で生きてきたものとは分けておきたいという思いがありました。オカダンゴムシは、庭で採集したものですが、筆者の姪にとって飼育教材であったことから、庭虫に入れました、そういうお話をしたかったってことですよ。
 ★水もの、魚類と両生類、爬虫類の中のカメ類、そして基本的に水棲の種々の小さな生き物をこの章に含めました。リクガメあるいはカタツムリなどは水域とは縁遠い生き物ですし、カエルやイモリの中にも生活に水域を必要としないものがいます。しかし進化系統的に極めて近縁の仲間に水棲種が多く含まれ、その種がたまたま乾燥に対する耐性を会得し、水域を離れるような進化を遂げたものの、彼らにとって水棲であることと陸棲であることは、構造的に大きな差異はありません。水棲であることと陸棲であることは、小さな生き物の世界では意外と混沌としています。対して脊椎動物の世界では水棲から陸棲への転換は、それこそ人類が宇宙に挑むような大変革でした。
 ★ヒト、ナチュラリストの視線で、人間とその社会を見渡してみようと思い立ち、この章を設けました。自分、人間界、自然界という見出しに分けましたが、これもまたなかなかいい加減でこじつけ的です。筆者の個人的な考え方や習性みたいなものを自分とし、社会的な通説や一般論に対する思いを人間界として記述しました。が、人間の自然に対する見方考え方というものについてはどうなのかと考えるうちに、けっきょく自然界という見出しを増やさざるを得なくなったという次第です。

 筆者は、垣根の構築と破壊という項目の中で、ものごとを学習するということは分類し、垣根を作ることであり、ものごとの理解を含め真理を追究することは、垣根を破壊することだといったことを述べました。つまりは分類という考え方が曖昧なもので、そこから逸脱したところに真理の追究があるというわけです。
 筆者はこの雑記帳のカテゴライズがかなりいい加減で、刹那的なものに陥ってしまっている状況を、むしろひじょうに快く思っています。多くの読者が不満を抱いてくれることを良しと感じています。これで良いのですよ。自然という壮大にして難解な事象を究明しようとする人たちには、結論を急がない曖昧さというものを学んでほしいと思います。なかなか困難なことですが、物事を一概に決めつけるということはひじょうに危険なもので、変遷して行く答え、変わって行く価値基準というものを、流動しているままに受け止めるということも、自然や人間界を理解するには重要なことと思われます。

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索引


目次

スネさん リーザさん けもの 庭虫
雑虫 クモ 直翅系 半翅系 膜翅系 鱗翅系 鞘翅目 毒虫 魚たち 無脊椎
両生類 カメたち 絶滅動物 くさばな 庭草 雑草 高山植物 飼育と観察 ヒト □飼育動物データ




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