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ゴキブリの飼育

 大きな虫の話しになりますが、外国産の大型のゴキブリの仲間には、飼育繁殖と長期管理がかなり容易なものがいます。デュビアといわれるゴキブリは、まとまった数をケージに入れておくとどんどん繁殖します。後尾を終えたメスは幼虫を直接出産し、生まれた幼虫はそのまま親と一緒に飼えます。最初のうちはあまり増えないかもしれませんが、しばらくすると爆発的に繁殖します。しかもコオロギのように飼育環境を汚さず、ケージの掃除とかもあまり必要ありません。餌と飲み水を供給し続けるだけでどんどん増えるのです。
 同じように飼育繁殖できるゴキブリはたくさんいますが、高い湿度を必要としない種が良いです。保湿のために土を敷いたりする必要がないので大変衛生的です。
 マダガスカルヒッシングローチというゴキブリは、手の平サイズくらいになるばかでかい虫で、かなり大型の飼育動物に与えられます。デュビアと同じように飼育繁殖ができます。
 これらの乾燥系で胎生のゴキブリの飼育はたいへん楽です。適当なプラケースに地形効果をほどこしてやり、その中にゴキブリを入れておくだけです。厚紙(表面がざらざらしたもの)などを適当に切ってグシャグシャにし、それを放り込んでおくだけで理想的な地形効果が得られます。最近は入手困難ですが、紙製の玉子パックは地形効果として大変理想的ですね。地形効果によってゴキブリが歩き回る表面積を大きくしてやれば、繁殖して個体数が増えても対応できます。
 餌は、コイや金魚の粒餌、熱帯魚用飼料、爬虫類用飼料などの乾燥した餌を適当にばらまき、減ったら補充します。浅い水皿に飲み水を用意してやりますが、板状のスポンジに水を染み込ませた状態を維持しましょう。水たまりを作ると小さな幼虫が溺死することがあります。
 筆者は飲み水は用意せずに昆虫ゼリーで水分を摂らせるという方法を採っています。昆虫ゼリーというのは、カブトムシやクワガタムシ用の人工飼料として市販されているミニサイズのカップ入りゼリーで、数百匹のゴキブリに対して数個の昆虫ゼリーを適当に転がしておけば良いです。ゼリーのフタは開けずにカッターで十字の切り目を付けておくと良いです。暖かい時期には数日を経ずしてすっかり食べ尽くされます。なくなれば補給します。昆虫ゼリーは、滋養と水分の両方を補填できて良いですね。

 上述のゴキブリたちはガラスやプラスチック面をよじ登れないので、飼育動物に餌として与える時は、少し深めの皿かタッパーにでも入れてやればケージの隅っこに潜りこんじまったりするのを防げます。
 飼育繁殖もたいへん容易なうえ、あまり世話をやかなくても奇麗に飼えるので申し分ないのですが、飼育動物用の生き餌としていまいち人気がありません。ゴキブリそのものが日本人にとって可愛くないイメージが強いからでしょうか。実際に外国産のゴキブリたちを目にすると印象が刷新されると思うんですけどね。でもそれよりも餌として不向きな要素がありまして、彼らは日本のゴキブリとちがって全然活発じゃないんですよね。餌皿の底にへばり付いたままあまり動かないため、飼育動物たちが生き餌として視認しにくいのです。飼育動物が飼育環境と飼育者にすっかり慣れ、人を見れば餌を期待するような状態まで飼い込んだ個体なら、給餌の際に駆け寄って来て、動きがにぶい餌にも気づいてくれます。あるいは、ジャンボミルワームと一緒に入れてやると、一緒になって動き回ったりします。……つまり管理は楽だけど餌として与えるのにちと苦労する餌と言えるかも知れませんね。

生き餌との奮戦

 恒温動物とちがって餌の摂取量が少なく、運動量も少なく静かで飼育環境をあまり汚さない変温動物は、それ自体の飼育はたいへん楽だと言えます。ただ多くの場合、餌が生きた虫なんですよね。両生類全般およびトカゲの仲間の大半の飼育において生きた虫の準備は欠かせません。考えてみれば、爬虫類や両生類の飼育においていちばん大変なのが生き餌を用意することかも知れません。
 筆者は、爬虫類や両生類以上に、昆虫類やクモ、サソリ、ムカデやヤスデといった様々な虫を飼育してまいりました。なので、虫の飼育や繁殖は得意分野なのです。それなのに飼料として大量の生き虫を管理するとなると、その手間にうんざりしてしまいます。大量生産大量ストックには、お金と労力と、それに充分なスペースが必要になりますから。
 今のところ、安価で大量ストックも容易な生き虫といえば、別項でも取り上げたミルワームとジャンボミルワームですが、小さなトカゲ類の飼育と繁殖に向かない場合があります。指先に乗るようなサイズのトカゲには、ジャンボミルワームは大きすぎますし、ミルワームは餌としていささか硬すぎるのと、動きが悪くて飼育動物の嗜好性が低くなる場合が多いのです。小型トカゲの生後間もない幼体にはミルワームでも大きすぎることがあり、その時は他の虫を探すしかありません。
 微細な生き餌としてショウジョウバエを利用することもあります。古くなったバナナなどを空ビンに入れて放置しておくと、いつの間にかコバエがわいていますね。あれを生き餌として利用するのです。ショウジョウバエは昆虫ゼリーなどで飼育繁殖も可能です。また、羽はあるのに飛べないように品種改良された餌用ショウジョウバエを市販しているところもあります。飛んで行かないので、飼育動物が捕食しやすく、ケージからの餌の脱走も減ります。便利ですね。
 ショウジョウバエは万一逃がしても餌用コオロギのような弊害がないので安心です。ただ、栄養価が低いようで、飼育動物の幼体の発育用には心許ない気もします。ハエに対してもガットローディングで栄養をつけてやると良いですかねぇ、筆者はやってみたことがないです。
 飼育動物のサイズに応じた理想的な生き虫を見つけてストックするのって本当に大変です。他にもトビムシやシミの仲間を餌として利用する方法もありますが、これらの虫の管理にはちょっとしたコツがあって、それをつかむまでは長期ストックは難しいかもしれません。

 生き餌の問題は、理想的なサイズを求める意外にも、飼育動物が逆に食われるという心配もあります。ケージに放り込んだコオロギが捕食をまぬがれて生き延びた場合、昼行性のトカゲが夜スヤスヤと眠っているうちに、そいつをバリバリかじり始めるなんてことが時たまあります。コオロギは動物食嗜好が強いですから。
 あるいはカエルに丸呑みされたジャンボミルワームが、カエルの腹を食い破って出て来るなんていうエイリアン事件も時たま発生します。怖わっ。爬虫類はおおむね餌をかみ砕いて嚥下するのでまず大丈夫ですが、両生類は歯が発達してなくて丸呑みなので、エイリアン事件が起きることがあるのです。筆者は経験したことないので、気にせず与えていますが、けっこうよくある話しだと聞きますよ。あるいは腹を食い破らなくても、胃の中を噛みまくって体内に怪我を負わせているかもです。
 エイリアン事件を防止するには、生き虫の頭をブチッとつぶして与えると良いのですが、頭をつぶされた生き虫は動きが鈍くなるか、まったく動かなくなるので、少しでも動きがある内に気づいて食べてほしいものです。餌が絶命してしまった場合には、ピンセットでつまんで動かして、飼育動物の関心をそそるのも手です。

 というわけで、生き餌を用意するというのはなかなか大変なわけで、本著を読んで、生き餌を必要とする動物の飼育を断念する方があるかもしれませんが、それは早計というものです。ぶっちゃけ、経験と慣れです。飼いたいの一念があれば何とでもなります。多くの初心者の方が、しかも生きた虫なんて無理とおっしゃられた方々が、案外すぐに慣れてしまって、生き虫で飼うのがいちばん簡単だと豪語するようになります。勉強熱心な方は、いつのまにか知識を蓄えて筆者にいろいろ教えてくれるまでになります。素晴らしいですね。

アルビノの話し

 アルビノというのは、動物の体色素から黒色が欠落する変異型のことで、珍しいと言えは珍しいのですが、むちゃくちゃ珍しいというわけでもありません。自然界でもひじょうに多くの動物でこの変異型が見られ、脊椎動物から節足動物、軟体動物に至るまで、アルビノを輩出しないグループを探す方が難しいほどです。
 黒色色素が欠落すると、もっとも顕著な例では体の色が真っ白になり、黒目は鮮やかな赤になります。白うさぎがその好例です。
 他にも、ホワイトタイガーや、白いハツカネズミ、国産のシロヘビ(アオダイショウのアルビノ)も有名ですね。ところが同じ白い体の持ち主でも、ホッキョクグマやハクチョウはアルビノではなく、もともと白色の体に進化した動物です。まぎらわしいですね。あと色白の女性をアルビノ傾向があるなんて表現するのも間違いです。
 アルビノという形質は、変異型としてはひじょうによく遺伝しよく発現します。アルビノ個体同士を掛け合わせると、やはりアルビノの子が生まれます。筆者は、インドヒラマキガイという水棲の軟体動物で実験したことがあるのですが、偶発的に出現する小数のアルビノ個体ばかりを集めて飼育し何代も交配を繰り返すと、アルビノしか出現しなくなり、その中でもきわめて変異の大きいものをよりすぐる内に、筆者の水槽には鮮やかなルビー色の貝でいっぱいになりました。ちと学術的な表現をすると、人為淘汰によってアルビノ品種を作出したということになります。これも今では珍しい品種ではなくなり、ルビー色のインドヒラマキガイはペットとして市販されています。
 インドヒラマキガイは、原種は黒っぽい巻き貝ですがもともと赤い色素をたくさんもっており、黒色色素が欠落することで鮮やかなルビー色になります。アルビノ変異を生じやすい動物の多くが、黒色色素の欠落によって赤や黄色が強く発色する傾向にあり、これらの要因でピンクやオレンジ、黄金、あるいは赤黄白の美しい斑紋などが現れます。

 アルビノの個体の多くは、ひじょうに美しいので、ペットとしても高い人気を博しています。またひじょうに多くの動物がこの変異型を生じ、読者や筆者が知らない意外な動物にアルビノの発現例があるので、いろいろ調べて見るのも楽しいですよ。
 爬虫類や両生類にも、ペット化されているアルビノ品種はひじょうに多く、爬虫類の愛好家でアルビノのヘビやカエルを見たことがない人なんていません。コーンスネークのようにアルビノじゃない個体を探す方が難しいほど、アルビノ品種が定着しているものもいます。
 筆者もこれまでに多数のアルビノ品種と出会ってまいりましたが、どれもたいへん美しく、美しくない例を思い出すことができないほどです。そして多くのマニアがアルビノに魅せられています。

 アルビノ個体は虚弱であるとか、赤目は視力が弱く生きてゆくのに不利なので長生きしないとか、聞いたことがあります。確かに自然界では鮮やかな体色は目立ちすぎて、天敵に発見されやすかったり、獲物に逃げられたりしやすいのかも知れません。しかしながら飼育下では美しいことが不利になることはなく、筆者がこれまでに飼育したアルビノ個体で、健康上の問題があったり、採餌が困難であったり、あるいはノーマル個体との同居でいじめられたりといった例を見たことがありません。繁殖においてもまったく問題はなく、アルビノが虚弱というのは正しい知識ではない気がします。
 ということで、財力に余裕があり、美しいモノ好きな方は、アルビノコレクターを目指すのもよろしいかと思います。

野生動物と寄生虫

 野生で生活する動物は寄生虫や病原菌と無縁ではいられません。彼らは餌を消毒したり加熱殺菌したりするわけではないので、これらの侵入者を効果的に防ぐことができません。
 自然界では、彼らはおおむね侵入者と上手く付き合っており、採集したばかりの野生動物はたいていの場合は良好な健康状態を保っています。ところが飼育下に置かれると、急に健康を害してしまったり、若齢の個体であれば発育不全を来たしてしまったりというケースがけっこうあります。
 病気に感染している個体では、細菌の毒性が高い場合は、顕著な症状が見られるので、飼育は避けるべきでしょう。一見して症状が判らなくても、病原菌が潜伏して発病を待っている場合もあるので、野生採集個体は飼育中の動物との同居は避け、その個体が良好なコンディションになるまで単独飼育します。このことを専門家はトリートメントとか言います。
 病気の個体はけっこう短期間に症状が現れる場合が多いですが、寄生虫の場合は発見がひじょうに難しいです。ダニのように体表に着く虫は注意深く観察することで発見でき、ブラシでこすりとったり、温水浴させたりといった方法で駆除しますが、体内の消化器にわく虫は見つけにくいです。

 野生採集動物が飼育下で健康を維持できなくなる最大の原因が寄生虫であるといわれます。野生で暮らしている間は腹の中の寄生虫と上手く付き合っていても、人工的な環境に置かれると、ストレスやさまざまな要因で寄生虫に負けてしまうようです。
 動物は種類や個体の差異によって、飼育環境にすぐ馴化し人にもよく馴れるものと、そうでないものがあります。いわゆる飼いやすい動物とそうでないものがあるわけですが、飼いやすい動物でも寄生虫には負けてしまう場合があります。
 寄生虫が原因でコンディションを崩すていどは様々で、外見上ほとんど問題が認められないまま長く飼える場合もありますし、どんどん食欲をなくし、やがて死に至る場合も少なくありません。餌をたくさん食べる子供がちっとも大きくならないこともよくあります。

 体内の寄生虫と無縁でいたいならば、野生採集個体は飼育しないことです。日本に棲んでいる動物で、飼いやすい種であれば、案外問題なく長期飼育が実現しますが、ショップで市販されている輸入動物の野生採集個体は、飼育を始めて間もなくコンディションを崩してしまうことが少なくありません。餌を食べなくなり、どんどん痩せて行き、やがてそっと息を引き取ります。
 変温動物は、餌を採らなくなっても急に痩せて行くことはありません。痩せ始めたらかなり深刻な事態であると認識すべきでしょう。一度痩せ始めた個体は、充分に餌を食べさせることができてもなかなか回復しません。
 飼育者の知識の低さで命を落とし、もともと弱い個体だったなんて片付けられてしまう動物たちのことを考えると悲しくなります。ショップや情報誌等は、動物の魅力を伝えるだけでなく、傷病に対する知識ももっと広げるべきですね。

寄生虫と対策

 体内寄生虫の飼育動物に与えるダメージはひじょうに深刻な場合が少なくありません。それを回避する最良の手段は、野生採集個体を飼わないことです。寄生虫は細菌ではないので、感染はしません。しかし寄生虫を持っている個体の糞には、寄生虫やその卵が含まれるので、同居している他の個体が、直接あるいは間接的に糞を口に触れるようなことがあると、寄生虫をもらってしまうことになるでしょう。
 野生採集個体を持ち込まなければ、寄生虫の心配はまずありません。それと、寄生虫が親から子へ受け渡されることもほとんどなく、生まれて間もない、なにも口にしていない個体は、野生のものであっても寄生虫の心配はありません。
 野山で何かの卵を拾って来て孵化させた場合、その子はクリーンです。
 ペットショップには、人工的に繁殖させた、いわゆる養殖個体が用意されている場合が多く、これを買い求めれば寄生虫の脅威とは無縁でいられます。ただ、養殖個体なのか野生採集個体なのかは、一見して判らない場合が多いので、お店の人の言い分を信じるしかありません。
 犬猫からあらゆる小動物を扱う、ペットの量販店みたいなお店が最近は少なくありませんが、その手のお店では、スタッフに爬虫類や両生類の知識の少ない場合が多く、野生か養殖かの区別もつけずにお店に並べていたりします。でも爬虫類や両生類の専門店になると、野生か養殖かの区別の重要性を熟知していて、適切なアドバイスをしてくれることが多いです。こちらから野生か養殖かを尋ねて答えられなかったり、ウソをついたりされることは、筆者はほとんど経験したことがありません。

 専門用語で、養殖個体のことをCB(キャプティヴブリーディング)と言い、野生採集個体をWC(ワイルドキャッチド)と言います。専門店で、「このトカゲはCBですか?」なんて尋ねれば、それだけで養殖・野生の区別の重要性を買い手が知っていることを店員に伝えることができ、きちんとしたアドバイスを受けることができます。
 野生採集個体に手を出すなと言っても、人工繁殖が容易でない種では、WCしか市販されていなかったり、CBがあきれるほど高価だったりすることがあります。
 種によってはWCであっても問題なく長期飼育が可能なものもいますし、お店で充分なトリートメントがなされていて安心いて飼える場合もあります。そのような種あるいは個体については、飼育の安全性についてお店の人の説明を受けると良いでしょう。
 また、駆虫済みという表記がされているWC個体もあります。駆虫とは投薬によって寄生虫を駆除することで、これも安心できます。

 駆虫は獣医が行なう専門医療になりますが、患者を医院に持ち込んで治療してもらわなくても対処してもらえます。犬猫ばかりでなくエキゾチックアニマルも診てもらえる医院に問い合わせを行ない、指示に従って飼育動物のなるべく新鮮な便を獣医に診てもらいます。獣医はこれを顕微鏡で観察して寄生虫を見つけ、その種類に応じた適切な薬を処方してくれます。
 動物の便を持ち込むとき、動物の種類と個体の体重を申告しましょう。体重が判らなければ、「これくらいの大きさです」なんて手で示せばよいでしょう。
 薬の与え方や分量回数については、獣医の指示に従えば良いわけですが、餌に混ぜて食べさせる方法が一般的です。
 適当な獣医を見つけられない場合には、動物を入手したショップに尋ねれば教えてくれると思います。中には、適切な薬を分けてくれるショップもあるとか、総合駆虫剤なんてのがあってそれを教えてくれる場合があるとか、聞いたことがありますが、獣医にかかるより安くつきますから試してみるとよいかもです。でも、その信頼性は未知数なのでお勧めはしませんけどね。それ以前にショップで薬が入手できるなら、動物を販売する前に駆虫しておいてくれればよいじゃないですか。
 安価で確実な総合駆虫剤について正しい情報をお知りの方は、ぜひ筆者にも教えていただきたいものです。

※ 文中のWC(ワイルドキャッチド)という語句について、2014/3/18に 通りすがり様より、誤りであるとのご指摘を受けました。正しくは“ワイルドコート Wild Caught”です。お詫びと訂正を付加させていただきます。

■進化のはなし■

 生物は進化します。進化し続けるのです。では、進化っていったい何でしょう? 筆者なりにいろいろ答えを求めてまいりましたが、身もフタもなく一言でまとめてしまえば「生物が遺伝子レベルで変わり続けること」というふうになるかと思います。
 逆に言うと、遺伝子レベルで変わり続ける有機システムが生物である、ということになるんじゃないかと思います。つまり進化とは何かを考えることと、生物とは何者?って考えるのは同義なんですよ、きっと。で、有機システムっていうのは何かと申しますと、地球上の物質には有機物と無機物があって、アミノ酸みたく一定の機能をしやがる不思議君のことを有機物って言うんですね。その有機物の統制された複合体ってことで、有機システムって言ってみましたのさ。
 生物という名の有機システムは、ご存知DNAという共通言語で書かれたプログラムデータを持っていて、それに基づいてからだが形成されます。生物のからだは細胞という単位をたくさん組み合わせたもので、1体の生物は様々な形状や性質の細胞で作られますが、そのすべてが共通のプログラムデータを共有しています。言い換えれば、同じDNA情報を共有する細胞の集合体が生物です。
 んで、単細胞生物は1つの細胞だけで1体の生物を成すロンリーなやつで、地球上に現れた初期の有核生物は単細胞生物だったそうです。それがコロニーとか作って喜んでるうちに、後生生物すなわち多細胞生物のアイディアが生まれたんでしょう。
 有機物は、物質と結合したり選別したり、硬くなったりフニャけたり様々な働きをなさりますが、これを統括するシステムをどんなふうに組み立てるかっていう設計図を塩基という素子で書き留めたものがDNAです。生物の中にはこの設計図の入った細胞核を持たない原生生物みたいなのがいるなんて話しも聞いたことがありますが、その辺りのことは筆者の知力ではどうにもならないので無視です。生物といえば有核生物、そういうことにします。
 生体内で細胞分裂が起きるとき、DNAは正確にコピーされますが、完璧じゃありません。生体内でアミノ酸結合が行なわれるとき、DNA上のコードが読み込まれますが、修正が施されます。
 DNAの複写や読み込みは、限りなく完璧にして、じつは誤差と修正がついてまわるのです。一見、不動に見えるDNAは実はかなり動的であり、その振る舞いも完全無欠じゃありません。そしてこのことが、生物に遺伝子レベルで変わり続けること、すなわち進化を促しているわけですよ。
 ずっと以前に専門書で読んだことがあるんですけど、同じ種類の生物でも決して全く同じということはなく、ひとつの種をなすのは厳密には1体の生物、もしくは有性生殖生物であれば1対のペアであるそうです。えらく極端な見解ですが、生物が変わり続ける存在であるということをよく表した明言だな、と感じましたとさ。
 というわけで、生物がなんで変わり続けるのか、変わり続けねばならないのか、これから一生懸命考えていこうかと思うのですよ。

進化のしくみ

 生物は、遺伝子レベルでとどまることなく変わり続けて行く存在です。身近な動植物や私たち人間自身を観察しても変わって行く様子は見えませんが、遺伝子レベルでは世代交代の度に変わり続けています。
 ヒトは、たかだか300万年〜200万年ほど前に、類人猿と同じ祖先から分化したのだそうです。まだひじょうに若いこの"種"は、形質や生態も未完成なところが多い過渡的な存在で、かなり急速に変わり続けています。わずか数十年前の人間と現代人とでは、顔立ちも加齢の仕方もかなり変わって来ています。むかしに比べると現代人はずいぶん若々しくなりましたし、男性の女性化が進んでいます。それに心身共に未成熟の時間が長くなりました。
 これらヒトの変化については別項で詳しく述べるとして、今は生物の進化のしくみの話しです。まず生物は変わり続ける存在であり、長い長い時代を経て、やがて別の種になります。そして進化に逆行はありません。ヒトが猿の祖先に戻ることはないのです。退化ということばがあって、使わなくなった器官が衰退したり失われるようなこと言いますが、この退化も進化の逆戻りではありません。進化して発達した器官が元の未発達な状態に逆戻りするわけではないのです。
 生物とは、けして逆戻りすることなく変わり続ける存在である。ということになります。
 そしてこの進化(逆戻りしない変化)を支えているのが、遺伝子レベルの進化なわけですが、実際にそれがどのような仕組みで行なわれているのかは、不可解な謎に包まれています。
 生物の進化は、長い長い歳月の間に、より環境に適応した、より強く高等な種へと進んでゆくように見えますが、そのように変化するようなシステムが遺伝子の中に存在するのでしょうか? それともたまたま偶発的に生じる変化のうち、たまたま有利な形質だけが生き残って、その積み重ねが進化につながっているのでしょうか。
 専門書等には、遺伝子が能動的に進化を推し進めるようなシステムの存在について、これを肯定するようなことはほとんど書かれていませんが、筆者はむかしから進化がきわめて能動的な機構によって推し進められていることを疑っています。偶然の積み重ねだけでは進化の歴史とそこに起こった数々のドラマを説明できないと思うんですね。
 なので筆者は、生物とは遺伝子レベルで常に能動的に変わり続け、長い時間をかけてとどまることなく進化し続ける存在であると結論づけています。そう結論づける根拠について、次項より順を追ってみてゆきましょう。

進化の能動性

 むかし読んだ専門書によると、生物の進化は偶発的な突然変移の積み重ねに支えられているということでした。遺伝子が親から子へ受け継がれるとき、遺伝情報は極めて忠実にコピーされるのですが、まれにエラーが生じ、それが突然変移という形で形質に現れ、その多くはいわゆる奇形で、環境の適応に不利になるので絶えてしまうのですが、まれに親より環境への適応に有利な奇形が生じると、その子は生きながらえて自分の遺伝情報を子孫に残し、その生物は一歩進化するというわけです。
 なんだか納得できない考え方でした。たまたま親より優位な奇形が生まれて来るなんて、どんな幸運なんだ? そんな偶然性が進化のメカニズムのすべてなんだろうか。進化にはひじょうに長い時間と多くの世代交代が必要ですが、だからと言って、偶然生じる幸運なエラーすなわち親より優位な突然変移の積み重ねだけで、上手く進化することができるのだろうか。進化に必要な時間はたっぷり用意されているとは言え、無限に時間があるわけではりません。
 生物の進化と絶対に切り離せない条件に、環境への適応があります。そして地球上の環境は変化し続けます。その変化に適応できなければ、進化が上手くゆかないばかりか、種の存続の危機ということになってしまいます。
 環境に適応するうえで、優位に立てるような突然変移がどれだけ生じるか、それを考えると進化を突然変移にゆだねていて良いのか? 生物は進化するということをもっと能動的に積極的に考えて行かねばならないんじゃないか、そんなふうに思うわけです。
 ヒトはここ数十年の間だけでもずいぶん変わった……より若々しくなり、男性の女性化が進んだ……なんてことを前項で述べましたが、あれもどこかで発生した突然変移が、世界規模で波及した結果なのでしょうか? それとも、進化(遺伝子レベルの変化)など全く進んでいなくて、食生活や諸々の生活条件の変化に一時的に適応しているだけなのでしょうか。これが一時的な適応であって進化と定義できるものではないとしても、この変化が進化につながることは決して"ない"のでしょうか。
 生物が偶発的な変異に身をゆだねているだけではなく、もっと積極的に環境への適応ということを常に考えていて、そのことが進化の原動力になっていることの可能性について、これから考えて行きたいと思います。

種の多様性

 生物の進化は幸運な突然変異の積み重ねによって推し進められるのではなく、もっと能動的に変わって行くものだと、筆者は考えています。生物は自然環境へ適応しなければならないし、自然環境は変化し続けるものです。これに対して積極的に適応してゆかねば、生物としての存続が危うくなります。
 生物の環境への適応について考える上で、まず知らなければならないことは、種の多様性ということです。生物は様々な方法で自然環境に適応しようとし、その結果、様々な種が発生しました。
 種(しゅ)とは、いわゆる生物の種類のことで、タネとは読まないように。種の多様性とは、平たく言うと生は多種多様の種類が存在するということを言ってるわけです。
 動植物を育てることを趣味にしている人が、必ず感じることは、その種類の多さです。実に多くの種類の動植物が当たり前のように存在し、そのことがあまりにも日常的なので案外見過ごしてしまうこともあるのですが、動植物のことを知れば知るほど、たくさんの種類が存在することが判り、さらには亜種や地域変異個体群といった種がさらにグループ分されていることを知り、びっくり仰天しちまうのです。
 なぜこれほど多くの種類のヘビが、クワガタムシが、カメが、小鳥が存在しなければならないのか、同じ場所に同じ餌を求めてくらすヘビなら、クワガタムシなら、カメなら、小鳥なら、1種類でいいんじゃないのか? そんな疑問を抱くのは筆者だけではないはずです。それとも、たくさんの種類がいた方がマニア心をくすぐるからいいじゃないか、ってことで気にもしないのでしょうか。
 飼養している生物について詳しくなってくると、同じ餌を求める同じヘビでも(以外同文)、姿形のちがいと共に飼養環境への適応度のちがいがあることに気づきます。少々乱暴に世話してもたくましく元気に暮らしてゆく種と、ひじょうにデリケートで、長生きさせるには細心の注意と手間が必要な種があります。生物が厳しい生存競争の渦中にあって適者生存の理に則っているなら、どうして頑健種だけが生き残らないのでしょう? 学校の授業でダーウィン先生の進化論を習ったとき、弱者は自然淘汰され、強い種が生き残るんだって、教わりましたよね。
 じつは、適者生存と自然淘汰を額面通りの解釈をして、自然観察をすると壮大な誤解に突き当たってしまいます。
 自然環境には、弱者と強者が上手く共存するメカニズムがちゃんと存在し、共存のバランスがくずれて、種の単一化(多様性の逆)が起こりにくくなっているのです。
 自然環境は、様々な理由で絶え間なく変化しています。そして変化に応じてこれまで頑健種だったものが元気をなくし、弱小種が力を得るようになります。寒冷化が進むと大食漢が食欲をなくし、それに食べられていた生物が増加する。すると増加したそいつが好物の葉をたくさん食べてその植物の繁栄をさまたげる、じつはその植物は寒いのが得意だったので、繁栄をさまたげられたおかげで、他の植物とのバランスが維持できる。こういった絶妙な連鎖反応が機能して、その環境の生態系は全体としてバランス維持されるのです。
 だから自然環境は、できるだけ多くの種を絶妙なバランスのもとで維持し続けているのです。少しずつ性質のちがう似かよった種がたくさんいることで、自然は環境の変化にきめ細かく対応することができ、豊かな自然環境を維持できるのです。
 生物の種の多様性とは、環境の変化に対するショックアブソーバー(緩衝能力)なのです。
 そして生物は多様性を維持し、あるいは拡げて行くためにも、進化し続けなければならないのです。
 生物の進化は、古い種が別の新しい種に変わってしまうという形で起きるというよりも、古い種が別の新しい種を産むという形で生じます。なので、同じ環境で新旧双方の種の共存が始まり、このことによって種類を増やすことができます。このように古い種から新しい種が生じることを種の分化と言います。進化の実際は分化であるということができます。
 ただ、環境の変化が次第に大きくなり再び元のような状態にならなくなると、古い種はさすがに適応できなくなって滅びてしまうでしょう。でも、その頃には古い種はいくつかの新種を分化させて種の多様性に貢献し、種としての生涯をまっとうしていることでしょう。
 進化とはこのように自然環境への適応そのものであり、種の多様性というネットワークによって互いに種を維持し合っているのであり、あくなき生存競争を繰り返しているというわけではないのです。
 そして私たち人間は、種の多様性すなわち生物層の厚みの重要性を理解し、このバランスを崩さないようにしなければなりません。外来種の自然環境への持ち込み、環境の加工や破壊、こうした行為は、その自然環境の種の単一化を促進します。種の単一化が進んで、生物層の厚みが失われると、変化への緩衝能力を失った生態系は崩壊に向かい、環境の砂漠化が進みます。砂漠化は人類をも飲み込む重大な危機です。
 野山で、虫や小さな生き物を採集するのは悪いことではありません。個人の採集の能力なんてたかが知れてます。しかしながら、環境を破壊するような採集や大規模な乱獲は絶対にやってはなりません。我々人類も生物の一因として、生態系のバランスの枠からはみ出してはいけないのです。


自然淘汰と適者生存

 生物は環境に適応し、変化に追従するために種の多様性を図り、実にたくさんの種類の動植物を環境に配備しています。この生物層の厚みはそのまま自然の豊かさの証であり、変化に同じることなく生態系を維持するための秘訣です。
 生態系という生物のバランス状態が、このようにして環境に適応し続けている背景には、当然ながら個々の種のたゆまぬ努力があるわけで、種は変化し続ける環境に適応するために様々な器官や機能を発達させ、やがて新しい種を分化させます。種の多様性は、分化の積み重ねであるわけですね。
 ダーウィン先生以来古典的な進化論では、こうした種の進化及び分化は、偶発的に生じる変異型の誕生に委ねられるわけで、様々な突然変異型が、自然に淘汰された結果、優れた変異型だけが生き残り、進化を促すというわけです。ご存知、自然淘汰と適者生存の原理ですね。
 この原理は、より強いもの、より優れたものが生き残り、その結果として進化を促すという図式を大変わかりやすく説明していますが、弱小種や劣勢種が生き残っている事実を説明するには適当ではありません。適者生存がすべてなら、どうして非力な種がたくさん生き残って同じ環境で共存しているのでしょう。種の多様性つまり生物層の厚みを保つために、強い者も弱い者も含めたくさんの種が共存している状態がひじょうに望ましいのではありますが、ダーウィニズムで言うところの適者ならざる弱い種が淘汰されないのはどうしてでしょう?
 古い化石を調べて進化の道筋を明らかにしようとする、古生物学によると、生物は進化するに従って体が大きく、体の特徴がより顕著になって行きます。化石証拠がそのことを物語っているのです。ゾウはより大きくより長い鼻を持つ動物へと進化し、キリンの首は進化的な(新しい)動物ほど長くなっています。躯体大化の法則あるいは定行進化の法則と言われる、生物進化に観られる方向性の考え方によると、生物の進化はより強い動物へ向かう一定の方向性が観られるということです。この方向性を裏付けるにも、自然淘汰と適者生存の考え方は理にかなっているように見えます。
 しかし定行進化が維持されるには、自然環境はおおむね一定していなければなりません。キリンの仲間が好む植物がいつまでも高木でいてくれなければ、キリンの首は長くなり続ける意味がないのです。定行進化の法則は、たとえば、恐竜に代表されるような大型爬虫類が衰退したあと、彼らの退いたあとを埋める形で哺乳類が一気に適応放散を開始するようなシーンでは顕著に現れます。哺乳類は多種多様な動物を分化させ、あらゆる環境に適応し至る所へ放散し、それぞれの環境で大型化を目指しました。
 ところが生物の進化は一筋縄では行かないもので、哺乳類が天下をとったあと爬虫類は、小型化と多様化を進め、現在も大繁栄を築いています。爬虫類マニアの方がよく知るドワーフと呼ばれる個体群は、体を小型化することによって特殊な環境に適応して成功を獲得している進化上のプロセスです。あるいは狭い飼育ケースで幼体を育てていると発育不全が観られますが、これは果たして不健康な状態なのでしょうか。飼育下という特殊な環境へ適応しようとする生物の自然な反応であり、これを累代繰り返すことによって種のドワーフ化が促されるということはないのでしょうか。
 生物の進化は、ランダムに生じる変異型が、一定の淘汰圧によって自然淘汰され適者が生存するという単純なメカニズムだけでは説明しきれません。環境の変化に応じて、意図的に適切な変異型が輩出され、その繰り返しが進化を促している、筆者はそのように考えています。偶然はむしろわずかで、進化には必然性がある、それが筆者の考えです。偶然の積み重ねだけでは、環境の変化にもついてゆけないし、生態系のバランスを維持するための進化や新種の分化も果たせないのではないでしょうか。

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